125 / 156
真相
君の名は、
しおりを挟む一度目の人生のとき、医者から胎児のエコーの写真を見せられて、不安は大きかったけど、でも、最初に思ったのがそれだった。
この子がいれば、僕は一人じゃない。
だから、産院から帰って来てすぐに、その文字を書いた。
それでも、今回ほど「この子と生きていく」という強い意志があったわけじゃない。頼れる人のいない、どうしてよいのかわからない状況で、現実逃避するかのような心境で書いた文字だった。
ジャケットの袖で目元を拭い、三間が話を続ける。
「気づいていたと思うが……、俺は……、高校生の頃から、佑美のことが好きだった。でも、その頃から忠さん……、忠さんは社長のことだけど……、忠さんと佑美は付き合っていて、俺は忠さんのことも好きだったし、二人といるのが楽しかったから、佑美のことは諦めていたんだ。でも、どうしても、誰かを抱く時は、佑美と重ねてしまっていた……」
一度目の人生のとき、僕を抱きながら彼女の名前を呼ばれたことを思い出し、繋いでいた手の力がゆるむ。その手を、ぎゅっと握り返された。
「そういう後ろめたさもあったし、普段のお前は俺に興味がなさそうだったから、ヒート事故のことはお互いになかったことにした方がいいんだろうと思って、その後、連絡を取ることもしなかった。一度目の人生であの記事が出たとき……、マネージャーから、お前が『売名のためにハニートラップを仕掛けたのかも』と言われた。俺に誘われて強引にホテルに連れて行かれたとお前が言い訳すれば、お前には同情票が集まる。そういう目で見れば、俺がお前を支えていたあの写真も、無理やり連れ込んでいるように見えてしまうからな」
「そんなこと……」
考えたこともありません――と言おうとしたところを、三間に、「わかっている」と視線で制される。
「お前に呼び出されて、俺に会いに行かせるための策略だったと、逮捕された後で気が付いた。夏希が植物状態で、お腹の子も生きているということは、拘置所にいたときから検察に聞いて知っていたんだが……。それまでのお前に対する態度や、マネージャーの言葉を鵜呑みにしたこととか、もしかしたら俺の所為で犠牲になったかもしれないとか……、そういうのをひっくるめると、罪悪感で押し潰されそうで……、お前に会わせる顔がなかったんだ……。でも、そのエコー写真の文字を見て、お前に会いに行こうと決めた。それからは、仕事も、少しずつ受けるようになったんだ」
「僕は……会いに来てほしくなかったですけどね」
不貞腐れた声で言う。
だって、意識のない植物状態だなんて、きっと、今以上に痩せて色んなチューブも繋がっていて、見るに堪えない状態だ。そんな姿を三間に見られたくはなかった。
「そんなこと言うな」
ははっ、と小さく苦笑し、三間は顔を寄せてきて、僕のこめかみにキスをした。
「……それでも……、大切なものを失くしすぎた俺にとっては、お前たちが希望だったんだ……」
僕の一番近い身内である叔父は、電話や郵送によるやり取りには応じるが、見舞いに来ることはなく、治療についても病院任せだったらしい。入院費は保険と高額医療の制度で賄われていた。
僕の場合の一番の問題点は、妊娠を継続させるかどうかだった。元々が健康なので、妊娠により著しく悪影響を受けているわけではないが、週数が進めば、徐々に影響が大きくなってくる。中絶可能な週数までに中絶させたほうがいいのではないかという議論が医療者の間でかわされたが、未婚で、一番の近親者の叔父も病院に来ない状況では、病院の判断だけでそれを決めることはできなかったそうだ。
そのまま妊娠が継続されれば、母体の生命力が尽きて母子ともに命を落とす可能性が高い。病院の倫理委員会で議論されて、妊娠22週を越えたところで、母体が手術に耐えうる全身状態なら、帝王切開で出産させるのが妥当じゃないかという結論に至った。
「22週ですか?」
「妊娠22週が医学的に生存可能な最低ラインらしい。妊娠24週以降で、正常な成長発達の見込みが大幅に高まるそうだ。見舞いに行ったとき、ベッドサイドで医者が説明してくれていた話が、ちゃんとお前にも聞こえていたんだと思う。お前は……、なつは……、24週まで、なんとか頑張ったんだ……。それで帝王切開で子供が生まれた一週間後に……、」
三間がふたたび声を詰まらせる。
僕の目にも、熱いものが込み上げてきた。
あの子が……、エコーの写真では卵みたいだったあの子が……、この世に生まれていたなんて……。
「なつは……、一度目の人生でも、ちゃんとあの子を守れていたんだ……」
湿った声で、けれど、力強く、三間が言う。
思わず、えへへ、と照れ笑いする。その間も、涙はひっきりなしに、瞼に込み上げては落ちていった。
未婚の場合でも、出生前に認知の申し立てができ、家庭裁判所が認めれば出生後の子の認知が可能になるらしい。僕との結婚も検討したそうだが、本人の意識がない状態では、法律上、それはできなかった。そのため、三間は生まれてきた子を認知し、父親になってくれた。
「名前も、つけてくれたんですか?」
「男の子だったけど、希望と書いて、『のぞみ』にした。……医者には、平均的な成長発達は難しいし、長生きもできないかもしれないと言われていた。その子は俺にとっても生きる希望だったし、例え短い人生でも、何か一つでも、その子の望みが叶えばいいと思って、その名前にしたんだ……」
2,396
お気に入りに追加
3,463
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。


【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。


それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。
まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。
転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。
ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。
「本当に可愛い。」
「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」
かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。
「お願いだから、僕にもう近づかないで」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる