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1章 神様が作った実験場
空の穴 9
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あたしは話を戻す。
「あなたの考えてることがわからないわ。助けたいと思ったらどうしてあたしを地獄に落としたの?」
蝶男の片方の眉が上がった。それでも笑顔は崩さなかった。
「駅のホームでも黒い蝶を見たの。そして、初めて出会った時、現世を知らないと言った」
「勘違いじゃないかな。蝶はどこにでもいる」
「雨の日に蝶は飛ばない」
「飛ぶ蝶もいる」
どうして、聞かないの。
蝶を見たからといって彼があたしを落としたとは結びつかない。あたしがその結論に至るまで疑問に思わなかったのかしら。
それを聞かないのは、知っているから。
「どうして私を疑うのさ?」
胡散臭いからよ。
それに蝶男に対する疑心は確信に変わっていた。
「そこをどいて」
「あの男のところに行くのかい?」
蝶男が避けそうにないからあたしは無理にでも横を通り過ぎようとした。
「気をつけたほうがいい」
蝶男はあたしの疑問を置いたまま続ける。
「あれは鬼に近くなっているからね」
助言でもなんでもない。不安を扇ぐだけの比喩。
狭い保健室の中で強風が吹いて風に乗った黒蝶が霧散し、窓から飛んで去って行く。
ひらりひらりと笑う蝶は一瞬にして消えていた。
嘘つきめ。何が助けたいよ。あいつがあたしを落としたんだわ。そうじゃないとあそこに蝶男がいた理由が思いつかない。あれはアドバイスじゃない。あたしを誘導していたのね。蝶男のシナリオ通りに動かされていたんだわ。
黒い蝶だけでその推測をたてるのは軽率だった。けれど、蝶男が関わっているのは確かだった。次に会ったら聞き出してやる。
なかなかに冷めない熱を対処していると今度はハクが保健室へと走ってきた。見張りを頼んでいたのに。
でも、この緊迫した表情からして、カンダタに何かあったみたいね。
ハクは急いでいるようで、その体格なのに無理にでも正面から入ろうとする。
「落ち着きなさいよ」
入れないハクの代わりにあたしが廊下へと出る。
この焦りがハクの思い違いならいいんだけど。
頭の隅でそんなことを呟いた。無意識にそう思ってしまったのは胸のざわつきが抑えられなかったからだ。
「どうしてたのって聞いても答えようがないわね」
ハクは両手を床につけたり、上げたり、こちらを見上げたり、見下げたりしている。焦燥を表したハクの仕草ではその要約が伝わらない。
「カンダタがまた狂乱した?」
言葉を持たないハクにはひとつひとつを聞いて行くしかない。焦るハクには悪いけれど、現状を把握しておきたい。
ハクの首は大振りに強く主張する。焦りが混じった否定。
「自傷行為は?砂を食べたとか?」
どれも首を振る。一体何がどうしたのよ。
そわそわと動くハクが今度は耳を下げ、尻尾を下げ、あたしの背中へと下がっていく。怖がっているみたい。
「何もわからないわね」
取り敢えず、行ってみようと入って来た窓から登ろうとする。するとハクは周囲を行ったり来たりしてあたしの行動の邪魔をする。
「もう、何よ」
ハクは指を差す。怯えた目線と指先が示したのは廊下の十字路。あの十字路を左に曲がれば連絡通路がある。
何を伝えようとしているのかしら。真意も掴めずに十字路を眺めていると唐突に左の角から黒く巨大な塊が回転しながら飛んでいった。赤い血を撒き散らして右の角へと消えていく。 一瞬の光景。でも、見間違いはなかった。あれは鬼だった。
西棟の1階廊下にぐしゃりと醜い音が響く。そして広がる静寂。あたしの胸騒ぎだけがうるさい。
逃げるべきよね。でも。
「あなたの考えてることがわからないわ。助けたいと思ったらどうしてあたしを地獄に落としたの?」
蝶男の片方の眉が上がった。それでも笑顔は崩さなかった。
「駅のホームでも黒い蝶を見たの。そして、初めて出会った時、現世を知らないと言った」
「勘違いじゃないかな。蝶はどこにでもいる」
「雨の日に蝶は飛ばない」
「飛ぶ蝶もいる」
どうして、聞かないの。
蝶を見たからといって彼があたしを落としたとは結びつかない。あたしがその結論に至るまで疑問に思わなかったのかしら。
それを聞かないのは、知っているから。
「どうして私を疑うのさ?」
胡散臭いからよ。
それに蝶男に対する疑心は確信に変わっていた。
「そこをどいて」
「あの男のところに行くのかい?」
蝶男が避けそうにないからあたしは無理にでも横を通り過ぎようとした。
「気をつけたほうがいい」
蝶男はあたしの疑問を置いたまま続ける。
「あれは鬼に近くなっているからね」
助言でもなんでもない。不安を扇ぐだけの比喩。
狭い保健室の中で強風が吹いて風に乗った黒蝶が霧散し、窓から飛んで去って行く。
ひらりひらりと笑う蝶は一瞬にして消えていた。
嘘つきめ。何が助けたいよ。あいつがあたしを落としたんだわ。そうじゃないとあそこに蝶男がいた理由が思いつかない。あれはアドバイスじゃない。あたしを誘導していたのね。蝶男のシナリオ通りに動かされていたんだわ。
黒い蝶だけでその推測をたてるのは軽率だった。けれど、蝶男が関わっているのは確かだった。次に会ったら聞き出してやる。
なかなかに冷めない熱を対処していると今度はハクが保健室へと走ってきた。見張りを頼んでいたのに。
でも、この緊迫した表情からして、カンダタに何かあったみたいね。
ハクは急いでいるようで、その体格なのに無理にでも正面から入ろうとする。
「落ち着きなさいよ」
入れないハクの代わりにあたしが廊下へと出る。
この焦りがハクの思い違いならいいんだけど。
頭の隅でそんなことを呟いた。無意識にそう思ってしまったのは胸のざわつきが抑えられなかったからだ。
「どうしてたのって聞いても答えようがないわね」
ハクは両手を床につけたり、上げたり、こちらを見上げたり、見下げたりしている。焦燥を表したハクの仕草ではその要約が伝わらない。
「カンダタがまた狂乱した?」
言葉を持たないハクにはひとつひとつを聞いて行くしかない。焦るハクには悪いけれど、現状を把握しておきたい。
ハクの首は大振りに強く主張する。焦りが混じった否定。
「自傷行為は?砂を食べたとか?」
どれも首を振る。一体何がどうしたのよ。
そわそわと動くハクが今度は耳を下げ、尻尾を下げ、あたしの背中へと下がっていく。怖がっているみたい。
「何もわからないわね」
取り敢えず、行ってみようと入って来た窓から登ろうとする。するとハクは周囲を行ったり来たりしてあたしの行動の邪魔をする。
「もう、何よ」
ハクは指を差す。怯えた目線と指先が示したのは廊下の十字路。あの十字路を左に曲がれば連絡通路がある。
何を伝えようとしているのかしら。真意も掴めずに十字路を眺めていると唐突に左の角から黒く巨大な塊が回転しながら飛んでいった。赤い血を撒き散らして右の角へと消えていく。 一瞬の光景。でも、見間違いはなかった。あれは鬼だった。
西棟の1階廊下にぐしゃりと醜い音が響く。そして広がる静寂。あたしの胸騒ぎだけがうるさい。
逃げるべきよね。でも。
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