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二度目のはじめまして

僕を殺したかもしれない人

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 あちらこちらでイルミネーションが煌めき、クリスマスソングが流れ、街に人が溢れる師走某日。世間の華やいだ雰囲気とは裏腹に、僕一人がこの世の終わりのような顔をして、民放テレビ局の一つであるJBS本社の一角にいた。

 テレビに出ることを生業とする者にとって、12月は稼ぎ時だ。各局で年末年始の特番の収録があるため、さして知名度の高くないタレントや芸人にも数合わせのために声がかかる。
 かく言う僕、柿谷夏希かきたになつきも、俳優2年目の今年はいくつかオーディションを勝ち取ってドラマで重要な役をもらい、そのお陰で、系列局放送のNG場面を集めた特番――いわゆるNG大賞への出演オファーをもらっていた。今日これから、このJBSのスタジオで収録が行われる。

 NG大賞というのは役者にとって嬉しい賞ではないが、そもそも去年は脇役とも言えない端役ばかりだったから、年末特番に呼んでもらえただけ大躍進の一年と言っていい。
 だから、この世の終わりのような顔をしているのは、この後の収録が原因ではない。
 その前にやり遂げなければならない重要任務のせいだった。


「夏希君。そろそろ行かないと、ヘアメイクの時間がなくなっちゃうよ」

 隣に立つマネージャーの白木誠也しらきせいやが痺れを切らし、5分ほど廊下に突っ立ったまま微動だにしない僕に耳元で囁いた。

 白木さんは僕より7つ年上の27才。眼鏡をかけた柔和な顔立ちで、見た目通り人当たりがよく穏やかな性格だ。やるべきことをやっている分には小言を言われることはない。
 その白木さんが珍しく急かすくらいだから、本番まで時間がないことは確かだ。僕だって、できることなら嫌なことはさっさと済ませて早く楽になりたい。だが如何せん、金縛りにあったように体が動かないのだ。

「そんなに緊張するなら、無理して今日挨拶しなくてもいいんじゃない? 来月の顔合わせのときに、『先月はご挨拶に伺えず、すみませんでした』って謝れば、失礼にはならないよ」

 白木さんは諭すように畳みかけた。


 共演者やスタッフへの挨拶は、二度目の俳優人生で自分自身に課したことの一つだった。だが、そもそも、今日のこのNG大賞は、それぞれの番組ごとに出演者が自分たちのNG映像にコメントする形式なので、他の番組の出演者との絡みはない。本来なら、楽屋挨拶は、同じ番組チームの出演者と司会者だけでいいと思う。そちらは僕の楽屋とも近く、ここに来る前に既に済ませている。

 僕がここにいるのは、多分に個人的な理由が大きい。
 NG大賞に呼ばれている他の番組チームの出演者の中に、来月クランクイン予定の映画の共演者がいたので、ついでに挨拶しておこうと思ったのだ。
 できれば二度と顔を合わせたくなかった相手なので、早めに苦手意識を失くしておきたかった。このままだと役に入り込めず、台本を読むのにも支障が出そうだったから。

 しかし、意気込んで来たはいいものの、実際に楽屋のドアに書かれたその人の名前を見ると、足が竦んで一歩も動けなくなった。脈が速くなり、何だか酸素が薄くなったように、息苦しさも感じる。

 この調子だと、楽屋を訪ねたところでまともに挨拶すらできなさそうだ。ひとまず今日のところは諦めよう。

 そう思ったとき。

 目の前のドアが開いた。
 


 むせかえるような甘い香りに襲われ、一瞬息を止める。
 高級そうな香水と、それとは異なる特有の甘ったるい香り。そして、そこに微かに混じる、懐かしい香り――……。けれど、胸を掠めたその懐かしさは、すぐに鋭い痛みへと塗り変えられた。
 
 ただ茫然と立ち尽くす僕の前に現れたのは、この楽屋のあるじではない。
 女性だった。それも、超絶美人な。

 初対面だけど、国中で彼女のことを知らない人はいないってくらいの有名人だから、顔も名前も知っている。大人気女優の中島佑美なかしまゆうみだ。上半期のCM出演数が女性タレントNo.1で、CM女王とも言われている。来月クランクイン予定の映画『空を見上げて』のヒロイン役でもあった。
 
 片手で掴めそうなほど小さな顔にほっそりとした上品な鼻筋、薄く艶やかな唇。長い睫毛を湛えた大きな瞳はブルーグレーで色素も薄い。確かイギリス人と日本人のハーフだと、事務所のプロフィール欄に記載されていた。
 前にテレビで見たときはもう少し明るい色でやわらかくウェーブしていた髪が、役作りのためか、今はストレートの黒髪になって、肩のところで切り揃えられている。

 テレビと違うところがもう一つ。首にはオメガ用の黒いチョーカーが巻かれていた。
 それは、タイトな黒いドレスと共に、彼女の肌の白さと細身の体のラインを際立たせるアイテムの一つになっている。
 背はそれほど高くなく、ヒールを履いて170㎝の僕より目線が少し下にくるから、160㎝くらいだろう。


 大きな瞳が僕を捉え、「あら」といった様子で更に丸くなった。コーラルピンクのリップを載せた愛らしい唇が、控えめに動く。

「あなたは確か……。次の撮影でご一緒させて頂く……」

 呆然自失の僕の脇腹を軽く肘で小突き、白木さんが慌てて懐から名刺入れを取り出した。

「月城プロダクションの柿谷夏希です。来月から『空を見上げて』でご一緒させていただきますので、よろしくお願いします」

 僕はというと、目の前で起こっていることに対して現実感がわかず、腰を低くして彼女に名刺を渡すマネージャーをただぼんやりと眺めていた。

 そもそも、なぜ彼女がここにいるのだろう。NG大賞の出演者リストには彼女の名前は載っていなかったはず。JBSの他のスタジオで撮影があって、その合間に彼に会いに来たのだろうか……。
 彼女とこの楽屋の主は、以前から恋人同士だと噂されている。

 名刺を受け取った彼女は、僕に上品な笑顔を向けた。

はるのところに挨拶に来たんでしょ? ごめんなさいね。邪魔しちゃって」

 二年ぶりに耳にしたその名前が、テレビの前の一視聴者の気分でいた僕を現実に引き戻す。

 ……はる…………さん…………。

 そうだ……。僕はあの人に、挨拶に来たんだった……。

 そのタイミングで、彼女がドアを支える形で開けっぱなしだった楽屋の入り口に、人影が射した。部屋の奥から現れたのは、彼女より頭二つ分ほど背の高い男性だった。

 一瞬、時間が止まったかのように錯覚する。
 実際、無意識に息を止めてしまっていた。

 ――三間晴仁みまはるひと

 僕より6才年上の実力派俳優で、次の仕事の共演者。

 今はそれだけの関係だけど。
 一度目の人生では、僕にオメガに生まれた喜びを教えてくれた唯一人の人だった。そして、もしかしたら、僕を殺したかもしれない人――……。


「あ、晴。次、共演予定の柿谷君が挨拶に来てるよ」

 振り返った彼女が、彼のジャケットの腕の部分を引っ張る。
 その光景から目を背けるように、僕は咄嗟に顔を俯かせた。

 先程までの緊張や恐怖心とは違う何かに、胸を強く締め付けられる。
 香水の香りと甘いオメガの香り。それに仄かなアルファの香りが混ざり合い、その匂いに胸焼けしそうになる。
 早くこの場から離れないとマズい。直感でそう思った。

「あ、あの……。はじめまして。柿谷夏希です。『空を見上げて』では、お二人ともよろしくお願いします! 収録の準備があるので、今日はこれで失礼します!」

 顔を俯かせたまま90度腰を折り、それだけ告げると、僕は二人の顔を見ずにその場から走り去った。
 





 
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