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出立
出立(2)
しおりを挟む出立の日、彼女の希望で、そのことを知らせたのはごく一部の近しい使用人のみで、見送りの人々は少なかった。その中には、侍女に付き添われた辺境伯夫人もいた。彼女も夫の罪に連座し、爵位を剥奪されているが、病身でもあるため、引き続きこのウェルナー城で暮らすことを国王が許可してくださったらしい。
久方ぶりに見たカレンは少し頬肉が落ちていたが、より目鼻立ちがくっきりと際立ち、美しさが一層増したように感じられた。
「腹が立つから、そんな神妙な顔しないで」
勝気な性格だけは、相変わらずのようだ。
挨拶をしようと近づいたら、軽く睨まれた。
殿下の話では、ウェルナー辺境伯は、彼女に出自の秘密を話していないそうだ。
けれど、よそ者の殿下が調べて、真相に辿り着いたような話だ。
もし、彼女が不審を抱いていたのなら、同じように調べて、既に何か知っている可能性はある。
まさか目の前にいるのが半分だけ血の繋がった兄だとは思ってもいないだろうけど、少なくとも自身と母親の関係については、何か勘付いているのではないか。なんとなくそんな気がした。
「お母様のこと、よろしくね」
「はい。できる限りのお世話をさせていただきます」
「辺境伯夫人にお世話してもらおうとは思っていないわ」
彼女が鼻で笑い、ユリウスは大きく目を見開いた。
「ご存知だったのですか?」
ユリウスがオメガであることも、彼女は知らなかったはずだ。
ユリウスも、軍営の使用人として、別れの挨拶をするつもりだった。
「殿下から聞いたわ。貴方のお姉さんの結婚式のときから、貴方を妻にすると心に決めていたそうね。私には、『初めて会ったウェルナー辺境伯の姫君に、心を奪われておりました』なんて言ってたくせにね」
カラカラと笑う顔は屈託がなく、言葉とは裏腹に殿下への恨みは感じられなかった。
「騙してすみませんって謝られたけど、嘘だと気づいていたから、別に騙されてはいないわよ。私も、殿下の能力を見込んで婿にするならこの人と決めて、殿下を好きなふりをしていたから。お互い様だわ」
「そう……だったんですか……」
上品に上がった口角は作り笑いのようにも思えるし、本気の言葉にも聞こえる。
でも、考えても仕方のないことを考えるのはやめておいた。
その笑顔が演技で、言葉が強がりだったとしても、ユリウスにはどうすることもできない。
殿下は馬車の近くで騎士たちと話をしていて、こちらの会話は聞こえていなさそうだった。
カレンに付き添う侍女は一人のみで、王宮まで騎士団の騎士たちが護送する。今回は、ラインハルトは護送には加わらないそうだ。
「貴方も王弟殿下の妻になるのなら、社交術と嘘を見抜く力は身に着けたほうがよくてよ」
「……肝に銘じます」
ふふっ、と笑い、彼女は真顔に戻った。
「体調がいいときに、お庭で一緒にお茶会をしてくださるだけでいいの。貴方がいれば、お母様も何か口にしてくださるかもしれないから」
「そうさせていただきます」
声に力を込めると、彼女はそれまでと違った、どこか泣きそうな笑みを浮かべてみせた。
本当は、自分が傍にいることで、母に食事をしてもらいたかっただろう。これまで頑張ってきたけど報われなかった。『私じゃ駄目だから』。そんな諦めが滲んだ、寂しい笑顔だった。
「じゃあ、お母様。私はそろそろ行きますわね」
母親である夫人には、簡潔にそう声をかけた。
以前会ったときと変わらず。白髪で、皮膚の薄い老女のような夫人は、虚ろな目をしていて、娘がいなくなることを理解しているようには思えない。腕には男の子の人形を抱いていた。
事情を知った今でも、この人が自分の血の繋がった母親だとはどうしても思えない。
ただ、今は、亡くなった母にできなかった親孝行を、この人にできればいいと思っている。それが、母の罪滅ぼしにもなればいい。
馬車の前に護送の騎士が整列し、扉が開かれる。カレンと侍女が乗り込もうとした、そのとき――。
「どこに……行くの…………」
しゃがれた声は、辺境伯夫人のものだった。
「私の娘を…………カレンを…………どこに連れて行くの?」
庭園で、ユリウスに「オメガの男の子ね」と言ったときと同じように。夫人の眼はしっかりとした意志を宿し、カレンを見つめていた。男の子の人形を傍らに放り、娘にむかって、棒のように細い両腕を伸ばす。
振り返ったカレンの目に大粒の涙が浮き上がり、紅潮した頬に零れ落ちる。
美しいその顔が、泣きじゃくる子供のように歪んだ。
「……お、か……あ、さま…………」
おぼつかない足取りで戻って来た彼女が、母親を抱きしめる。
「……カレン……ごめんね。…………ごめんね……カレン…………」
夫人の目も濡れていた。悲痛な声で繰り返し謝罪の言葉を呟く。
子供を奪われた側である夫人のその言葉が、何についての謝罪なのか、ユリウスにはわからない。
今の夫人がどれくらい、現実を認識しているのかも。
ただ、その表情も声も、亡くなった母と同じに思えた。
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