糸と蜘蛛

犬若丸

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5章 恋焦がれ巡る地獄旅行

温室栽培 8

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 あたしが目覚めた時、ボウルの中にいたのは後で調理する為で、あの棍棒はその為に使うための調理器具。
 棍棒で何度も潰される想像が安易に浮かんだ。
 あたしは叫んだ。
「走って!」
 それを合図にして、あたしたちは走り出した。
 巨人も食器から逃げた食材に憤慨して、鼻息を荒らげる。毛と肉がこびりついた棍棒を手に持ったまま大股で向かってくる。
 棍棒を大きく振りかぶり、調理台を叩きつけた。大きな振動が調理台に広がって、あたしたちは軽く弾かれて転がる。
 床に這いつくばり、そこから立ちあがろうとすると頭に強い電撃が走った。慣れてきた頭痛が強い波となってあたしを襲う。
 頭上に影が落ちる。大きな手のひらがあたしたちを握り潰そうとしていた。
 今すぐにでも立たないといけないのに頭がぐらぐらして平衡感覚が保てない。手の影が濃くなり、あたし自身がそれに覆われそうになる。
 ハクがあたしの腰に腕を回して抱き寄せたかと思ったら次の瞬間には投げられていた。巨人の手は空回る。
 あたしは受け身をとる余裕もなくて、地面に転がった。うつ伏せになったあたしの横を清音が通り過ぎる。
 頭痛の余波は残るも平衡感覚を取り戻せた。立ち上がって清音の後を追う。
 小人を捕えられない巨人は更に興奮して、小麦粉が入った袋を握り、それを清音めがけて投げつけた。
 袋は的を外して、茶紙の包みは破かれる。破裂して飛び散った小麦粉があたしと清音を白くまぶされ、粉が喉に引っかかり咳き込んだ。
 小麦粉が白い煙幕になったおかげで巨人はあたしたちを見失う。
 巨人の耳は小人の咳に敏感に反応して、白い煙幕を薙ぎ払う。飛んできた棍棒をあたしはうつ伏せになって難を逃れる。
 少しだけ開けた煙幕の隙間で清音が棚を登り始めていた。
 舞い上がった煙幕は再びあたしを隠し、もう一回立ち上がり、駆け出す。けれど鬱陶しい頭痛のせいで全力は出せない。
 巨人は苛立って、棍棒で何度も調理台を叩く。モグラ叩きのように周囲を構わず打ってくるから立っているのさえ困難になる。
 後ろから走ってきたハクが追いつき、逃げられずにいたあたしを担ぐ。次々と振り落とされる棍棒をかいくぐり、食器が並ぶ棚を登る。
 巨人は煙幕の中にまだ小人がいると思い込んでいて、獲物が見えないモグラ叩きを続けている。
 それを傍目に棚を登り切り、そこであたしを待っていた清音がいきなりしがみついてきた。ハクは二人分の重量を抱えたままダクトの中へと身を投げた。
 タクトの中は垂直ではなく、滑り台のようになっていて、鉄臭いウォータースライダーの中を滑っていくようだった。
 ただ、傾向が高いから滑っていく速度もどんどんと上がる。身の危険を感じた。しかも、それが長く続けば続くほど危険信号は強くなっていく。
 清音はあたしにしがみついたまま離そうとしない。ハクも同じで、あたしを抱きしめていたいけれど、白の場合は守ろうとしての行動だった。
 2人と1匹が塊になって凶悪な滑り台に身を任せていると薄暗い光が差した。出口ね。
 出口と認識したのも束の間で、気が付けばあたしたちは宙に放り出されていた。
 ダクトを抜けた先には身を受け止める床がなかった。天井に設置されたダクトから放り出された。
 狭くて四角い部屋に鬼どもが密集し、黒く蠢いて落ちてくるあたしたちを待ち侘びていた。
 無数の鬼に食い散らかされる。
 危険信号は確かなものになって、身の毛が弥立つ。
 そうした最悪な結末を阻止したのはハクで、細腕を伸ばしてダクトの縁を掴む。あたしはハクにしがみついて清音はあたしにしがみつく。側から見ればなんともおかしな状況。
 ぶら下がったまま、足元の風景を眺める。
 密集した鬼たちは窮屈そうに隣同士を押しあげたり、されたりを繰り返す。
 床とダクトまでは高さがあるから容易には登れない。それどころか餌がダクトにぶら下がっているのに登ろうともしない。
 ハクは2人分の重さを肩にぶら下げたたまま、鉤爪を突き刺してダクトの外側を登る。そうしてダクトから天井のパイプまで移動していく。
 ダクトと違ってパイプは平面に伸びていて、3本ぐらいで列を作っていた。これも巨人サイズに合わせてあるからその上に立つことができた。
 一先ず安全だと判断した清音は疲弊しきった溜め息を吐いて、膝をかかえて座り込む。
「あら、惨めに泣きわめかないのね」
 あたしが嫌味を言っても清音は気にした様子はなかった。むきになって返す気力は無いみたいね。
「慣れてきた、かな」
 そう言った清音の目は遠くを見ている。
「それは良かった。ならそこでゆっくりじっくりと休むといいわ」
 あたしは背を向けて、タイプの上を歩く。
「ま、待ってよ」
 急いで立ち上がってあたしのについていく。清音の視線や仕草は不安を表していた。
 視線を向けるのは密集する鬼だったり、あたしの行く先だったり様々だ。
「ねぇ、どこ行くの?」
 あたしは何も言わずに指を差す。その先はパイプ菅の列の先を示している。
 パイプはどうやら隣の部屋にも繋がっているらしくて、パイプを通す穴が天井の壁に空けられていた。
 あたしたちでも通れるほどの大きさをしている。このままパイプを歩いていけば隣の部屋に行けそう。
 気をつけなきゃいけないのは古く穴の開いたパイプから時折吹く蒸気ね。
 プシューと上がる白い煙の熱気はこちらにまで来る。少しでも触れたら大火傷になりそう。
「あそこだと、カンダタさんに会える?」
「知るわけないでしょ」
 清音の質問を一刀両断する。
 ガタゴトと騒々しい音がどこからか鳴り、見渡してみればあたしたちが滑り落ちたダクトから血生臭い肉団子が3、4個落ちた。
 眼下の鬼たちはそれを待ち望んでいたようで、お互いを踏み台にしてまで肉団子を食べようとする。そのせいで肉団子の落下地だけ三角の黒い山が出来上がっている。
「ねぇ、あの肉団子って」
「わかっているなら言葉にしないほうがいいわよ」
 清音の言葉を遮る。
 農夫の格好をした巨人は人間果実を棍棒で潰していた。つまり、調理していた。
 鬼の餌になるものを作っていたのね。
 あたしたちがいるのは鬼の餌場。
 木造の天井には筒状の何十本ものパイプが列を作って縦横に並んでいる。あたしたちが落ちてきたダクトからは肉団子が次々と転がってきて鬼たちを喜ばせている。
 鉄臭いのは肉団子のせいだけじゃなさそう。パイプやダクトには錆がこびりついて、木材の天井・壁にはカビが目立つ。
 それだけじゃなく、腐って落ちた木板、何に使われていたか不明な荒縄。そういったものがパイプの上に落ちている。
 パイプの錆だらけのもので頼りなく、管の中の空気が通るだけでも大振りに揺れる。
 ありがたいのはこの餌場でもあたしたちは小人サイズで横に並ぶタイプは隣の隙間が狭いから足を踏み外してもよほどのことがない限り、下には落ちないこと。
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