糸と蜘蛛

犬若丸

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1章 神様が作った実験場

ずれ 4

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   あたしが動き出すと陰に潜んでいた鬼たちが一斉に走り出した。通路にいた鬼、店内にいた鬼。そこらじゅうに待機していたアリたちが角砂糖を前にして群がり始める。
   いたる所から金切り声の合唱があたしたちを囲む。刺々しく痛々しい合唱のわずかな合間を駆け上がる。
   エスカレーターを昇る鬼たちは少なかった。そのほとんどは壁を伝ったり、柱から2階へと跳び移ったり、道じゃない道を通って来る。
   一緒に走っていたカンダタは半ば諦めていた。8mほどの距離を軽々跳び越える脚と半月も歩き続ける体力。あたしよりも速く走れるはずなのにあたしと肩を並べて走っていた。
  これを諦めたと言わないでなんだというのよ。
  「カンダタ!」
   ふざけないでよ。あたしだって必死になって走ってんのよ。勝手に諦めないでよ。
   怒鳴ってもこの絶望を打開できないけれど、激昂せずにはいられなかった。
   段々と増えていく鬼たちに絶望の重さは増していく。そこに追い打ちをかけてきたのは前方の鬼、5体ぐらいがそこに鎮座していた。
   活路を見出していたハクもそれには立ち止まるしかなかった。百貨店の2階、婦人服売り場にて1度目の死が迫っていた。
   後ろから迫っていた1体の鬼があたしに追いついて鋭い鉤爪が降り下がる。
  それを止めたのはカンダタのバールだった。腕を伸ばしたカンダタが持っていたバールで鉤爪を受け止めた。けれど、鬼との力は歴然でバールは簡単に弾かれ、回転しながら床を滑って行く。
   鬼の標的はあたしからカンダタに移されて大きな顎と牙はカンダタの脇腹を噛みつく。カンダタはそこから逃げようとするも牙は腹に食い込んで簡単には抜けない。
   その牙が自ら離れていったのは前方にいたはずの鬼たちがカンダタに集まるアリに噛みついたからだ。鬼が鬼に噛みついていた。
   その光景に出合うのはあたしもカンダタも初めてだった。鬼と鬼との戦闘。どうしてそうなったのかはわからない。でも逃げるのなら今が好機だ。
  「カンダタ!立って!」
   また怒鳴ったあたしはカンダタの襟を引っ張るように立ち上がる。怪我を負ってしまっても逃げられる。そうでないと困る。
  「走って!」
 もう一度怒鳴って、カンダタはやっと走った。彼の諦めは血と一緒に流されて、醜い執着心が姿を現した。
 鬼たちの喧騒から隠れるようにあたしたちは影の中へと走った。
 変わった商品を取り扱う雑貨店に入る。あたしはライトを探していた。
   目は暗さに慣れて来たけど不便であることに変わりはない。ハクは夜目なのか暗闇でも平気そうね。
   怪我を負ったカンダタはぬいぐるみ売場に置いてきた。流血のせいでもあるけれど、感じていなかった疲労がやっときたみたいで、店の片隅で丸まる彼は静寂の中で睡魔と闘っている。
 そんな奴を鬼がはびこるビルで一人してしまうのは不安があった。でも、あの鬼同士の闘争以降、鬼は現れていない。どうやらこのフロアにはいないみたいね。
 あたしは物が陳列されている商品棚を物色する。
 荒廃が広がって何もかもが崩れているのに商品は埃を被っているだけでパッケージの中身は新品と同様だった。
 中途半端に残った人類の文化に皮肉のある賛美でも送りたいところだけど、今は素直に喜ぶことにする。欲しいものがあれば話だけど。
 目当てのものは見つかった。やっぱりこの店は変わったものが多い。木製のライトなんてなかなか売っていないもの。あとは電気がつけば万々歳ね。
 箱から商品を取り出してスイッチを入れる。ライトは付かなかった。それでは困ると2、3回ライトを叩く。すると光は点滅して消えた。もう一度強く叩いてみると同じように光が点滅するも今度は安定して、点滅したり急に消えたりしなくなった。
 よし、ライトは手に入れた。
 棚をライトで照らし、売られることのない埃塗れの雑貨商品を眺める。面白い品々が並ぶ雑貨店を何気なく探索して、店の片隅にある本棚のコーナーに足を止める。
 丸くライトに当てられた本のタイトルを声に出して呟く。
「Jabberwock」
 あたしの呟きにハクが首を傾げる。
「この詩、知ってる?」
 質問してみればまた首を傾げて、訳がわからないと表情だけで伝えてくる。そうした仕草はすぐに仕舞い、早く戻ろうとあたしを促す。
 雑談する場面でもないわね。カンダタのあの様子じゃいつ寝てもおかしくないもの。
 踵を返して店から出ようとするもあたしの脚はピタリと止まって身構える。
 今、あの棚の隅で何かが動いた。
 物が重なり詰められた静寂の店内にあたし以外の人はいない。だから、何かが動くなんて有り得ない。あたし以外に何かいるんだわ。
 あたしたちは店の奥まで入り、商品棚に囲まれた位置に立っていた。何かがいるであろう向かいの棚にライトを向ける。
 ライトが映すのは人か鬼か。身構えていたのに照らしたのは一羽の黒い蝶だった。
 「何よ。脅かさないでよ」
 警戒を解いて間抜けにも胸を撫で下ろす。
 この蝶、もしかして。
 不確かな疑心を浮かべているとハクから怒りが籠った唸り声を出す。蝶を見るとこんな感じなるのよね。なんでかしら。
 「虫が嫌いなの?まぁ、あんなのひらひらするだけで可愛くもないわね」
 「なら、どういったものがお好みで?トランプの柄とか」
 男性の優しげな声は向かいの棚からやってきて再びあたしは身構える。
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