売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹

文字の大きさ
17 / 83
働かせてください!

働かせてください!(4)

しおりを挟む



 窓の外の空は橙色に染まり始めている。
 洗濯物を取り込み、外を気にしながらそれをリネンルームで畳んでいると、庭のほうで物音がした。
 物音は馬の足音だったようで、やがて窓の向こうを、白毛の馬に騎乗した人が通り過ぎていく。

 屋敷には黒毛と白毛の二頭の馬がいて、ラインハルトは出仕に際して乗る馬を毎日交互に替えているのだそうだ。白毛の馬は、今日は厩舎に繋がれていた。お留守番ということだ。
 お留守番の馬は、ラインハルトが自ら、朝夕、家の庭を散歩させるのだとか。
 ユリウスは残りの洗濯物を急いで畳み、庭に出た。ユリウスに気づいたラインハルトが、進行方向を変え、近くまで来て馬の足を止める。

 彼が見た目通りの怖い人ではないということは、これまでの数少ない会話やワーグナー夫妻の話からなんとなくわかっている。だが、ただでさえ体が大きく目つきの鋭い相手に馬上から見下ろされると、自ずと体が委縮してしまう。
 ラインハルトは今日は騎士服の上に黒いマントも羽織っていた。マントには、黒い生地に浮かび上がるように、胸元から肩にかけて金糸で細やかな刺繍が施されている。家紋と、それを取り囲むように、蔓の文様が描かれていた。銀色の留め具にはエメラルドが嵌め込まれている。
 沈みゆく太陽が、彼のダークブラウンの髪や黒いマントの輪郭を黄金色に染めていた。

「お帰りなさいませ。ライニ様」
「なんだ。もう来ていたのか」

 そっけない声色は昨日と変わらない。歓迎されていないが、露骨に嫌がられているわけでもなさそう。その表情は、夕陽が逆光になっていてはっきりとは見えなかった。

「はい。早速今日からお世話になっております。よろしくお願いします」
「何か要る物があれば、遠慮なく家の者に言ってくれ。ここでは好きに過ごせばよい」
「あ、はい。寛大なお心に感謝します」

 ユリウスは一礼し、「あの……、」と控えめに話を続けた。

「差し出がましいことを申し上げてもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「ライニ様はこの後、井戸端で水浴びをされると聞いております。この時期、外で水を浴びるのは寒うございます。せめて浴室で湯を浴びられてはいかがでしょうか?」

 返事はなかった。
 働き始めた初日に、主の長年の習慣に物申したのだ。きっと気分を害してしまったに違いない。
 言い訳をするように、慌てて言葉を追加する。

「もし、お許しを頂けるなら、浴室に薬草湯を用意します。お風呂に浸からずとも、薬草湯で体を拭ったり浴びたりするだけでも、体が暖まり、疲れが取れ、寝つきがよくなります。僕の家では、皆、好んで使っておりました」

 薬草湯を勧めたのは、少しでもラインハルトの疲れが取れたらよいと思ったのはもちろんだが、もし気に入ってもらえたら、庭の片隅で薬草を育てることを許してもらえるかもしれないという打算もあった。

「お前はそのようなことしなくてよい。たとえ真冬でも、外で水を浴びたくらいで風邪を引くような、やわな体ではない」

 エレナが言っていた通りの返事だった。
 アルファの体が特別丈夫なことは、姉のローザからも聞き知っている。やはり余計なお世話だったのだと、ユリウスはがっくりと肩を落とした。

「とてもよい香りなので、ライニ様にも気に入っていただけるかと思ったのですが……。すみません。エレナさんからライニ様はお風呂がお嫌いだとうかがっていたのに、差し出がましいことを申し上げました」

 一礼し、ひとまずその場を離れようとしたのだが。

「別に風呂が嫌いなわけではない」

 引き止めるように声がかかる。
 ユリウスは踵を返しかけた体を振り向かせ、再び馬上の人を見上げた。

「湯を沸かして溜めるのは、かなりの重労働だろう。しなくてすむのなら、そのほうがよい」

 その言葉で、彼の水浴びが、使用人に負担を強いないための優しさからきたものであることを知った。風呂自体が嫌いでないとわかり、ユリウスはもう少し粘ってみることにする。

「僕は故郷では土を耕したり運んだりしていたので、それなりに腕力があります。できれば香りだけでも楽しんでいただきたいです」

 何かを考え込むような間があり、ふっと短く嘆息する気配がする。

「ならば、湯を運ぶのを俺も手伝おう」

 言われたことをよく理解できず、ぽかんと口を開けたユリウスを残し、ラインハルトは颯爽と去って行く。

 それって、お風呂に入るってことだよな……?

 時間をかけて状況を理解したユリウスは、急ぎ厨房に行き、エレナにこのことを伝えて準備に取り掛かった。『湯を運ぶのを手伝う』と言ってくれたが、さすがに王族であるあるじにそこまでさせるわけにはいかない。彼が馬の散歩をさせている間に、自分一人で湯を運んでしまうつもりだった。


しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

結婚間近だったのに、殿下の皇太子妃に選ばれたのは僕だった

BL
皇太子妃を輩出する家系に産まれた主人公は半ば政略的な結婚を控えていた。 にも関わらず、皇太子が皇妃に選んだのは皇太子妃争いに参加していない見目のよくない五男の主人公だった、というお話。

もう一度君に会えたなら、愛してると言わせてくれるだろうか

まんまる
BL
王太子であるテオバルトは、婚約者の公爵家三男のリアンを蔑ろにして、男爵令嬢のミランジュと常に行動を共にしている。 そんな時、ミランジュがリアンの差し金で酷い目にあったと泣きついて来た。 テオバルトはリアンの弁解も聞かず、一方的に責めてしまう。 そしてその日の夜、テオバルトの元に訃報が届く。 大人になりきれない王太子テオバルト×無口で一途な公爵家三男リアン ハッピーエンドかどうかは読んでからのお楽しみという事で。 テオバルドとリアンの息子の第一王子のお話を《もう一度君に会えたなら~2》として上げました。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話

降魔 鬼灯
BL
 ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。  両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。  しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。  コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。  

処理中です...