侍従でいさせて

灰鷹

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嵐のあと

嵐のあと(2)

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 城の専属医師だという髪に白いものが目立つ初老の男性医師は、一通りユリウスの体を診察し、ふむ、と頷いた。

「内臓がかなり弱っているから、しばらくは仕事を休んで栄養のあるものを食べなさい。付き添いの使用人に聞いたが、しばらく前からろくに食べていなかったようだね。つわりの時期は食欲がないのは仕方がないが、それでもほとんど何も食べずに働きすぎるのはよくない」

「――え……?」

 衣服を整えていたユリウスはその手を止め、まじまじと医者を見た。

「なんだ。やっぱり気づいておらんかったのか。君、オメガだろ? 妊娠しとるよ。頭をぶつけただけなら、二日も目が覚めないことはない。眠り続けていたのは、体がそれだけ休息を求めていたからだ。無事に子供を産みたいのなら、まともに食べられるようになるまではおとなしくしていなさい」

 ――妊娠。

 ――子供。

 頭の中で、その二つの言葉だけがぐるぐると回っている。

「あの……、そのことは他の誰かには……」

 混乱した頭で最初に思ったのは、誰かに知られてはいけない、ということだった。

「誰にも話しちゃおらんよ。そもそも、平民のオメガがこんなところにいて、しかも妊娠しているとわかれば、色々面倒なことになるだろう?」

 ――よかった。

 不穏な音を刻む心の臓に、服の上からそっと手をあてる。

 医者は、ユリウスがラインハルト殿下のつがいであることには気づいていないようだ。
 平民のオメガなら、選定の儀に参加し、王族か貴族の妾になっていないといけない。ユリウスはよくわからないままにその流れから外れてしまっていたが、成人した平民のオメガが市中で暮らしてたら、ワケありのお尋ね者だと疑われても仕方がない。


 医者がいなくなった後、一人になった部屋で、そう言えば、ここはどこだろうと室内を見回した。
 広々としていて豪華な調度品に囲まれたその部屋が、使用人の宿舎の一室でないことは確かだ。寝台なんて、4、5人は横になれそうなほどに広い。
 上掛けを引っ張り上げて匂いを嗅いでみる。薬草湯の香りに混じって、微かに殿下の匂いがした。

 ……ここ……もしかして、ライニ様の部屋……!?

 意識をなくしたユリウスを自分の私室に連れてきてくれたのだろう。

 やっぱり殿下は優しい人だった。そのことが嬉しいのに。

 ……僕はなにをやっているんだろう……。

 とことん自分が情けなくなった。
 殿下を助けようとしたのに。結局、足手まといになり、助けられたのはユリウスのほうだった。
 最後の最後まで迷惑をかけっぱなしで、申し訳なさが込み上げてくる。
 使用人なのにこっそり護衛をつけられていたことも、結果的に助かったけど、周りからしたらそれほど自分は危なっかしいのだと思い知らされた。

 自分自身のことすらままならないのに、子供を産んでちゃんと育てられるのだろうかと、不安が湧き上がってくる。

 でも――。
 それ以上に、胸にあたたかいものが広がっていくのも感じていた。
 
 ラインハルトの子供を授かったという事実が、自分の中でじわじわと現実感を増していく。
 それは自己嫌悪も、不安も、まるっと包み込み、霞ませてしまうほどの、大きな喜びだった。

 ……ライニ様の御子が、僕の中に……。

 上掛けをめくり、服の上からそっと下腹を撫でてみた。

 もしかしたら、今まで生きてきた中で、一番嬉しいかもしれない。

 嬉しくて。
 幸せで。

 あたたかな涙がこぼれた。

 ライニ様が生きてさえいてくれればいいと思ったけど。神様はそれ以上に大きなプレゼントをくれた。
 これ以上を望むのは、欲が深すぎると思った。




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