恋の音が聞こえたら

橘 華印

文字の大きさ
上 下
33 / 35
第五章

33:犯人との対峙

しおりを挟む


「な……っ」
 ガッ、と耳元で聞こえた鈍い音は、どうやら自分が何かで殴られたせいらしい。気がついた時には、体が揺らいでいた。
 衝撃のかかった方向を振り向く余裕もなく、視界が覆われる。そのまま、勢いで体が倒れていった。
「な、ん……っ」
 突然のことに都は混乱するが、背中に冷えた床を感じて意識を引き戻す。
 そこでようやく視界に映せたものは――梶谷洋司の、憎悪に歪んだ顔だった。

「よ、洋司……!」

 ミスった、と都は瞬時に青ざめる。
 いないと思っていた洋司が、どこかに――確認しなかったトイレか、バスルームかに潜んでいたのだろう。侵入者である都を、何かで殴り倒してくれたのだ。
「くっそ……」
 腹の上に乗られ、うまく身動きが取れない。両方の手のひらが、都の喉を覆ってくる。かかる力に容赦がない。絞め殺す気かと焦った。手を外そうと試みてみるけれど、上からの力は簡単に押しのけられない。

「お前、見たことあるぞ……あの男と一緒だったヤツだ、なんで、どうして! なんで洋ちゃんは、あんな男と!」
 洋司の声が汚く割れる。

 怒り、憎しみ、憎悪――都は、久し振りに分かりやすく向かってくる悪意に触れた。
 父に受けた暴力の記憶が、引き起こされていく。体にのしかかる重み、締めつけられる喉、吐き出される言葉。

「アイツは男の方がいいんだろ、お前も仲間か、変態、変態! 返せよ、洋ちゃん返せよ!!」
 なんで、なんで、と体が揺さぶられる。ゴ、ゴン、と頭が床にぶつかり、酸欠と痛みが混じって思考が整理できない。
 一緒だった、いつ見られたのか――なんて、どうでもいいようなことさえ頭を巡る。
「ま、て……な、んで、はせくら、さんが、出て、くるん……だよ、っ……」
「あんな男と結婚したから! だから洋ちゃん、アイツらに脅されたんだろ! ゲイと結婚してたんなら満足できてないなんて! そんなっ、そんなわけないのに!!」
「……に、言っ……て」
 ガンガンと痛む頭を押さえるより、喉を締めつけるこの手を外したい。都は洋司の手に爪を立ててガリッと引っかいた。痛いはずなのに、手ははがれていかない。怒りで我を忘れているのか、洋司の顔は泣き出しそうにも見えた。
 力任せに片手を振り払い、その手首を取る。
 だが、洋司も負けじとその手を解こうとしてくる。


「……っ……まえ、が、……お前が洋子さん抱いてたからってのは、考えないのかよ!」


 力と力の押収かとも思われたが、都が声を張り上げて叫んだその言葉に、洋司が怯んだ。その隙にもう片方の手も喉から外させ、都は咳き込む。
「え、な、……んで……?」
 なんで知ってるんだと小さく呟いて、放心したような洋司の下から這い出る。都は締めつけられた喉を撫でて押さえた。
 げほ、げほ、と何度か咳き込み、押さえつけられた喉をなだめる。

「こ、れ……探してたん、でしょ、アンタ……」

 都はまだ整わない息の中、ポケットにしまいこんでいたリングを、洋司に向かって放ってやる。
 丸いリングはコンコロロと床を転がり、洋司の膝にぶつかって倒れた。
「ど、こに、これ……なんでお前が持ってる! 洋ちゃんのなんなんだよお前!」
 洋司はそれを拾い上げ、都を睨みつけてくる。洋子に関わるすべての男が、敵にでも見えているのか。
「やっぱり……好き合ってたんだ、アンタたち……。洋子さん脅迫してたヤツら殺したの、アンタだろ」
「あいつらは死んで当然だ! なんで洋ちゃんがあんなヤツらに!」
 やっぱりそういうことなのだ、と都は目を伏せる。

 洋子は好きで体を明け渡して、金を受け取っていたわけではない。脅され、強要され、ある程度の金を、あの三人に渡していたことは明白だ。
 だけど、強要されたネタは洋司が思っているようなことではないだろう。

「洋子さん、こう言われたのかもしれないね。〝弟とやってるくらいなら、相当スキモノなんだろ〟……アンタとのことを、知られたくなかったんでしょ」
 彼らが、どこで二人の関係を知ったかは分からない。加害者が全員死んでいる以上、真実は闇の中だ。
 だが、金を払ってでも、体を明け渡してでも、守りたかったものがあるのだとしたら。
「知られたら、アンタの仕事だって駄目になる。もしこの先、他に好きなひとができても、結婚できないかもしれない。洋子さんはアンタを守りたかったんじゃないの!?」
 どんなことをしてでも、家族を――洋子にしてみたらたったひとりの弟で、愛する男を、自分の恋心で殺してしまうわけにはいかないと、男たちに身を任せたのかもしれない。
「それをアンタは、他の男に抱かれたってだけで、愛した女を殺したんだ」
 愛する人のために自分を犠牲にするのが正しいのか、犠牲になんてしてほしくなかったと、その手にかけるのが正しいのか、都には分からない。

 ただひとつ、どうしてそんなことに支倉を巻き込んだのかと、いら立ちさえ感じる都の身勝手。

 この事件の結末を聞けば、彼はきっと少なからず傷つくだろう。恋なんてどだい身勝手なものだけれども、巻き込まないでいてほしかったと、俯いた。

 その時、


「そこまでだ!」
「確保!」


 突然耳に入ってきた声に、都は驚いて顔を上げた。いや、都だけではない、洋司もだ。
 振り向いた先には、上杉と、三島、数人の制服警官。洋司の姿を認めた途端、飛びかかってきた。
「なっ、なんで、俺はっ……俺は、洋ちゃんを守っただけだ! 洋ちゃん……洋ちゃん……!」
 警官たちに取り押さえられて、洋司は困惑した表情でそう叫ぶ。
 都はこの事態を把握しきれずに、目を白黒させながら、ことの成り行きを見守っていた。

「ヤコちゃん!」
「ヤコ、無事ですか!?」
「えっ!?」
 そんな都に、混乱を上乗せする声。振り向けば、仕事着のままの京一郎と、泣きそうな顔をした春日野。

「ああこらお前ら、現場入るんじゃねぇっ」
「うるさい、情報提供したの誰だと思ってるんですかっ」
「ヤコちゃん、ヤコちゃん大丈夫? 生きてる!?」
 リビングの出入り口で上杉に止められるも、言い返す京一郎と、ただ都の無事を確認したがる春日野を見て、都は事態をやっと把握した。京一郎が春日野と警察を呼んだのだろう。諦めたらしい上杉が、被害者の身内と上司だということで許可をしてくれる。
「ヤコ、すみません遅くなって。上杉さんに納得してもらうの時間かかって」
「お京ちゃんに聞いてびっくりした、平気? どこもなんともない?」
「え、あ、や、ダイジョブ……ちょっと……喉絞められただけだし」
「絞め……っ」
 ちっとも大丈夫じゃない、と京一郎と春日野が洋司を振り向いて睨みつける。
 飛びかからんばかりの勢いだったが、都がそれを止めた。

「洋司、これ」
 まさに今手錠をかけられる所だったが、その前に。
「ちゃんと、償って……墓前に供えるくらいなら、きっと、許してくれるんじゃないかな」
 捕り物のせいで床に転がってしまっていた指輪を、洋司の手のひらに落とす。

 どんな事情があったにせよ、四人を殺した罪は重い。どれくらいの量刑が科せられるかは分からないが、出所した後にでも、洋子に返してあげてほしいと、心の底から願った。

「……あり、がとう……これ、どこに、あったんですか……」

 洋子が脅されたのは自分のせいだったと気がついて、意気消沈したのか、洋司の声は先ほどとは打って変わって静かだった。
「支倉さんの家だよ。ツールボックス、しかも封筒の中に入ってた。信頼してる人に、預けていたかったんだと思うよ」
「そう……です――か」
 洋司は俯く。一連のことを後悔しているのだろうなと思った、次の瞬間。


「退けぇっ!」


 視界が揺らぐ。突き飛ばされて、都は床に倒れ込んだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

恋人が出て行った

すずかけあおい
BL
同棲している恋人が書き置きを残して出て行った?話です。 ハッピーエンドです。 〔攻め〕素史(もとし)25歳 〔受け〕千温(ちはる)24歳

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

Label-less

秋野小窓
BL
『お兄ちゃん』でも『リーダー』でもない。ただ、まっさらな自分を見て、会いたいと言ってくれる人がいる。 事情があって実家に帰った主人公のたまき。ある日、散歩した先で森の中の洋館を見つける。そこで出会った男・鹿賀(かが)と、お茶を通じて交流するようになる。温かいお茶とお菓子に彩られた優しい時間は、たまきの心を癒していく。 ※本編全年齢向けで執筆中です。→完結しました。 ※関係の進展が非常にゆっくりです。大人なイチャイチャが読みたい方は、続編『Label-less 2』をお楽しみください。

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

処理中です...