糸と蜘蛛

犬若丸

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4章 闇底で交わす小指

生命になれなかった子たち 1

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 暗くて冷たさい川に落ちたのに暖かい光とドクンドクンと穏やかで力強い音にあたしは包まれていた。
 「ピンクの靴下にピンクの帽子。ピンクばっかりじゃない。困ったパパねぇ」
 「だって可愛いだろ?絶対に似合うね」
 羊水に包まれて、振動して聞こえてきたのは夫婦の幸せな会話。
 「早く会いたいな」
 「まだ5ヶ月よ」
 妻は呆れつつも笑う。彼女も彼と同じ期待を胸に秘めていた。
 胎児が腹を蹴った。羊水が揺れ、胎動が呼応する。
 「今蹴ったわ」
 「あぁ、伝わった。ひなもパパとママに会いたいんだな」
 声が弾んで笑い合う。彼らには大きな希望があった。
 胎内の命がどんなに小さくても彼らにとっては何に変えても守りたい大きな希望。
 それが絶望に塗り替えられる。
 妻のすすり泣く声が胎動の止まった静寂に響く。そこに夫の優しい声が重なる。
 「辛いけど摘出しないと」
 「摘出って何?物じゃないのよ!」
 その優しさも妻には残酷に聞こえた。悲鳴に近い怒声をあげる。
 「嫌よ!まだいるもの!お腹にいるもの!」
 「ひなは死んだ。あの子の魂はどこにもいない」
 「そんなことない。まだいるもの」
 夫は優しく、それでいて残酷に諭す。鼓動のない胎内で彼女の嘆きだけ聞こえた。
 あたしの意識は深く沈んでいった。
 胎内の闇底に落ちる感覚がする。
 妻の嘆きは遠ざかっていく。胎動も消え、静寂に漂う。そして、次に聞こえてきたのは幼気な子供の呼びかけだった。



 「おねえちゃん?おにいちゃん?」
 あどけない子供の声。
 「こんなとこでねたらあぶないよ。おにが来ちゃうよ」
 砂利の感触がする。身を捩り、上半身を起こす。それからあたしたちの前で佇むそれに目を丸くする。
 「起きた?」
 純朴に首を傾げていたのは皮と鼻、目のない赤黒い物体。危険本能が真っ先に表れる。
 砂利に腰を落としたまま後退する。
 「後ろ、あぶないよ。ようすいの川あるから」
 後退をやめて後ろを向くと黒い川が流れていた。あたしの隣にはカンダタが仰向けになって倒れている。
 「ようすいの川はね、色んなとこ行っちゃうの。びょういんとかおにのとこにも」
 あたしは羊水の川を見据えながらここに来る前の出来事を思い出していた。
 廃病院から蠍の鬼と屍人から逃げる為に川に落ちた。それから、流れに身を任せていたら、奇妙な夢を見た。
 胎内の暖かい羊水に包まれて安心していた。そんな希望が絶望に変わる夢。
 夢と言い切るには妙にリアルだった。
 「だいじょうぶ?」
 赤黒い子供が傍に寄ってきて顔色を伺う。
 廃病院にいた子とは違う。あたしの前に立つその子は赤子よりも成長した4、5歳ぐらい子供だった。そして、コミュニケーションがとれる。
 「あなた、なんなの?」
 「ぼくたちに名前はないよ。生命になれなかった子たちってだれかが言ってた」
 「大人しいのね」
 襲ってくる気配もなく、あたしを「お姉ちゃん」と呼んでいた。胎児の恨みと願望からできた世界だから、子供たちは構わず襲いかかると思ってた。
 「おねえちゃん、びょういんから来たの?」
 頷くと子供の目のない両穴が垂れ下がる。
 「ごめんね。びょういんの友だちは会えなかったからさみしがってるんだ。でも、わるく思わないで?」
 「こっちは襲われてんのよ。許せるはずないでしょ」
 つい、いつもの口調できつく言う。子供は肩を落とし、俯く。
 小さな身体が更に小さくなって居心地が悪くなった。
 やめてよ。罪悪感を刺激してこないで。この子だって人じゃないんだから。
 あたしは泣きそうな子供を無視して気絶しているカンダタの肩を揺さぶる。
 すると、カンダタが苦しそうに呻いた。
 背中あたりの砂利から赤い染みが広がっている。出血してるわ。
 あたしはカンダタを裏返して怪我の具合をみる。
 意識はあるみたいね。深傷だけれど、白糸で塞げる。いや、ひと思いにとどめを刺したほうが早いかしら?
 カンダタは亡者だから二度と死ぬことはないけれど、傷が癒えることはない。殺して身体の全機能を止めないとなくならない。
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