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第四章
26:何げない一言で
しおりを挟む事務所に足を踏み入れると、春日野が数枚の紙を手渡してくる。被害男性三人の、詳細な調書のようだった。
「すっご、なにこれ」
「あんまり素行良くなかったみたいだよね」
「そーじゃなくて、藤吾さんの仕事ぶり言ってんの」
繋がりがあるかもしれないと仮定できたのは、つい昨夜だ。短時間で集めたにしては出来が良すぎる。さすがに手慣れているのだろう。
「こっちも、証言取れたよ。半年以上前から、岩城が洋子さんに言い寄ってたってさ」
「……ちょうど手帳に名前が書かれ出した頃だね」
うん、と都が頷く。
言い寄られて根負けしたのか、他に理由があったのか。なぜ洋子は、岩城の誘いに乗ってしまったのだろう。
「まさか、岩城が本命だったなんてないだろうし」
「就職はしたものの、酒グセ悪くて傷害事件まで起こしてちゃねぇ……他の二人も似たような感じ」
「本命とは無理だったにしても、もうちょっといい相手いそうだよね。藤吾さんだって美人だと思うでしょ?」
洋子の写真を指さしながら、都は訊ねる。実際相手をする云々ではなく、一般的な感想としてだ。
「一回きりでもお相手願いたい、って男はいるだろうね」
一回きり、という言葉に、都の心臓が思わず跳ねる。
あの夜だけのはずだった。気にはなっても、また逢える機会なんてないと思っていたあの人――。
(やめよーよもう、動揺しすぎ……)
支倉との一回きりを思い起こしてしまった都は、ふるふると首を振る。
「その人、脅迫とかされてたんじゃないんですか?」
そのタイミングで聞こえた声に、え? と二人して顔を上げる。事務員である藤木が、煎れ立てのコーヒーを持ってきてくれたのだ。
「え、って、だって、イヤですよそんな男なんか。お金もらったってしたくない。被害者の女の人、お金に困ってたわけじゃないんでしょ?」
不愉快そうに眉を寄せた藤木が、ふるると身を震わせる。同じ女ということで、感じ方は近いのだろう。
都は、なぜそこに気づかなかったのだろうと、口許を押さえた。
「やっべ、そこから勘違いしてたんだ」
「あの数字、時間じゃなかったってことかな」
都と春日野は、慌ててパソコン内部のフォルダを確認する。デジタルカメラで撮影したあの手帳は、きちんと整理されていた。
十二日、シャトー・岩・三。
十七日、シャトー・岩・五。
三十一日、サザンクロス・室・五。
翌月十日、ロレンス・冴・七。
その日付の欄に、場所と、名前の頭文字、そして数字が書かれている。
都たちは――上杉たちもだが、その数字は相手と逢う時刻だと思っていた。
五時、三時、七時。十二時間表記なら逢い引きでもおかしくないのだが、二十という数字があるのに気づく。
それが時刻ならば二十四時間表記となり、五や三や七は早朝ということになってしまう。逢い引きには早すぎる時間だ。
店にまで押しかけてきていた岩城、しつこかったという証言、行き詰まってはいない店の経営。導き出される結論は――脅迫。
「これ、渡した金の額ってことだよね」
「多分。どんどん要求大きくなっていったんだろうな。こんだけ頻繁なのに、一気に二十ってきつい」
「少ない金額で脅して、これなら払えると思わせる手口だ。長引かせることでより楽しむことができる」
「クズかよ」
「同感だね」
梶谷洋子を何らかの理由で脅し、体の関係を迫ったばかりか、金銭まで要求していた男が、殺された。
その岩城と面識のあった男が二人と、さらには洋子までもが殺害されている。
「いちばん考えられるネタは、洋子さんの不倫についてかな」
「アリだね。相手が、もし世間的に名の知れた人物なら余計に。知られるわけにはいかないでしょ」
「あ、それをネタに脅してたってことですか?」
「そう。藤木ちゃんのおかげだよ、ありがとね」
「わーい、ボーナス査定よろしくお願いしまーす」
うきうきとした藤木の声に、少しだけ心は和んだが、事件の解決にはならない。
「あと問題とすれば……犯人がどこで、脅迫されてることを知ったのか。洋子さんのためを思ってって……ことだよね。三人も殺してんの」
「惚れた女のピンチだもんね。しかも体の関係まで迫っていたのなら、殺してやりたくなるのも分かるけど」
「結局、洋子さんの周りの男を洗っていくしかないってことか」
可能性がいちばん高いのは、洋子が不倫していたらしい相手。だけどひた隠しにしていた本命の相手を、どうやったらあぶり出せるのか。
京一郎に手を借りようかとも思ったが、今は少し顔を合わせづらい。都は仕事用の携帯端末を取り出して、だが何をするわけでもなくただ画面をじっと眺めた。
(あっちにも、電話すんの気が引けるんだよね。普通に話せるか分かんないもん)
情報源としてもうひとり思い当たるが、たやすくかけられない。支倉が、ただの依頼人というだけの相手なら、これほど悩みもしなかっただろうに。
うっかり好きになってしまった、兄の元カレ。被害者梶谷洋子の元旦那。
好意があるのはもうバレていて、だけどどうこうなるつもりはないと、向こうが言っているのを知っている。電話をかけたところで、進展するはずもない。割り切るしかないのだが。
(そうは言っても、声なんか聞いたら俺、逢いたくなるんだけど。駄目って分かってても、すっげぇ逢いたくなんの、どうやって言い訳すんの?)
仕事なのだと割り切りきれない。初めての夜からまだ数日しか経っていないのに。いや、だからこそなのか、支倉のことが都の中の半分以上を占めてしまっていた。
「支倉氏に訊いてみたら? どんなちっちゃいことでもいいからってさ」
そんな都を、傍で煽ってくる男がいる。依頼人には手を出すなという規則を提言しているはずの、所長・春日野だ。
「……煽んないでよ。っていうかあっちも今仕事中だろ、出られるわけないじゃん」
「でも、洋子さんにいちばん近かった人でしょ。洋司の方は海外だし。いつ戻ってこられるのか知らないけど」
「あーそれ訊いておけばよかったな。上杉さんとこ行ってこよ」
教えてくれるか分からないけど、と都は席を立つ。どうにか、支倉に電話をしないでいられる状況を作るのに、必死だった。
その時、一本の電話。
「ヤコちゃん、電話ー。ウエスギさんだって」
目を見開いた。名指しで呼ぶようなウエスギさんを、都は一人しか思い浮かべられない。今まさに逢いに行こうとしていた人物だ。
「替わりました、加納です」
『おうボウズ、俺だ。単刀直入に訊くがな、お前、梶谷洋司の行き先知らねぇか』
「……は? 洋司の? なんで」
電話の向こうの上杉は、深刻そうな声だ。行き先を知らないかということは、居所がつかめていないのか。しかし彼は海外に出張に行っているのではないのか。
『職場にも行ってみたんだよ。洋子のこと知ってるヤツがいないかと思ってな。そしたらよ、洋司は無断欠勤してるらしいんだ。一昨日から。出張なんて入ってねえってよ』
「出張じゃなかったってこと!?」
『教えてもらった連絡先にもかけてみたが、留守電でな。とにかく洋司の行方が分からねぇ。変なことになってねえといいんだが』
「自宅は……当然捜索ったよね」
都は頭を抱える。姉の事件が相当ショックだったのか、洋司は行方をくらましてしまった。最悪の事態を考えるならば、洋司もすでに犠牲になっているかもしれない。
しかし、マンションの管理人に出張だと嘘を吐いたということは、少なくとも洋司の意志が介入している証拠だ。
「ごめん、俺も洋司のことに関しては分かんない。探してみるけど……期待はしないで」
『おう、頼むわ』
早々に上杉との通話を打ち切って、都は携帯端末を再度持ち上げる。もう、個人的な感情でどうこう言っている場合ではなくなってきた。
「お京さん、探してほしい人がいるんだ」
電話したのは、京一郎の方。情報収集に関しては、京一郎を頼った方が早い。
『今回の事件絡みですか?』
「うん、被害者の弟。どっか行っちゃったらしくてさ。出張なんて嘘ついて。事件でショック受けてんなら、ヤケ起こしてなきゃいいなーって」
『いつからいないんですか? 行動範囲がしぼれないと、ちょっとキツいですね』
珍しく京一郎が弱気なことを言う。一昨日からみたい、と答えて、都はふとおかしなことに気がついた。
事件があったのは一昨日の夜。昨日発覚して、今日。
(あれ? おかしくない? 姉貴の事件より、失踪の方が早い……)
『それ、洋司が何か知ってるってことじゃないですか? もしくは、洋司自身が犯人……てことはないか、レイプ殺人でしたもんね』
「さ、さすがに弟が姉貴をってのはないでしょ。現場を見ちゃったとか、証拠持ってるとかかな」
『だったら警察に行くでしょう? 危ないこと考えてなければね』
京一郎の言葉に、都の目が細められる。京一郎が何を考えているか分かるからだ。
「お京さん……なに考えてんの」
『ヤコと同じことを。大事な姉が殺されたんですよ、自分の手で始末つけたいんじゃないですか? 俺だったら、犯人殺してやりたくなりますからね』
お京さん、と都は諫める。その気持ちは分からないでもないが、この国で殺人は犯罪だ。たとえ復讐が理由でも。
『そういう意味では、洋司を早く確保した方がいいですね。自宅周辺と職場は警察が押さえてるでしょうから……飲み屋関係なら、同業に確認してみますね』
「うん、ごめん……お願い」
都は通話を打ち切り、髪をかき混ぜてため息を吐く。こんな大事になるとは思っていなかった、今回の依頼。最初はただ、洋子の素行を調査してほしいというものだったのに。
「どっか……洋司の行きそうなとこがないか、俺も聞き込み行ってくる」
「大丈夫ヤコちゃん? 僕が行こうか」
「いい、平気。藤吾さんは他にも仕事あるでしょ」
そう言って、都は立ち上がる。結局どれほども事務所にいなかったなと思いつつも、洋司が変な気を起こさないうちに確保しないといけないのだ。泣き言など言っていられない。
そうして、関係者たちの写真を手に聞き込みを開始した。
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