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3章 死神が誘う遊園地
十如十廻之白御魂 9
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愚行だったと翡翠は自らの行動を振り返る。だが、愚行だと評しても後悔はなかった。
既に死んだ人間を生かそうと果敢に挑み、自身が消滅してしまえば元も子もない。カンダタさんが負傷したとしても翡翠が止めを刺せば済む話だった。
なのに、翡翠は噛みついた。賢い理性の訴えを無視して噛みついた。結果、頭を撃たれた。核を破壊されたのだ。もうじき翡翠は消える。
自身の消滅に恐れはない。お父様が望んだ娘にはなれなかった。翠玉も消えてしまった。存在理由を取得できなかった。だから、もういいのだ。もういい。
1つだけ消滅してしまう前に成さなければならない。
翡翠は袖に仕舞ってあるケースに手を運ぶ。自分の腕なのに鉛のようだ。袖から出しても握力が力尽き、船板の床に落ちる。
深呼吸を3回繰り返し、鉛の腕を動かす。ケースの蓋を開ければ緑の液体が入った注射器があった。
これは翠玉に使うはずだった修復剤だ。持ってきてよかった。
指の関節を折り、注射器を持とうとする。それだけなのに握力が足りない。
崖の縁が近づく感覚がする。消滅のタイムリミットが聞こえてくるようだ。
再び、深呼吸をする。崖が崩れてるよりも先にこれをカンダタさんに打たないと。
残されたわずかな力を手の筋力に注いだ。
カンダタさんが吐血して高い呼吸音がさらに激しくなる。唇の動きから「駄目だ」と言っているのが分かった。それは翡翠に使えと訴えていた。
翡翠は間に合わない。それよりもカンダタさんに打てば、死を待たずとも傷は消え、いち早く身体を動かせる。そんなこと彼もわかりきっているのに。
この人は矛盾している。それが翡翠の第一印象だ。その印象は今も変わっていない。
独房で全てを諦め、少女の願いにも立とうとしなかった。それが紅柘榴の隠された真実となると活力が蘇ったかのように立ち上がった。真実を知ったとして、紅柘榴に会えるわけでもないのに。
“それでも生きてきた”
あれはまるで自分自身の言ったように聞こえた。結局、カンダタさんも諦めたフリをしていた。死んだフリをしていただけだ。
もういいと言ってしまう翡翠とは違う。
諦めたくても諦められない。死にたくても死にようがない。そうやってもがく彼だから「もういい」といってしまう自分にはなってほしくなかった。
カンダタさんを助けたいと想うのは翡翠の我儘だ。
翡翠は注射器の針をカンダタさんの胸に刺した。
肺に空気が溜まり、正常に吐き出された。浅かった呼吸は深く深く空気を吸い込み、噎せた。
カンダタは自身の上で横たえる翡翠に腕を回し、共に起き上がる。
身体が重い。咳が止まない。翡翠に呼びかけたくとも声が出ない。
「早く、行って下さい」
翡翠が消えかけた喉で喋る。カンダタはゆっくりと呼吸をすると唾を飲み込む。
「なんで」
理由は聞かなくてもわかるだろうと翡翠は呆れたように笑う。
わざわざ聞くようなことでもない。だが、どんな理由があったとしても納得できない。一つの魂を犠牲にしてまで存在する覚悟をカンダタは持てなかった。
「おれは、おれは」
声が詰まるのは肺の空気が足りないわけではない。
「ちゃんと、生きて下さいね」
置いていく度胸もなく、かける言葉も見つからない。そこに翡翠が最後の力でカンダタに言葉を残す。到底、理解できるはずがない。
「俺は、もう死んでる」
それが事実だ。現世でも夢でもカンダタは亡霊だ。存在する理由さえない。
「どうして、でしょうかね、そう、言ってあげたくなったんです」
腹の底から湧く熱で血が沸騰しそうだ。心臓が激しく脈を打つ。項が痛い。
既に死んだ人間を生かそうと果敢に挑み、自身が消滅してしまえば元も子もない。カンダタさんが負傷したとしても翡翠が止めを刺せば済む話だった。
なのに、翡翠は噛みついた。賢い理性の訴えを無視して噛みついた。結果、頭を撃たれた。核を破壊されたのだ。もうじき翡翠は消える。
自身の消滅に恐れはない。お父様が望んだ娘にはなれなかった。翠玉も消えてしまった。存在理由を取得できなかった。だから、もういいのだ。もういい。
1つだけ消滅してしまう前に成さなければならない。
翡翠は袖に仕舞ってあるケースに手を運ぶ。自分の腕なのに鉛のようだ。袖から出しても握力が力尽き、船板の床に落ちる。
深呼吸を3回繰り返し、鉛の腕を動かす。ケースの蓋を開ければ緑の液体が入った注射器があった。
これは翠玉に使うはずだった修復剤だ。持ってきてよかった。
指の関節を折り、注射器を持とうとする。それだけなのに握力が足りない。
崖の縁が近づく感覚がする。消滅のタイムリミットが聞こえてくるようだ。
再び、深呼吸をする。崖が崩れてるよりも先にこれをカンダタさんに打たないと。
残されたわずかな力を手の筋力に注いだ。
カンダタさんが吐血して高い呼吸音がさらに激しくなる。唇の動きから「駄目だ」と言っているのが分かった。それは翡翠に使えと訴えていた。
翡翠は間に合わない。それよりもカンダタさんに打てば、死を待たずとも傷は消え、いち早く身体を動かせる。そんなこと彼もわかりきっているのに。
この人は矛盾している。それが翡翠の第一印象だ。その印象は今も変わっていない。
独房で全てを諦め、少女の願いにも立とうとしなかった。それが紅柘榴の隠された真実となると活力が蘇ったかのように立ち上がった。真実を知ったとして、紅柘榴に会えるわけでもないのに。
“それでも生きてきた”
あれはまるで自分自身の言ったように聞こえた。結局、カンダタさんも諦めたフリをしていた。死んだフリをしていただけだ。
もういいと言ってしまう翡翠とは違う。
諦めたくても諦められない。死にたくても死にようがない。そうやってもがく彼だから「もういい」といってしまう自分にはなってほしくなかった。
カンダタさんを助けたいと想うのは翡翠の我儘だ。
翡翠は注射器の針をカンダタさんの胸に刺した。
肺に空気が溜まり、正常に吐き出された。浅かった呼吸は深く深く空気を吸い込み、噎せた。
カンダタは自身の上で横たえる翡翠に腕を回し、共に起き上がる。
身体が重い。咳が止まない。翡翠に呼びかけたくとも声が出ない。
「早く、行って下さい」
翡翠が消えかけた喉で喋る。カンダタはゆっくりと呼吸をすると唾を飲み込む。
「なんで」
理由は聞かなくてもわかるだろうと翡翠は呆れたように笑う。
わざわざ聞くようなことでもない。だが、どんな理由があったとしても納得できない。一つの魂を犠牲にしてまで存在する覚悟をカンダタは持てなかった。
「おれは、おれは」
声が詰まるのは肺の空気が足りないわけではない。
「ちゃんと、生きて下さいね」
置いていく度胸もなく、かける言葉も見つからない。そこに翡翠が最後の力でカンダタに言葉を残す。到底、理解できるはずがない。
「俺は、もう死んでる」
それが事実だ。現世でも夢でもカンダタは亡霊だ。存在する理由さえない。
「どうして、でしょうかね、そう、言ってあげたくなったんです」
腹の底から湧く熱で血が沸騰しそうだ。心臓が激しく脈を打つ。項が痛い。
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