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6章 盤上の外で蜘蛛喰い蝶は笑う
目覚めて夢の中 12
しおりを挟む電車は揺り籠のようだと電車の中で揺らされる度に思う。
疲れているときは尚更、ベビーカーに乗っているの子供も静かに寝ている。安らいだ心地になって目蓋が下がり、意識は沈みかけて、そしてスマホのバイブ振動で現実に戻る。
スカートからスマホを取り出すと夫からのメッセージが届いている。
昨夜の口論になったことを謝りつつ、今夜も飲み会で遅くなると文章で伝えている。
私の思いは何も伝わってない。
スマホを投げつけたくなる程の怒りはとうに過ぎて今はただ虚しい。
自分の息子だ。子育ても楽しい。夫もよく働いているし休日は家事も育児もやっている。
生活に苦はないはずなのに孤独だと思ってしまう時もある。
さっきもそうだった。
電車に乗ろうとした時だった。ベビーカーは多くのスペースを奪う悪だと認識している利用客に舌打ちされた。
仕方がない、と割り切られたらいいのに器用な心を私は持っていない。
赤子が目を覚ましてぐずる。大泣きしてしまう前にベビーカーの正面に回り、しゃがむ。
目を覚ましたらすぐに大声で泣き出す。狭い電車では悪目立ちして周囲の邪険に扱う目が恐くなる。
その時だけ子供が泣かずに首を傾げていた。愛らしい表情にほっとして綻ぶ。
母は私が目の前にいるのに赤子の目線は私の後ろにいっているようだった。
振り向けばフードをかぶった少女がいた。
フードからブロンドの髪がはみ出ている。左腕は骨折しているのか三角巾を首に巻いて腕を吊っているからパーカーの袖が通せないので左側だけ肩にかけている。顔は隠れて見えないけど、10代後半だろう。
その年齢の子は学校の時間のはずだ。
金髪で怪我もしている不良少女。そんな子はあまり近寄って欲しくない。
不良少女と目を合わせないように立ち上がる。車内でアナウンスが入り、降りる駅を告げている。
車窓からは私が通っていた母校が見える。数ヶ月前、母校では演劇部の生徒になった事件があったそうだ。真相は不明、犯人も捕まっていない。最近では生き残った4人の女子生徒も行方不明となり、またニュース番組のネタとなっている。
少し離れた所にも大型病院があって、停電と謎の集団睡眠障害がという例のない怪事件に昨夜から人々は釘つけになっている。停電と共に病院内にいた全ての人が同時に睡眠障害を起こし、未だに目を覚ましていない。病院は閉鎖され、千人近い数が隔離病棟に移されたらしい。
SNSでは政府の実験やらエイリアン侵略やらと根拠のない憶測が面白おかしく飛び交っているのを見かけるが、身の回りで得体の知れない怪事件も起きた私としては不安要素しかない。
それでなくても育児で忙しく、他のものを考えたくない。
電車が止まり、ドアが開く。反対側のホームも電車がくるようでアナウンスが入っている。ホームは降りる人と乗る人と待つ人が自然と混在するようになる。
邪魔になるベビーカーが密集した人の中を通るのは毎回申し訳なくなる。
電車の到着を知らせるサイレンが頭上で鳴る。
「耳を塞いで!」
私の斜め後ろにいた不良少女が叫んだ。驚き、立ち止まると同時にどこからか少女の「ご安心して死んでください」と消えそうな囁き声が聞こえた。
ふわりと頭が浮いたような感覚がして身体を支える脚が揺れた。
ベビーカーを悪とする周囲の人々が舌打ちをしてくる。「邪魔だ」と言ってくる。夫にも何度も謝られた。そういう気持ちにさせてしまったのが辛い。
邪険にされ、謝罪させてしまっているこんな自分が生きていて良いはずがない。
線路に降りたい。重荷から楽になりたい。私がいなくなれば皆んなが幸せになる。
ベビーカーのタイヤが点字ブロックに乗り、中の子供が声を出して泣く。子供までも私はダメな母親だと泣いている。
点字ブロックの凹凸を踏み、線路が見える。
線路に飛ぼうとする私の横腹をタックルされた。私はホームの硬い床に転がり、頭を強く打つと浮いていたような眩暈が治まった。
タックルしてきたのはパーカーの不良少女だった。唇が歪んでいるのは怪我をした左腕で私に当たってきたからだろう。
ベビーカーは無事だったけど子供が泣いている。
先程までの行動が上だった。急ぎ、子供を抱き上げ、「ごめんね、ごめんね」を繰り返す。
子育ては孤独だし、虚しくなる時もある。でも、子供は可愛いし、夫も働きながら支えてくれている。義両親も気にかけて遠方から手伝いに来る時もある。死にたいなんて恐ろしい考えたを持ったことなかった。
急に湧いて出た自殺願望に背筋が凍り、冷えた頭は周囲を冷静に捉えた。
反対側ホームの電車の先頭が血飛沫で染まっている。停止寸前の電車に飛び込み自殺を人たちの血だろう。
ホームには私みたいに冷静に戻った人もいれば、中途半端な自殺行為に苦しむ人もいた。その光景に吐き気がして口を押さえる。
「わかってる。今は静かにして」
その独り言は不良少女から聞こえた。
左腕を摩っている。私にタックルしたせいだ。
「ごめんなさい!腕は?大丈夫?ごめんなさい、私が馬鹿なこと考えたから」
子供を抱いたまま、不良少女に寄り添い、屈んで顔色を伺う。
パーカーのフードで隠れていた瑠璃色の瞳と目があった。カラーコンタクトじゃない。ブロンドの髪は地毛なのだと知る。
私の浅はかな偏見で彼女の人格を決めつけていた。
「気にしないで」
「だって腕が、痛むでしょう?」
「痛みはないから」
心配し、取り乱す私とは違い、彼女の態度は素っ気ない。
「地下に逃げて。そこなら清音の、あれの声は届かないから」
そう言いながら立ち上がり、彼女は改札のほうへと走っていく。
ありがとう言い忘れたと気付くのは彼女の姿がなくなってからだ。
突発的に起こった集団自殺のせいで人々たちはパニックになり、駅を出るところが改札を通るのも時間がかかった。
あたしは人混みを押しのけ、やっと駅から抜け出す。
秋の雨は冷たく痛い。鬱陶しい雨に舌打ちがでて、口癖になった最悪だと呟く。
青いロベリアの花冠に乗った清音はすでにいなくなり、白い隣人は声を上げて責める。
「行き先はわかってるわ」
それでも不満があるみたいで眉間の皺が寄っている。
まだまだ文句あり下の白い隣人を放置して、雨でも構わずあたしは走った。向かう先は学校だ。
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