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繰り返される悲劇
僕が死んだかもしれない日
しおりを挟む予想外にも、事務所名と名前を伝えたところ、用件を訊かれることもなく、すぐに社長に取り次いでもらえた。
アプローズの生みの親であるその人は、片桐忠之という。ホームページに写真と名前が載っていた。確か以前、三間が四つ上だと言っていたから、年は30歳のはず。
「柿谷夏希君だね。晴から君の噂は聞いている。今度うちに来るときは、一緒に連れて行きたいと言っていたよ」
受付から社長室に電話が繋がり、聞こえてきた声は、写真から想像した通りの理知的で穏やかな声だった。
お陰で、動揺を多少落ち着かせることができた。
僕は挨拶もそこそこに、「三間さんがテレビ局の非常階段から転落したかもしれない」と訴え、状況を説明した。最初こそ、社長が息を呑む気配を感じたものの、その後は、僕のしどろもどろの要領を得ない説明に、根気強く耳を傾けてくれていた。
「すぐに晴のマネージャーと連絡を取り、病院に搬送されているようなら僕も今から向かう」
片桐社長はそう言うと、状況がわかり次第、僕にも連絡をくれることを約束してくれた。
何も手につかず、ベッドに横になることもできず、狭い部屋でスマホだけを握りしめぐるぐる歩き回っているうちに、いつのまにか2時間ほどが経過していた。
静寂を破り知らない番号から着信が来たときは、片桐社長からの電話だと確信していたから、タップする指が震え、心臓が口から飛び出しそうなほど鼓動が速くなった。
「柿谷君だね。晴は無事だよ」
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた緊張が一気に崩れ、視界が滲んでいた。
テレビ局の非常階段で僕と電話で話していた三間が、何者かに背中を押され、階段から落ちたことは、僕が心配していた通りだった。三間は犯人の後ろ姿しか見ておらず、帽子をかぶっていたため、顔や髪型は見ていないらしい。
頭を強くぶつけ、事故の瞬間のことはよく覚えていないそうだ。今も少しぼーっとしているが、CT検査で脳に異常はないため、脳震盪と診断された。様子を見るために一拍入院することになったが、明日には退院できるだろうという話だった。
倒れこむ際に携帯電話を下の階まで落としてしまったため、破損して使い物にならない状態らしい。今は病棟ではなく救急センターの処置室にいるため電話はできないが、病棟の個室に移れば、社長の携帯を使って、少し話すこともできるだろうという。
「個室に移ったらかけ直すよ」と言ってもらったが、それについては丁重に断った。
会おうとさえしなければ大丈夫だと思っていたのに、電話をしただけで今の状況に陥った。
三間と少しでも接触すれば、また何か事態が悪い方向へ向かってしまう気がして怖かった。
「三間さんの無事を確認できたので、それで十分です。よろしくお伝えください」
それだけ伝え電話を切った後で、週刊誌の記事のことを謝罪し損ねたことに気づき、悔やんだ。
カーテンを開くと、鉄格子の嵌った窓の外は、既に日が落ち、辺りは薄暗くなっていた。
気が緩んだせいで、一日分の気疲れが一気にどっと押し寄せて来る。
――もしかして……、一度目の人生でも、狙われていたのは、僕ではなく三間さんだったのだろうか……。
ビルに切り取られた空の、名残の朱色を眺めながら、初めてそんなことを思った。
一度目の人生で僕が死んだかもしれない日が、終わりを迎えようとしている。
このまま何事もなく今日を終えたら、「乗り切った」と言えるのかもしれない。でも、「乗り切れてよかった」とは微塵も思えなかった。
……大丈夫。絶対に、大丈夫、だから…………。
お腹に手をあて、僕は何度も自分にそう言い聞かせた。
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