糸と蜘蛛

犬若丸

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4章 闇底で交わす小指

決断 2

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 キケイの目蓋に溜まっていた涙が落ちる。
 いよいよ泣くと強張る。しかし、キケイは下唇を噛んで泣くのを堪えた。
 カンダタを抑えつけていた手が退かされたと思えば胴を掴む。
 焦ったのは一瞬だけだった。優しく握る手には敵意がない。欠陥した2本の脚で匍匐を始める。
 そこで運ばれているのだとカンダタは気付く。周囲は子取りの泥に囲まれている。キケイはそれをわかっていて、カンダタを運んでくれているのだ。
 貝紫の泥はキケイにも影響を与える。肌を炎症させ、手や脚は爛れていく。止めるように声をかけるが、キケイは下唇を噛んだまま応えなかった。
 キケイが匍匐を始めた時にはすでに子取りは裂いた天井の中へと戻っており、巨大な赤子の姿はなくなっていた。
 子取りがいなくなれば、癇癪を起こす子もいない。裸体の女性たちは瑠璃と共に子取りに攫われていった。静かな胎動の音が戻り、カンダタの心臓は緊迫して高鳴る。
 裂かれた天井まで来るとキケイはカンダタを持ち上げ、中へと入れさせてくれた。
 「ありがとう」
 すまなかった、と続けようとして口を閉ざす。自分の罪悪感ばかりを押しつける自分に嫌気が差す。
 「上がれるか?」
 キケイは身体を伸ばし、裂け目に手をかけるも、やはりその脚では上がれそうにない。
 「る、るる、るう」
 また置いていかれると愚図りそうな声を上げる。
 「瑠璃を連れて戻る」
 早口でそれだけ言い残し、去ろうとする。焦るカンダタにキケイは小指を伸ばす。
 急いでいたが、キケイを無下にも出来ず、仕方なくキケイの赤子とは思えない太い小指を握った。
 そうするとキケイは少しだけ安心したように表情を緩める。
 紅柘榴とカンダタとの間でできたあの子も、こういう顔になるのだろうか。
 ふと、そんなことを考えた。
 天井の裂け目に入るとそこはブドウコが密集したような構造になっていた。壁や天井、床に紅梅色の粒がところ狭しと詰められている。
 床は平坦ではなく、凸凹しており、ブドウコが積まれ、三角の小さな山がいくつかたっている。
 子取りの姿はないが、探す手間は省けそうだ。ブドウコの上に貝紫色の泥が点々と連なり、子取りが歩いた道を示す。
 瑠璃たちの前に現れた子取り。あれが蝶男の仕業ならば、この後の行動は予想できる。恐らく、胚羊水から脱するつもりなのだ。
 カンダタの子、十手、瑠璃と蝶男が欲しがっていたものが揃ったのだ。留まる理由が思い付かない。
 キケイよりも巨躯な子取りは足が遅い。走れば追いつく。
 不安となるのは子取りに呑まれた瑠璃だ。河原の子たちに会ってから同情的になっている。
 その気持ちはわからなくはないが、危うい。清音のように呑まれてしまうかもしれない。今は、瑠璃の精神力の強さに託すしかない。
 子取りが残した泥を辿っていくうちにその跡は不審な部分が多くなった。
 最初は小粒の点が連なっているだけだったのが大粒のものになっていき、しまいには飛沫のように激しく、引きずった跡になる。
 怪我をしている。不審な跡から推測できたのは何かに襲われ、傷を負ったということだけである。子取りに怪我を負わせられるとしたら蠍の鬼だろう。
 その跡を訝みながら進んでいくと鱗が半分剥がれた大蛇が横たわっていた。痛々しい皮膚には刃で斬りつけられた痕が残っている。
 大蛇の胴が僅かに上下している。まだ生きているようだ。
 胴から頭のほうへと回ってみると大蛇と目が合う。弱い呼吸とは違い、熱を滾らせた瞳は「無念だ」と語っている。
 その目を見つめていると闇の向こうから金属と金属がぶつかり合う音が聞こえてきた。
 それが蠍の鬼が鳴らすものだとわかるとカンダタは駆け出していた。蠍の鬼の近くに子取りもいると確信があった。
 闇の中を走っていくと蠍の鬼と子取りが浮かんできた。逃げようとする子取りの腰を鬼の鋏が捕らえ、赤子の身体を横倒しにする。
 子取りが悲鳴を上げる。蠍の鬼は追い打ちをかけるように鉄の腕を振り降ろす。キケイは痛みで更に甲高い声を上げた。
 乱闘とは言えない。虐待だ。
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