糸と蜘蛛

犬若丸

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5章 恋焦がれ巡る地獄旅行

逃走の果て 2

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 今まで焦らされた怒りを抑え、強気に口角を上げる。
「安心はできるわよ。あたしだけね。すぐに逃げ道は見つかる」
 白糸が覚醒していたと知ってたのはついさっき。
 幾つも張り巡らされていた糸。前の層で目覚めた時から見えていたそれは道標としてあたしを導いていた。
 あたしが脱出口を求めれば、無数の糸が集結する。集まった一本の糸を辿れば脱出口に着く。
「一人で行っちゃうの?私たちを置いて?」
 複数形を使ってきた。これでも脅しているつもりらしい。
 あたしの隣にいるハクは牙を剥き出して、いつ襲ってもおかしくない。けれど、それは相手に触れられないと役に立たない。
 これでもハクは堪えている。今すぐにでも清音の喉元を噛みちぎってやりたいのを必死に耐えて威嚇だけで済ましている。
 それなのに清音は首を傾げて上目遣いで納得させようとしている。潤んで煌めく両目を潰してやりたいのを奥歯を噛み締めて堪える。
「ほらケイだってあんなに怒ってる」
「るううううりいいいいいい」
 清音がケイの名を出すとタイミングを狙ったようにケイの怒声が響いた。
 追いついたの?
 鉄夫人にやられたものかと思ってた。
「私たちは協力するしかないんだよ。だから、ね?」
 清音の右手はあたしの左手を取って自分の方へと引き寄せる。
 あたしの後頭部に手を回して付けていた仮面の紐を解く。もう片手で頬を撫でながら項まで滑らす。項に触れる手がくいっと押されると吐息が耳たぶに触れるほどに近寄った。
 ゾクゾクとした不快さが背筋に感じる。
 笑みを含めた息を吐いたあと清音は囁く。
「いくら強がっても可愛いくなるだけだよ。瑠璃ちゃんには選択肢がないんだから。ほら、あの子泣きながら望んでる」
 こうやって話している間にもケイが迫っている。
「私と一緒に行こ?」
 媚びて目を細める清音に対して瑠璃は睨んで歯を噛み締める。
 清音はあたしの左手を握ったまま、その手を引いて走り出す。
 鐘は鳴り、纏う空気は振動を始める。崩壊するビルの中で2人は手を繋いで走る。コンクリートに亀裂が走り、背景が分裂する。
 一緒に行こうと手を引く清音は煌めく花々を咲かせたような笑顔で、その瞳は恋に恋する乙女のそれと同じだった。
 清音には壊滅的な背景でも煌めいているらしい。
「瑠璃ぃっ!待てぇっ!」
 振り向けばケイがあたしたちを追いかけてきている。崩れるコンクリートの少ない足場を跳んでいく。
「どこにつれていく!」
 ケイの目にはあたしが清音を連れ去っているように見えるらしい。
 どこをどう見たたらそう見えるのよ。
 あたしは苦虫を噛み潰したような渋い顔になった。正直、清音の手を振り払いたい。
 それができない理由がある。
「追いつかれるわよ。あっちは並外れた猫であたしたちは女子高生よ」
 あたしの苦言に対して清音は答えない。代わりに握る手を強くする。安心を与えるというより逃げるなと脅迫のメッセージを彼女の握力から受け取った。
 ケイの肺活量は底が無く、怒声は途切れることなく続く。遠くから聞こえていたそれが近づいて、そして明確になる。
 ケイはあたしを敵だと認定していた。獲物を手っ取り早くとらえる手段として「物を投げる」を選択した。
 逃げ出す囚人が多くなりつつある廊下。その中で床に転んだ囚人の片足をケイは拾いを上げると、そのままそいつを投げてきた。
 投げられた囚人はあたしの頭上を過ぎて、清音の前に頭から落下して呆気なく骨が折れた。
 清音は驚いた様子もなく、逃亡劇を楽しむ乙女の笑顔を保ったまま、首が折れた死体を避けて通る。
 囚人一人では物足りないみたいで、ケイは怒りのままに人を投げてくる。感情任せの投擲だから命中率はゼロに近い。
「あははっ!怒ってるね!捕まったら瑠璃はすぐ殺されちゃうかも!」
 清音は恍惚な笑い声でわざとらしく不安を掻き立てる。
「でも安心して!私がそうさせないから!私が連れて行くから!あいつらには渡してやらないから!」
「それがあんたの目的?」
 あたしをある場所に連れて行くのが目的らしい。蝶男がいるところか、それともまた別の場所か。
 やっぱり、清音はあたしの質問には答えない。廊下の突き当たりにある給湯室に入り、そこにある姿見を潜る。
 あたしの背後で瓦礫が崩れ落ちる音を聞き、次のビルに移る。コンクリートを踏んだ瞬間、鐘が鳴り、崩壊が始まった。
 足場がなくなる前に足を走らせ階段を上る。清音が向かっているのは屋上ね。
 下の方からケイの怒声が聞こえてくる。前のビル崩壊で巻き込まれてくれればよかったのに。あたしの期待はとことん外れる。
「これが最後だよ。頑張って」
 清音が言う。錆びたドアノブを回す。
 屋上に続くドアが開けばビルの崩壊を繰り返す灰色の風景が広がっていた。
 ビルの崩壊は豪快で騒がしいものなのに、あたしの目の前にあるものはそれとは真逆の静寂を語っていた。
 寂寞とする屋上の中央。異質に立っているのは姿見だった。
 ケイの怒声が近づいてきている。清音はあたしの手を引いたまま最後の姿見を潜る。
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