糸と蜘蛛

犬若丸

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6章 盤上の外で蜘蛛喰い蝶は笑う

蜘蛛喰い蝶の罠 3

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 蝶男の手が頭から項に移動する。奴の握力は強さを増し、3本の指が首の皮と肉を掘り始める。
 「君の息子が君を嫌う理由を知りたくないかい?」 
 脈絡なく蝶男の声色は穏やかなものになっていたが、カンダタはそれどころではなく、食い込み進行する3本の指に低く短い悲鳴を繰り返す。
 「君が覚えていない、君が死んだ後の記憶を思い出させてあげよう」
 指が首の骨に到達するとそこから広がるように全身に電撃が走った。体内で起こった衝撃は海馬の奥深くに封じられた記憶を呼び起こす。
 怯え泣く紅柘榴がいる。膨れた腹を庇いながらこちらに背を向け逃げている。
 お願いやめてと叫んでいた。記憶には残っているのに聞こえなかった。
 彼女の肩を掴み、振り向かせると腹のことも気にせずに押し倒す。
 空腹だった。血肉が欲しかった。だから、紅柘榴の腹を裂いた。
 「あああああっ!」
 鮮明に甦った記憶に叫んだ。
 カンダタが死んだ後の遺体はしばらく蝶男に使われていた。紅柘榴が逃げないを監視し、そして臨月になった頃に胎児を奪った。
 全てカンダタの手で行われた。
 奪われた胎児が赤眼の少年だ。
 「殺すっ殺すっ!」
 感情が溢れ、ひたすらに呪詛を吐く。その感情に呼応して黒蝶がカンダタを侵食し、皮膚に黒い模様が浮かぶ。
 暴れ回りそうなカンダタは雛女子だけでは抑えられそうになく、スライム女子が液体の身体を広げ四肢を地面に縫いつける。
 「殺すっ」
 「君がやったことだ」
 黒蝶の模様を確認すると蝶男は立ち上がった。
 清音の準備も整った。後はひと声上げて自殺した生徒・先生の魂を集めればひと段落つく。
 瑠璃の左腕、白い刃、赤眼の少年、カンダタ。あと1つ、瑠璃が持っている十如十廻之白御霊が揃えば完璧だ。
 黒蝶で清音に指示を出す。手の平に乗った頭が口を開く。
 第一声である「極楽浄土」の「ご」の部分で重なるように大音量のチャイムが全校舎で響き渡った。
 清音の台詞はかき消され、生きた側の人々はチャイムに戸惑う。
 教室はまだ授業をしている。休みに入るにもまだ早い。      
 いつもより珍しいチャイム音に珍しく蝶男も驚き、憎悪一色であったカンダタも怒りを忘れた。
 校舎3階の放送室の窓を開け身を乗り出し、大音量のチャイムにも負けない裏声で叫ぶ人がいた。
 「カァンダタァッ!」
 叫ぶ声よりも何倍にもチャイムのほうが音量は大きく、聞こえるはずがないのに放送室の彼女を捉えることができた。
 赤い瞳と青い瞳が合う。黒く染まった魂に伸びる一本糸のような瞳だった。
 カンダタの様子で長男も放送室の瑠璃に気付く。その一方でカンダタはスライム女子に目を向ける。左足に絡む半透明の液体の中に白い刃があった。
 怒りではいた力はまだ引いていない。黒蝶から与えられた腕力で雛女子の脚とスライム女子を払い、馬乗りになったら彼女を押しのける。
 敵わないと察したスライム女子が離れようとするが、カンダタは白い刃を捕え、液体から引き抜く。
 瑠璃に気を取られ、後ろでの出来事に蝶男は対応が遅れた。白い刃を奪われるわけにはいかないと蝶の群れをカンダタに向けて飛ばす。
 「上に投げて!」
 チャイムが終わり、瑠璃の声はよく聞こえた。カンダタは何も考えられず、蝶の群れが自分に着いてしまう前にと言葉通りに投げる。
 瑠璃は3階の放送室窓から飛び降りた。その次の瞬間には瑠璃の姿は消え、次の瞬間にはカンダタたちの真上に現れた。
 空中で現れ、落ちる瑠璃の右手には白い鋏があった。握り鋏ではなく穴に指を入れるV字型の鋏だ。失ったはずの白鋏の能力だ。
 カンダタが投げた白い刃を瑠璃は咥えて受け取り、口端を刃で切った。
 瑠璃はカンダタの後ろで転がりながら着地する。白鋏をスカートのポケットに仕舞い、口には白い刃を取る。
 チャイムにより邪魔をされた清音はその怒りを瑠璃に向けた。4本あるうちの腕の1本を地面に向け、軽く払うとその風圧で瑠璃が倒され、頭を強く打つ。
 カンダタは瑠璃の元へ駆け寄ろうとしたが、その前に黒蝶の群れがカンダタを覆う。蝶男が後からカンダタを捕らえる。
 「ハク!」「はく!」
 瑠璃の声ともう1人、重ねて呼ばれた。「はく」と呼ぶ呼び声は懐かしく愛おしい。
 カンダタの本名を知り、その呼び名で呼ぶのは1人しかいない。
 “白蓮(はくれん)ならはくって呼んでもいいでしょ”と茶化し、“私が紅(べに)で白蓮がしろ(はく)。黒紅白で縁起がいいわ”と嬉しそうに話していた。
 紅柘榴の呼び声は後ろから聞こえた。振り向けば黒蝶の弾幕に白い鬼がいた。
 怒りのある声色で鳴き、鋭い鉤爪を伸ばす。怒り任せではなく、カンダタを助けようとしている。鉤爪を掴もうとカンダタも手を伸ばす。
 しかし、伸びたカンダタの腕を蝶男の腕が重なり、自分のほうへと抱き寄せる。白い鉤爪が蝶男の腕を引っ掻いた。
 「じゃじゃ馬娘たちめ」
 カンダタの耳元で蝶男が苦し紛れに呟いた。
 白い鬼は瑠璃の所で走行を止めると守るように白い巨軀の下に瑠璃を置く。
 蝶男の右半分がボロボロと崩れている。傷を負いすぎた。
 「流石にまずいな」
 校庭には黒蝶の群れと瑠璃と白い鬼が敵対する。その上には清音がいる。
 とても安心できる空気ではなかった。だが、カンダタは声を上げて喜びを表したかった。それすらもできずに涙を流すしかなかった。
 ずっと傍にいたのか。
 瑠璃に「白い隣人」と「見えない友達」と「ハク」と呼ばれたあの子がそうだったのか。
 「べに!」
 カンダタが堪らず声を上げると白鬼のハクが悲痛に鳴いた。
 その後に続く言葉をカンダタは伝えたがあったが、蝶男が口を塞ぎ羽交い締めにする。
 「再会の途中で悪いが僕も限界なんだ」
 黒蝶の群れは高い渦を巻き、カンダタと蝶男の周囲、そして清音を囲む。
 ハクはその渦に飛び込みそうになるも瑠璃が腕にしがみつき阻止する。ハクもまた振り払おうとせず無言で瑠璃に従う。
 黒蝶の渦巻きが収まった時、静寂に は瑠璃と清音がぽつりと残っていた。
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みんなの感想(1件)

赤崎火凛(吉田定理)

『老人の腸が引きずり出されてスマホのアラームが鳴る。朝が来た。』
こういう文章、素敵ですね。好きです。夢と現実のねじれた感じ。

解除

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