糸と蜘蛛

犬若丸

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1章 神様が作った実験場

空の穴 5

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 目印である線路の橋に近づくと見覚えのある風景へと変わっていき、迷子にはならなくなった。その代り、別の戸惑いがあたしの前を泳いで行った。
 カンダタが言っていた魚は鯉だった。長さ60cmの立派な鯉。ただ、良く知る紅白の柄ではなく、金銀の煌めく鱗を持った美しい鯉だった。無機質な動くロボットみたいなぎこちなさはなく、滑らかに胴をくねらせてゆっくりと翻る。
 遠目から見ていたはずのカンダタもその鯉に絶句して金銀の鯉を唖然として見惚れる。
 鯉は一匹だけではなかった。青い宝石の鯉、赤い宝石の鯉、水晶の陶器で透き通った鯉、それら3色が揃った鯉もいれば、白貝みたいになめらかな鯉もいた。多種多様の鯉が尾びれを優雅に揺らして悠々とした態度で泳ぐ。
 「天国が近いのね」
 ぼそりと呟いた。目的地とはいえ、物騒な台詞に乾いた笑みが浮かぶ。
 天国には行きたいとも思わなかった。そこに行きたがるのは死にたがりの奴らだけで、少なくともあたしは天国を望んでいない。
 「神様に近くなった感想はどう?」
 カンダタは笑っているのか悲しんでいるのか。読み取れない表情で少しだけ気怠そうに笑った。



 その吉報が届いてすぐに親父のもとへと向かった。
 西対から寝殿までかかる橋から一望できる池は黄金の蓮がほどよく散りばめられた絶景のポイントで、光弥は付き橋の上で飯を食ったり昼寝をしたりと、そこの屋根は仕事を怠業するのに適した場所だ。
 だが、今回の事案は怠け癖のある光弥でも投げ出すわけにはいかなかった。
 「親父!」
 部下たちに囲まれた父を呼ぶ。父は忙しく対応中でその間に無理矢理割り込んだ光弥はディスプレイが光るタブレットを差し出す。
 「見つかった!」
 その一言で先程の無礼を父は許した。いや、それ自体忘れてしまった。光弥のタブレットを受け取り、映る画像を確認する。
 「監視鯉に映っていたんだ。囚人と一緒に行動している」
 「この囚人は?」
 黒い単衣の男を差して尋ねる。その質問は光弥の口を重たくさせた。彼女が見つかったのは吉報だった。しかし、不明瞭な事案も生まれた。
 「わからない」
 「どういうことだ?」
 沈黙の後の回答に父は困惑の色を見せた。
 地獄に送る囚人は享年や罪状、性格等をこちらで記録して刑期が終わるまで保存するのが規則だ。記録時は2人一組で行い、その後に監査があるので取りこぼしはない。
 なのに、黒い単衣の男の記録がどこのファイルデータにもない。恰好から推測するに百年ぐらいは第4に留まっていたのだろう。
  それもまた矛盾点だ。第4は主に自殺者を送る所だ。罪状にもよるが、まず百年を超えるような刑期にはならない。
「まさか、蝶?」
  自身だけに向けられた父の小さな呟きを光弥は聞き逃さなかった。
  蝶、また蝶だ。
  何度か浮かぶその単語から真実を推理しようにもまだ情報が足りない。
「回収は光弥に任せる。早急に行え。それとこの囚人も回収し、その後処分する」
  「囚人を?魂の処分は禁止だろ」
  「不確定要素のある魂は危険だ。輪廻に流すわけにもいかない」
   最もだ。父のそれは正論で正しい言い訳だ。
 「わかったよ。回収と処分の準備しとく」
 「いや、処分は私がやる。光弥は回収だけでいい」
 やはり、黒い囚人に何かあるのだ。囚人から得られる情報が光弥に渡ってしまうのを父は防ごうとしている。
 「お前も疲れたろ。頑張っているじゃないか。あとひと踏ん張りだぞ」
 父は励ましに肩を叩いて光弥は笑みを返す。
 優しく叩いたその手を信用はない。父が優しい時は裏がある時であり、光弥を騙す時だ。
 父と部下たちは橋を渡りきって光弥はその背中を見送る。足元を照らす黄金の蓮は怪しく光った。
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