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エピローグ
35:聞きたい音
しおりを挟む「……は……?」
目の前で起きたことが信じられない。支倉はいったい、何をしたのだろうか。
ぽかんと口を開ける都の背後では、同じように上杉たちがあんぐりと口を開け、茫然と佇んでいた。
「ああ都、無事だったのか」
「ぶ、無事って……それはこっちの台詞なんだけど。だ、大丈夫なのかよ、っていうか、今、アンタ、何……」
洋司の持っていた包丁を器用に遠くへ蹴り飛ばし、支倉は都に声をかけてくる。
それで金縛りが解けたようにハッとして、都は支倉に駆け寄った。
途中うめき声を上げる洋司を飛び越えて、支倉の無事を確認する。腕にひとつ、切り傷。深いものではないが、十中八九洋司に切りつけられたものだろう。
「回し蹴りしただけだ。足技の方が得意だったからな」
ずれた眼鏡を指先で押し上げて、支倉は涼しい顔をしている。
護身術にしては綺麗な型だったが、一般人は普通、護身術を身につけてはいない。個人的に必要性を感じている者は会得しているだろうが、ただの会社員である支倉に、その必要性はあっただろうか。
「あー、やっぱりのびてる。相変わらず加減が下手」
我に返った警官たちが、今度こそきっちりと洋司を確保している後ろから、京一郎の声。呆れたような音に、支倉のため息が続いた。
「仕方ないだろう、包丁持った相手に加減なんかできん」
「まあ、そりゃそうですね……心配しなくても、正当防衛になるでしょ」
「これで過剰防衛なんて言われたら、たまったもんじゃないな」
引きずるように連行されていく洋司を眺めながら、呟き合う二人に、都は恐る恐る訊ねてみる。
「ね、ねえ、支倉さんて何者……?」
「ただの善良な一般市民だが」
「嘘吐くな! ただの善良な市民が、あんなすぐに回し蹴り出てくるか!」
「言ってませんでしたっけ。こいつ、俺のクラスメイトだったのに加えて、チームメイトだったんですよ」
「えっ!?」
都は驚いて声を上げる。
そういえば京一郎は、高校時代空手部に所属していたのだ。そのチームメイトということは、支倉も空手をやっていたということになる。
都は、がっくりと肩を落として項垂れた。どうりで、京一郎があまり慌てていなかったわけだ、と。
「言ってよ、そういうのは……俺ほんと……生きた心地しなかったのに……」
無事で良かったけど、と続けるが、嫌な意味でドキドキしたあの時間を、返してほしい。そんな都の頭を、撫でてくる手のひらがあった。京一郎のものでも、春日野のものでもない。
「心配、してくれたのか」
「えっ……あ、そ、そりゃ、……い、依頼人、だし……心配、するでしょ……」
優しいその手は、支倉のもの。出逢ってから今までで、いちばん温かくて、優しい手つき。
だけど不機嫌そうにその目がすっと細められていく。追い打ちをかけるように、京一郎にぺしんと後頭部をはたかれた。
「なっ、なにすんの」
「ヤーコ。そうじゃないでしょ」
呆れたような、怒ったような、困ったような表情で京一郎はそう呟いてくる。何が言いたいのか気がついて、あ、と都は小さく声を上げた。
頑張れ、と背中を叩かれ、春日野にも頭を撫でられ、ほんの少し気まずい気持ちで二人を見送る。
聴取はまた後日、と洋司を連行していった警官たちもいなくなり、都はまた支倉と二人っきりになってしまった。
(こんな状況で、改めて告白なんてできるわけねーじゃん……)
「洋司が、洋子を殺したのか?」
「え、あぁ……うん、あと、洋子さんを脅してた三人も」
「結婚できない相手って、そういうことだったんだな」
「うん……体の関係もあったみたい」
別れたとはいえ、元妻だった女性の事件だ、解決はしても、支倉の発する音は明るくない。これで繋がりは切れてしまうが、口説かれてくれるような状況ではないだろう。
「俺の依頼がもとで、巻き込んでしまってすまない。こんなことになるとは思ってなかった」
「続行したのは俺だよ。ごめん……こんなの予想できなかった……」
支倉が依頼の打ち切りを言い出したあの時に、彼に従っていればよかった。そうすればきっと、犯人が逮捕されたというニュースで知って、驚くだけに留めていられただろう。
「早く忘れたいだろうし、報告書はどうする? 文書では……残したくなかったんだっけ……」
「いらない。結末は、この目で見たからな。俺がお前に聞きたいのはそれじゃない」
「え?」
聞きたいことというのは何だろう。まさか今さら恋の告白でもあるまいし、と都は不思議そうに首を傾げた。
その晒された首筋に、支倉の手が伸びてくる。
「喉……跡があるが……絞められたのか?」
「え、あ、うん、少し……」
「病院へは」
「大丈夫。それより、ねえ……聞きたいことって何」
支倉の眉が、不機嫌そうに寄る。都が、喉を絞められたことを軽視しているからだろうか。だが都としては、支倉の無事の方が重要だったのだ。
「ねえ、支倉さん」
「……電話番号。トークアプリの方は、少し苦手でな」
「…………え?」
都は驚いて数秒音を失った。
「え、なん……どうして……番号、別に変わっ……、え」
「鈍いヤツだな、個人用の方を教えろと言っている。仕事が終わるまではと思って、待ってやったのに」
「……――は!?」
耳を疑った。
今支倉は、都の仕事用の端末しか番号を知らない。個人用のも知りたいということは、少なくとも好意を持ってくれているはずで、困惑する。
「う、うそ、だって、なんで……お京さんは?」
「だからどうして、俺がまだ京一郎に未練があることにしたいんだ? いい加減に腹が立つ」
「だって! だって……あのとき店で……今相手いるのかって……俺とどうこうなるつもりはないって、言ってたじゃん!」
にわかには信じ難くて、ふるふると首を振る。
期待した分頬が赤く染まっているけれど、思い出したのは『京』での二人の会話。二人が昔つきあっていた事実を知った、あの時の。
「聞いてたのか……」
「ご、ごめん……でも、だから、その」
「納得のいく別れじゃなかったのは認める。だからといって、十年も前の、ガキだった頃のことを持ち出されてもな……。それにあの時のは、仕事が終わるまではどうこうなるつもりはないという意味で言ったんだ。規則があると言ってただろう」
瞬きの後、都は目を見開く。
依頼人に手は出さないという、あの規則を気にしてのことだったのだと知って。
「俺への気持ちをだだ漏れにしながらも、仕事に誠実であろうと打ち込むお前を、その……少し、可愛いと思っていたんだ。だから規則のことをを分かっていつつも、写真を口実に電話した。そこで京一郎に逢うはめになるとは皮肉だが……」
一歩、後ずさる。
はくはくと酸素を求めて震える口を押さえ、困ったような顔をした支倉を、視界いっぱいに見つめた。
「昨日のことは、悪かったと思っている。だが、ちょっと気になっている相手から、昔の男のことを言われた俺の身にもなってみろ」
ああ、と音にならない声を吐き出して、都はその場にへたり込んだ。
ならば昨日のあの怒りは、京一郎への想いをごまかしてのことではなかったのだと理解して、急激に頬が熱くなった。
「う、そ……じゃあ、あれって」
考えてみれば、思い当たる節は他にもあった。売春ではなかったと知って、依頼を打ち切ろうとしていたこと、何度か諫めるような物言いをしてきたことなどが。
「じょ、冗談じゃ、ない、よね」
「冗談の方がよかったか」
「よ、よくな――」
慌てて否定して顔を上げたら、しゃがみ込んだ支倉とばっちり視線が合う。は、と息を吐いたら、それごと奪っていく口唇に出逢った。
触れて、食んで、覆う。
ぺろりと舐めてくる舌を舐め返してみれば、無遠慮に入り込まれた。
「んん……っ」
両腕で抱き寄せられ、都は支倉の首に腕を回す。
もっと深く、もっと長く、触れていたい。
もっと近くで、心音を聞いていたい。
「都」
キスの合間のその音を、もっとずっと聞いていたい。
「……っん……好き、支倉さん……、嬉しい……」
「煽るな、仕事に行けなくなるだろうが……」
「えっ、あっ、ご、ごめ……っていうかキスしてきたのはそっちじゃん!」
耳元のかすれた声に、ときめくと共に現実に引き戻される。
そういえば今はまだ早朝で、平日で、つまり勤務日だ。都だってシフトが入っている日で、サボりたくはない。支倉の声がなければ、このままずるずると行為になだれこんでいただろうなと思うと、節操のなさに恥ずかしくなる。
「都、番号」
「あっ、ま、待って、今そっちにかける……」
都は仕事用の端末を取り出し、支倉の番号を確認して個人用の携帯でダイヤルする。デフォルトの味けない音が、リビングにこだました。
「と……取らないの?」
コールしても通話をタップしようとしない支倉を、じっと見やる。
「なんで電話越しで聞かなきゃいけないんだ。目の前にいるんだから、直接聞かせろ」
「ば、馬鹿じゃないの……っ」
焦る声が、また口唇の中に押し込まれていく。
結局、家を出なければならない時刻ぎりぎりまで、そこで抱き合うことになってしまった。
支倉は普段より何本も後の電車に乗ることになり、都は何回目かの遅刻を経験したという。
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