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第五章
31:まさか、そんなわけない
しおりを挟む「ねぇ」
都はベッドの上に突っ伏して、隣に体を起こした支倉に声をかける。
「なんで抱いたの」
ベッドに連れ込まれて、一通りのコトを終えてからこの発言とは、なんともさまにならないが、訊かずにはいられなかった。怒りや八つ当たりなら、廊下でのあれで収まったのではないのか。
「……お前に誘われてやったんだろう。文句言うな、あれだけよがっておきながら」
「誘ってないし文句じゃないし」
あの夜と違って、都が誘ったわけではない。怒らせた自覚しかなくて、こんな色っぽいことになる要素は、どこにもなかったと思うのだ。しかも、こんな荒らされ放題の部屋の中。
「片付け……手伝おうと思ってたんだけどな……」
「余計な世話だ」
「ていうかアンタ、狙われる心当たりないの? あの鍵の壊し方、どう見てもシロウトなんだけど……」
当然ひとつも片付いていなくて、都はベッドからその惨状を眺めて訊ねる。
倒されたチェスト、引っかき回されたクローゼット、破られた書類。一目で荒らされたと分かるその現場は、発覚を遅らせるつもりもないようで、空き巣というよりは、支倉に対する嫌がらせのように思えた。
「ないな」
「やっぱ今回の犯人かな。形だけとはいえ、洋子さんの夫だった人だし、そりゃあ憎らしいよね」
「……なるほど、道で刺されないようにしないとな」
「俺だって刺したい。やだって言ってんのに強姦まがいのセックスとか。気持ちよかった自分がすごくいやだ」
「体は正直だな」
「ムカつく」
悪びれもせずに支倉は音にする。なんでこんな男を好きになってしまったのか分からないと、都はカシカシと髪をかき混ぜた。
「だがあれはお前も悪い――」
「……あれ?」
思考に支倉の声が重なってきて、一瞬浮かんだ何かが消えていく。
「どうした」
「え、……あ、なんでもない……」
(今……何か思いつきかけたんだけど……なんだったんだろう。何が引っかかったんだ?)
都はたった今自分が音にした言葉を反芻するも、どこにどう反応したのか分からない。
「駄目だ、分かんない。ね、シャワー貸してよ。片付け手伝うからさ」
「……出て、右だ。散らかってるから、気をつけろよ」
一応身を案じてはくれるのと、片付けを手伝わせてくれるくらいには、進展したらしい。都はベッドを降りて、バスルームへ向かった。
上から降ってくる温かな湯で汗を流し、繋がった余韻を洗い流していく。
もう少し……もう少しだけあそこにいたかったけれど、これ以上好きになってはいけない。
せめてかけらでも望みがあればなあと苦笑して、いつの間にかつけられていた、腹のキスマークをなぞった。
(強姦まがいでも、エッチできて嬉しいとかね。馬鹿じゃないのほんと……)
何度目かのため息で、幸せを逃がしていきながらも、シャワーから上がると、リビングでは支倉が首を傾げながら佇んでいた。
「シャワーありがと。どうしたの、支倉さん」
「いや……片付けていたんだが……これに、見覚えがなくてな」
そう言って差し出してくる。支倉の手のひらに、ひとつの指輪。
「それってマリッジリングじゃないの? 支倉さん……いくら形だけだったって言っても、交換した指輪くらい覚えててあげなよ……」
「交換なんかしてない。俺のは見せかけだし、自分で買った安物だ」
「え?」
都は呆れ顔から不審そうなものに表情を変えた。本人に覚えのない物が、なぜこの部屋に。まさか、犯人がそんな大事なものを残していくわけもなし、となると、可能性は多くない。
「それ、どっから出てきたの」
「そこのツールボックスだ」
支倉に指さされたボックスを持ち上げて、中身を確認する。
すぐには使いそうにない物を、ひとまずしまっておこうと思い開けたところ、見覚えのない小さな袋があったらしい。その他には、タイピンと、眼鏡拭きと、メモリーカード、コードレスのマウスと小さなメモ帳。
「仕事で使う物じゃないの、この中身」
「いや……今の今まで開けてもいなかった。そのメモリーカード、そんな所にあったのか」
「開けてもなかったって、自分で片付けたんじゃ」
「いや、それは洋子が……」
あ、と支倉が言葉を止める。都も気づく。
「これ、洋子さんのってこと?」
「恐らく……別れる時にちゃんと荷物分けたのに。どこか抜けてるんだな、彼女」
「っていうかこれ、わざとだと思うけど……」
指輪をライトにかざして眺める都に、支倉はどういうことだと訊ねてくる。都は指輪の一点を凝視しながら、そう感じた理由を告げた。
「これ、不倫相手とのペアなんじゃないの? イニシャルが掘ってある。Y&Yって」
ほら、と手渡すと、支倉もリングの内側を確認する。そこには確かに、二人分のイニシャルが刻印されていた。一緒に、『With you』という英文も。想い合っている二人の誓いと見て取れて、形だけとはいえ婚姻を結んでいた支倉としては、複雑な思いだろう。
「だが、なぜわざとだと思うんだ?」
「そんな大切なもの忘れてく? わざわざ封筒に入れてまで。それに、好きになっちゃいけない相手だったんでしょ。そんなの持ってたら、余計に諦められないよ」
「なら……忘れるために、俺に預けていたのか」
「支倉さんのこと、それなりにちゃんと愛してたんじゃない? 恋じゃなくて、信頼、かなぁ……思えばあの手帳をアンタのとこに置き忘れたってのも、わざとかもしれない。止めてほしかったのかもね」
都は苦笑する。洋子に他の相手がいなければ、支倉が女を愛せる男だったら、ちゃんと普通の夫婦として過ごしていけたのだろうと。
そして都は支倉と逢うこともなく、他の誰かと今もベッドにいたかもしれない。
そう考えると、洋子に他の相手がいて――支倉が同じ種類の男で良かったと思ってしまう。そんなズルイ自分が嫌で、ため息ひとつ。
「でも、これでまたひとつ手掛かり見つかった。Yってイニシャルだけじゃ、難しいけどね」
「俺と逢った頃もう好きな相手だったみたいだから……相当長いんだろう。大学……高校の頃かもしれんな」
「あ、そーなの。同級生とかかな。アンタとお京さんみたいに」
多少のからかいを含めて言ってやる。そうできるくらいには、二人が恋人同士だったことを、受け入れられているらしい。
「おい、だから俺は――」
「あ、そういえば支倉さんもYだね。陽平・支倉」
何かを言いかけた支倉を遮って、ふと気づいたことを音にする。頭文字がYということは、候補は他の文字より少ないのが有り難かった。
「や、ゆ、よ……うーん、男の名前っていっても結構ありそう。どっかで名簿借りるしかないかなー」
そもそも同級生かどうかも分からない。
地道な作業になりそうだなと、床に散らばった雑誌や服を拾い上げ、ありそうな名前をぶつぶつと呟いていく。
「や、やすし・やすゆき・やすひろ……ゆ、ゆがいっぱいあるな。ゆうじ・ゆうき・ゆうた……」
候補がありすぎて整理できない。また京一郎に力を借りるしかないのかと、今は仕事中であろう「兄」を思い出し、そして――。
「ゆきや・ゆたか、えーと……よ、よう……」
(えっ……)
目を、瞠った。
思わず、片付けていた手が止まる。呼吸が止まる。
「どうした?」
その様子に気がついた支倉が声をかけてくるのに、都の耳には珍しく入っていかない。
ふと浮かんでしまった可能性を否定しきれずに、瞬きさえできなかった。
(うそだろ、まさか……そんな、こと、ない、よな? ないない……、……ない、と、思う、けど、でも……)
血の気が引いていった。
今まで蓄積されてきた疑問が、それですべて説明できてしまう事実に気がついて。
「おい、どうしたんだ」
そこでやっと、肩を揺さぶってきた支倉に気がついて、ハッとする。
戸惑ったような顔が目に入ったけれど、恐らく都の方こそが、それ以上に戸惑った表情をしていただろう。
でも、だけど、と否定したがる感情を抑えつけて、どうにかニュートラルな気持ちに戻す。
都は深く息を吸い込んで、じっと支倉の顔を見つめた。
そして、彼が以前深い関係にあった、「兄」である京一郎を思い起こす。
「支倉さん……」
「……なんだ」
ようやく小さく声を発した都に、支倉はホッとしたような音を奏でる。それで、都の胸が高鳴った。
「俺、やっぱり支倉さんのこと好き。好きになったって無駄なの分かってるけど、ごめん、好き。止まんない」
「おい」
だが恋の告白をしながらも、都の顔は支倉の方を向いていない。立ち上がり、自分の荷物を持ち上げて、玄関へと向かう。
それは誰が対峙しても不審に思う行動で、当然支倉も、都の腕を掴み止めてくる。いったいどうしたのだと。
「アンタのこと応援してやれないし、お京さん今好きな人いるんだよね」
「そんなことは知ってる、お前のとこの所長だろう。見てれば分かる。いったい何が言いたいんだ」
「叶わない恋と、叶うけど結ばれちゃいけない恋って、どっちがつらいかな」
玄関口で、都はようやく支倉を振り向く。
都の真意を掴みきれずに戸惑う支倉へと口づけて、言った。
「俺は多分、この二人よりずっと恵まれてる。この指輪、片割れさんに返してくるよ」
右手に、洋子のマリッジリングを握りしめ、ドアを開ける。
「おい都! 片割れってどういうことだ、相手が分かったのか? そいつが洋子を――」
「ごめん、俺の推測にすぎないから、これ以上はまだ話せない」
愕然とする支倉の手を振り払って、都はまだ夜の明けきらない街に身を任せた。
馬鹿なことだと、首を振る。
だけど、浮かんでしまったひとつの可能性を、否定しきれない。
わざと登録されていない連絡先、そのくせ大事に取っていた、逢いたいと走り書きされたメモ。
好きになっては駄目なひと。
結婚できないひと。
誰よりも近いひと。
――Y&Y――洋司&洋子――。
まさか、姉弟で愛し合っていたかもしれないなんて、馬鹿げた可能性を。
この時間帯ではタクシーも捕まりにくい。電車はまだ走っていない。洋司のマンションまで自分の足で行くには遠すぎる。
都は、車を取りに事務所へと走った。
事務所に着く頃には息も上がっていて、もう少し持久力をつけないとなと、鍵を持ち出して乗り込む。逸る気持ちをどうにか抑え、シートベルトをしっかりと締め、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
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