糸と蜘蛛

犬若丸

文字の大きさ
上 下
508 / 617
5章 恋焦がれ巡る地獄旅行

逃走の果て 3

しおりを挟む
 すでにあたしは走り疲れていて、脚も体力も限界が来ていた。息切れが激しい意識の片隅で、あたしが出したメッセージにカンダタは気付いているのか心配になった。
 それがあたしの最後の希望だった。



 姿見を抜けたその先もビルのコンクリートが続いているものだと思い込んでいた。
 足の感触が捉えたのはツルツルと滑りそうな大理石だった。
 白と黒のタイルで敷き詰められた大ホール。現代のオフィスビルとは似てもにつかない、中世で舞踏会でも開いていそうなダンスホール。高い天井には巨大なシャンデリアがつるしてあった。
 ダンスホールで立つあたしと清音を見守るのは壁にかけられ並ぶ鏡で、それらは1枚の例外もなくあたしたちの姿を映す。そして、もう1人の少年も鏡の中にいる。
 鏡の中にしか存在しない赤い瞳の少年は清音にぴったりとくっつく。頬は赤紫に腫れていて、その痛みを八つ当たりするようにあたしを睨んでくる。
 立ち止まった清音は踵を返して、被っていた兎の被り物を外して投げ捨てるとあたしたちが入ったばかりの姿見を倒す。姿見は大理石の床によって簡単に砕けた。
 清音はバラバラになった姿見を見下ろす。その後ろ姿をあたしは見つめていた。垂れた髪で顔が隠れている。口角の上がった唇しか見えない。
「しばらくは、誰も来れないね」
 あたしはジリジリと後退して清音から距離を取ろうとする。
「逃げてちゃ駄目だよ」
こちらに視線を向けているわけでもないのに清音は静かに制する。あたしは身体を硬直させ、ハクがあたしを庇うように立ちはだかる。
「二人っきりでお話ししたかったんだよね?今ならできるよ」
 清音は身体の向きを変えて、あたしに向けて腕を広げた。
 髪で隠れていた頬か露わになる。
 黒い蝶の模様が清音の青白い肌ではためいていた。
 今更、驚きはしなかった。清音が黒蝶化していたのは第7層にいた時点に彼女から正体を明かした。
 いや、あそこは第7層じゃなかったわね。
 光弥が吐いた嘘は一つだけ。階層の数字。第7層だと言われてアホにも騙されそうになったけれど、あたしが見てきたものとは違っていた。
 あたしたちは第7層から上がってきていると勘違いしていた。
 光弥が蝶男と繋がっているのは間違いない。光弥が清音のことをどこまで知っているのかはわからない。
 あたしは固唾を呑んで口を開く。
 「だったら、さっきの質問に答えて」
 腕を広げても受け入れられないとあたしの態度から知り、清音は首を傾げる。そして、あざとい仕草で指先を頬に乗せてわざとらしく目を泳がせる。
「質問?なんだっけ?」
「蝶男のところに連れて行くのがあんたの目的かって聞いてんのよ」
「目的なんて、利己的なものはないよ。お喋りしたいだけだよ」
 あくまでも答えるつもりはないらしい。本題に入りたいのに入れない。あざとく見せる清音に苛立ちは最高潮に登る。
 拳を握り、衝動的になりそうな怒りを堪える。
「なら何?インスタ映えするパンケーキの話でもする?」
「いいね!パンケーキ!私も大好き!あ、でも最近カヌレもハマってるんだよね」
 今の清音は蝶男が操ってる。あいつは流行のグルメなんかで盛り上がらない。
 この無駄話にも時間稼ぎに過ぎない。あいつは何かを持っている。
 ケイじゃない。激昂したケイならあたしを殺しかねないけれど、そうだとしたら姿見は壊さない。
 あたしは一歩下がる。何が来てもすぐ逃げれるように。
「逃げていいの?」
 猫撫で声の口調が低くなる。たった一言。なのに触ろうとした脚が束縛される。
 物理的に縛られたわけじゃない。これは心理的なもの。
 彼女の低くなった声、変わらない笑み。彼女の雨と空気は気温が下がり、それがこちらにまで流れてあたしを凍らせる。その冷たい空気が怖い。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...