糸と蜘蛛

犬若丸

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1章 神様が作った実験場

ずれ 2

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 そんな中、不意に瑠璃が足を止め空を見上げる。
 数が少ないとは言え鬼は出るのだ。なるべく立ち止まらないでほしい。それでなくとも歩調は瑠璃に合わせていつもより遅いのだ。
「蝶がいたの。黒い蝶」
 不満なのがカンダタの顔つきでわかったのだろう。瑠璃が空を差して言うが、その空に蝶はいなかった。
「地獄っておかしなものばかりね。文字は反転しているし、おかしな人間もいる」
 冷やかすような目線がカンダタを捉えた。目線の意図は読めないが、馬鹿にされているのがわかる。
 カンダタは眉間に皺を寄せた。何度もお手間ないで早く来るよう促す。
「早く行きましょ」
 詫びもない態度。大きな息が口から流れた。無意識に出たものだった。
「言葉よりも多弁な溜息ね」
 小言にも皮肉にも捉えられる台詞にカンダタはまた溜息をついた。今度は何も言わなかった。
 車の隙間を進んでいくとまた瑠璃が立ち止まる。
「ハク?どうしたの?」
 カンダタが振り向けば瑠璃がこちらに目線を向けず、何もないところを見ていた。虚空を見つめているわけでもなく、焦点は1つを捉えているようだった。
「ハク?」
 それは誰かを呼ぶ声だった。
「そんなに騒がないで。何よ、文句あるの?」
 彼女の目線を打ってみるもやはり何もない。会話をしているのか、それとも大きな独り言だろうか。
「そこで吠えてればいいわ。あたしは行くから」
 声が出ないのだが、それ以前に言葉が見つからない。歩き出した瑠璃を困惑した表情で凝視していた。
「何してるの?急ぐんでしょ」
 それはカンダタに向けられた言葉だった。こちらに目線を向けているので間違いない。口調が速くなっているのは苛立っているからだろう。カンダタにはその原因すら見えず、唖然とするしかなかった。
「何よ」
 疑わしい目つきをしていたからだろう。瑠璃は文句あり気に言ってきた。
「何もないなら行くわよ。急いでるんでしょ」
 苛立ち、カンダタを越していく。困惑がありつつも道のわからない瑠璃の為に彼女が背負うように歩き出す。
 それも束の間で瑠璃はまたが立ち止まり、また宙を見る。
「今度は何?」
 先程よりも荒げた口調だ。突然立ち止まり、知らないうちに不機嫌になっている。
 瑠璃はこちらに背を向け、苛立ちを隠さずに宙に向けて話しかけている。
 カンダタは当惑したまま彼女の背中を見守る。
 すると、突然にして瑠璃が尻餅をついた。突風吹いたわけでもない。立ち止まっていたのだ。どうやって転倒したのかわからない。
 後方に倒れる瑠璃の揺れる金髪を掠めていったのは黒光りする鋭い風だった。その風は車の影に隠れており、今か今かと鉤爪を尖らせ待っていた。
 風の正体が鬼だと理解するまで数秒かかった。それほど鬼には速かった。たまたま倒れていなければ今頃彼女の頭はなかっただろう。
 獲物を逃した鬼は巨大な鉄の箱の上に着地すると悔しそうに声を荒らげ瑠璃を睨んだ。
 カンダタは瑠璃から鬼へと視線を移す。頭に浮かぶ選択は逃避しかなかった。瑠璃という丁度いい餌もある。神田だけなら逃げ切れる自信もあった。
 彼女は恐怖のせいか尻餅をついたまま立ち上がろうとしない。鬼が箱から跳ぶ。同時にカンダタも動いた。
 もう一度瑠璃を狙って跳んだ鬼の横腹に目掛け、カンダタは肩をぶつけた。体当たりによって鬼はあらぬ方向へ転がり、その間にカンダタは瑠璃の襟首を引っ張り上げた。
 襟首を掴まれるまで呆然としていた瑠璃は無理に立ち上がる。本能が動いたのだろう。足に力が入り、腕を大きく振るい、走り出した。
 瑠璃はカンダタの先を行っている。道がわからないはずなのに彼女の足は目的地をを知っているように迷いがなかった。
「ハク!どこ行くの?」
 叫んでいたが、カンダタにはよく聞こえなかった。カンダタが意識していたのは迫ってくる鬼であった。
 1体であったはずの鬼が3体に増えている。物陰に隠れていた鬼たちが出てきたのだろう。
 高速道路の分岐点を降り、背の低い車から道路を隔てる塀をよじ登り、そこから跳ぶように落ちた。
 カンダタも迷いなく、飛び落ちる。その先にはトラックがあり、荷台には天幕が張っていた。なので、それなりに高さのある所から落ちたとしても怪我の心配はなかった。
 しかし、瑠璃がそれを知っていたかのように飛び落ちたのが疑問だった。右も左もわからないはずだ。
 荷台に着地した瑠璃は天幕の中に入る。これもカンダタが長年培って得た鬼をやり過ごす術だった。
 鬼は下に降りようとせず、塀の上から嗅ぎ、臭いでカンダタたちを探す。天幕に隠れた2人を見つけることが出来ず、やがて諦めてその場を離れた。
「白い隣人が教えてくれたのよ」
 なぜ知っていたのか。不審な目をしていたのだろう。瑠璃は詳しく説明せずそれだけ言った。
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