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過保護な主
過保護な主(7)
しおりを挟む「やるか?」と櫛を渡されて、ユリウスは白毛の馬――アルバの毛を梳き始める。櫛を毛に通すたびに、白いたてがみが滑らかな流れを作り、淡い光を受けて白銀色に輝く。アルバは静かに首を垂れ、気持ちよさそうに時折り目を細めていた。
実家にも馬がいたから、扱いには慣れている。特に子供の頃は、何か気持ちの晴れないことがあるときは、馬小屋が避難先だった。
乗馬もできるので、朝夕の散歩も引き受けてもよかったのだが、余計な申し出だろうと思って口にはしなかった。殿下の馬に向ける優しい眼差しを見れば、好きで世話をしていることはわかる。
「ライニ様は馬がお好きなのですね」
「人といるより馬といるほうが気楽でいい」
その言葉に、ふと既知感を覚えた。
同じ言葉を、どこかで聞いた気がする。いつ、誰が言ったのかは思い出せなかった。思い出せないくらい、遠い過去の記憶だということは、なんとなくわかる。
「今からニゲルの散歩をする。アルバの毛を梳き終わったら、ここはもういい」
「ライニ様。もしよろしければ、僕も一緒に乗馬をしてもよろしいですか?」
ラインハルトが、切れ長の眼を軽く見開く。
咄嗟に、そんな言葉が口を衝いて出たことに、ユリウスは自分でも驚いた。
馬といるときの殿下には、二人きりでいるときほどには苦手意識を感じない。馬といる殿下を、もう少し見ていたかったのかもしれない。
殿下は出仕の際に二頭の馬を日替わりで使い分けている。
昨日はニゲルと出仕したから、今日はアルバの番だ。家でお留守番のニゲルは、運動のために朝夕、庭を散歩させる。
アルバは騎士団の屯所まで殿下を乗せて歩くので、庭を散歩させる必要はないのだが。アルバに乗って、殿下と一緒に散歩をしたいと、ふと思い立ったのだ。
殿下の近くにいるのも、話をするのも、緊張することには変わりないが。今は、ライニ様が本当はどんな人なのか、知りたいと思う気持ちのほうが強い。
馬が一緒なら、多少は話も弾み、もっと殿下のことを知ることができるかもしれない。
「なら先に乗ってくれ。俺が後ろに乗るから。鞍なしでもいいか?」
「あ、はい。鞍なしで乗ったこともあるので、手綱があればたぶん大丈夫……って、え、ええ!? い、いや、ちがいます!」
返事をしながら言われたことを頭の中で反芻し、途中で声が裏返った。
「う、後ろって何ですか!?」
「後ろに乗る」という言い方は、普通は二人で一頭の馬に乗るときにしか使わないのではなかろうか。「一緒に乗馬をしたい」と言ったのを、一頭の馬に一緒に乗ることだと勘違いされたらしい。
「ライニ様がニゲルの散歩をされるから、僕はアルバに乗って一緒に歩きたいと言っただけで……」
ライニ様のことを知りたいとは思ったけど、決して使用人の範疇を越えて近づきたいと思ったわけではない。でも、そう考えたら、一緒に乗馬をしたいと申し出たこと自体、使用人の範疇を越えていたことに今更ながらに気が付いた。
恥ずかしさで顔が赤くなり、背中に冷たい汗が伝う。
今のは差し出がましいお願いでした。どうか忘れてください!
とユリウスが言うより先に、ラインハルトはニゲルに手綱をつけ始める。
「うちの馬は気性が荒くてな。慣れない人間が一人で乗ったら、振り落とされる危険がある。だから、慣れるまでは一緒に乗るほうがいい」
諭すように言われ、忘れてください! とは言えない雰囲気になった。
ワーグナー夫妻は、二頭とも、よく調教されたおとなしい馬だと言っていたのに。馬も人を選ぶということだろうか……。
ここで発言を撤回するのは、余計に失礼になってしまう。
ラインハルトがニゲルを厩舎から出し、ユリウスは覚悟を決めた。
馬の背に跨るために、厩舎の柵に足をかけようとしたところ、腰を両側から掴まれ、ふわりと体が宙に浮く。
「わ、わわわっ!」
ラインハルトはユリウスを軽々と抱え上げて、馬の背に乗せた。
せわしなく打ち付ける心の臓が落ち着く暇もなく、背後に殿下が跨ってくる。肩越しに殿下の息遣いを感じ、背中やお尻、太股が触れ合う。心の臓は余計に落ち着かなくなった。せめて赤くなった顔を、殿下に気づかれないといいのだが。
ニゲルもアルバも、帝都で行われる武芸競技会にも出場できるような大型で強靭な馬で、男二人で乗っても嫌がるそぶりは見せなかった。
殿下が手綱を握り、ユリウスは馬のたてがみに手を添えた。
触れあった太股がわずかに身じろぎ、ニゲルが歩き始める。
そもそも、殿下と他愛無い会話をしたくて、乗馬をしたいと申し出たのだが。会話どころではなかった。
頭がくらくらして何も考えられないし、死んでしまうんじゃないかと思うくらい鼓動が激しい。
初恋の相手であるエイギルと挨拶でハグをしたときも、これほどドキドキしたことはなかった気がする。
きっと、ライニ様のアルファの能力が高いせいだろう。
思考のままならない頭で、ユリウスは生まれて初めて経験する体の異変の理由を、そう解釈した。
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