上 下
88 / 92
繰り返される悲劇

君を守りたい

しおりを挟む



「柿谷君」

 専務の呼びかけに、僕は俯かせていた顔をそろそろと上げた。
 普段と変わらない穏やかな眼差しが、正面から向けられている。

「これは、来週発売予定の週刊誌の記事だ。出版社から事前に掲載の連絡があり、原稿が届いた。普通はここまで丁寧に知らせてくれることはないけどね。セクシュアリティについては個人のプライバシーに関わる問題で、記事の内容に誤りがあってはいけないから、うちに事実確認の猶予をくれたんだろう。この記事に心当たりはあるかい?」

 それ以上専務と目を合わせることができず、再び顔を俯かせて、「はい」と小さく答えた。

「君にこれを見せたのは、君を責めたかったからではない。君を守るためだ」

 その声も、変わらず優しかった。

 雇用契約において性別を理由に差別することは法律で禁じられていること、第二性別を偽って申告したからといって契約違反ではないことを、続けて説明された。

 契約の際にベータだと嘘の申告をしたことについて、咎めないと暗に言われている。
 でも、だからといって、安堵は微塵も湧いてこなかった。

「もし、記事の内容が事実なら、これが掲載されたら、三間君は世間から批判を浴びることになるだろう。三間君と佑美さんがこれまで度々熱愛報道され、交際を否定してこなかったことで、彼らが付き合っていると思い込んでいるファンは少なくない。タレントの発情期ヒートを管理できていなかったということで、我が社も信用を失う。そもそも、最初から君がオメガだとわかっていたら、今回の役には起用されなかったはずだ。それだけでも、制作サイドにとってはかなりの誤算と言っていい」

 専務が、懇切丁寧に話をしているのはわかる。
 でも、その半分も頭に入って来なかった。

 状況を理解するにつれ、混乱が増していた。
 海外ロケ中の出来事を関係者の誰かが記者に洩らしたのならわかる。しかし、何故、それよりずっと前の、たまたま買い物帰りに三間と遭遇した日の写真や、ジムでの写真まで撮られていたのか。
 それに、旅行のことも。三間に口止めされていたので、少なくとも僕は、旅行に行ったことすら誰にも話していない。口止めした三間が誰かに話すとも思えない。

 まるで、僕がオメガだと発覚する以前から、誰かが僕たちの仲を疑い、秘かに証拠集めをしていたように思えてならなかった。

 それに何より、一番の混乱は、一度目の人生とほぼ同じ時期に、同じ状況に陥ってしまっていることだ。
 しかも、今回のほうが世間の心証は悪い。

 僕は結婚秒読みの恋人のいる人に横恋慕していただけでなく、ベータのふりをして視聴者まで欺いていたことになる。
 それに、前回は、二人で食事に行ったあとにラブホテルに入るところをスクープされたが、今回はロケ中の出来事だ。仕事の延長のような状況で、仕事仲間の目がある中で関係を持ってしまった。そのことに対しても、嫌悪感を抱く人は多いのではないかと思う。


 僕が考え込んでいる間も、専務は淡々と話を続けていた。

「君がオメガだったことや発情期ヒートをコントロールできなかったことで、映画の制作会社が損害を被った場合、うちに損害賠償を請求されるかもしれない。我が社としては、早急に事実関係を確認し、対応する必要がある。これから僕が訊ねることに、正直に答えてくれるね?」

 完全に血の気を失った顔を、そろそろと上げた。

 事務所から第二性別を訊かれた際、ベータだと偽っていたのに。
 専務のことも、ずっと騙していたのに。

 口元に微笑を浮かべた専務の柔和な表情は、一度目の人生ときと全く同じだった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

その部屋に残るのは、甘い香りだけ。

ロウバイ
BL
愛を思い出した攻めと愛を諦めた受けです。 同じ大学に通う、ひょんなことから言葉を交わすようになったハジメとシュウ。 仲はどんどん深まり、シュウからの告白を皮切りに同棲するほどにまで関係は進展するが、男女の恋愛とは違い明確な「ゴール」のない二人の関係は、失速していく。 一人家で二人の関係を見つめ悩み続けるシュウとは対照的に、ハジメは毎晩夜の街に出かけ二人の関係から目を背けてしまう…。

その日君は笑った

mahiro
BL
大学で知り合った友人たちが恋人のことで泣く姿を嫌でも見ていた。 それを見ながらそんな風に感情を露に出来る程人を好きなるなんて良いなと思っていたが、まさか平凡な俺が彼らと同じようになるなんて。 最初に書いた作品「泣くなといい聞かせて」の登場人物が出てきます。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。 拙い文章でもお付き合いいただけたこと、誠に感謝申し上げます。 今後ともよろしくお願い致します。

αなのに、αの親友とできてしまった話。

おはぎ
BL
何となく気持ち悪さが続いた大学生の市ヶ谷 春。 嫌な予感を感じながらも、恐る恐る妊娠検査薬の表示を覗き込んだら、できてました。 魔が差して、1度寝ただけ、それだけだったはずの親友のα、葛城 海斗との間にできてしまっていたらしい。 だけれど、春はαだった。 オメガバースです。苦手な人は注意。 α×α 誤字脱字多いかと思われますが、すみません。

泣くなといい聞かせて

mahiro
BL
付き合っている人と今日別れようと思っている。 それがきっとお前のためだと信じて。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。

番って10年目

アキアカネ
BL
αのヒデとΩのナギは同級生。 高校で番になってから10年、順調に愛を育んできた……はずなのに、結婚には踏み切れていなかった。 男のΩと結婚したくないのか 自分と番になったことを後悔しているのか ナギの不安はどんどん大きくなっていく-- 番外編(R18を含む) 次作「俺と番の10年の記録」   過去や本編の隙間の話などをまとめてます

出戻り聖女はもう泣かない

たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。 男だけど元聖女。 一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。 「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」 出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。 ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。 表紙絵:CK2さま

満月に囚われる。

柴傘
BL
「僕は、彼と幸せになる」 俺にそう宣言した、想い人のアルフォンス。その横には、憎き第一王子が控えていた。 …あれ?そもそも俺は何故、こんなにも彼に執心していたのだろう。確かに彼を愛していた、それに嘘偽りはない。 だけど何故、俺はあんなことをしてまで彼を手に入れようとしたのだろうか。 そんな自覚をした瞬間、頭の中に勢い良く誰かの記憶が流れ込む。その中に、今この状況と良く似た事が起きている物語があった。 …あっ、俺悪役キャラじゃん! そう思ったが時既に遅し、俺は第一王子の命令で友好国である獣人国ユースチスへ送られた。 そこで出会った王弟であるヴィンセントは、狼頭の獣人。一見恐ろしくも見える彼は、とても穏やかで気遣いが出来るいい人だった。俺たちはすっかり仲良くなり、日々を楽しく過ごしていく。 だけど次第に、友人であるヴィンスから目が離せなくなっていて…。 狼獣人王弟殿下×悪役キャラに転生した主人公。 8/13以降不定期更新。R-18描写のある話は*有り

処理中です...