26 / 35
第四章
26:何げない一言で
しおりを挟む事務所に足を踏み入れると、春日野が数枚の紙を手渡してくる。被害男性三人の、詳細な調書のようだった。
「すっご、なにこれ」
「あんまり素行良くなかったみたいだよね」
「そーじゃなくて、藤吾さんの仕事ぶり言ってんの」
繋がりがあるかもしれないと仮定できたのは、つい昨夜だ。短時間で集めたにしては出来が良すぎる。さすがに手慣れているのだろう。
「こっちも、証言取れたよ。半年以上前から、岩城が洋子さんに言い寄ってたってさ」
「……ちょうど手帳に名前が書かれ出した頃だね」
うん、と都が頷く。
言い寄られて根負けしたのか、他に理由があったのか。なぜ洋子は、岩城の誘いに乗ってしまったのだろう。
「まさか、岩城が本命だったなんてないだろうし」
「就職はしたものの、酒グセ悪くて傷害事件まで起こしてちゃねぇ……他の二人も似たような感じ」
「本命とは無理だったにしても、もうちょっといい相手いそうだよね。藤吾さんだって美人だと思うでしょ?」
洋子の写真を指さしながら、都は訊ねる。実際相手をする云々ではなく、一般的な感想としてだ。
「一回きりでもお相手願いたい、って男はいるだろうね」
一回きり、という言葉に、都の心臓が思わず跳ねる。
あの夜だけのはずだった。気にはなっても、また逢える機会なんてないと思っていたあの人――。
(やめよーよもう、動揺しすぎ……)
支倉との一回きりを思い起こしてしまった都は、ふるふると首を振る。
「その人、脅迫とかされてたんじゃないんですか?」
そのタイミングで聞こえた声に、え? と二人して顔を上げる。事務員である藤木が、煎れ立てのコーヒーを持ってきてくれたのだ。
「え、って、だって、イヤですよそんな男なんか。お金もらったってしたくない。被害者の女の人、お金に困ってたわけじゃないんでしょ?」
不愉快そうに眉を寄せた藤木が、ふるると身を震わせる。同じ女ということで、感じ方は近いのだろう。
都は、なぜそこに気づかなかったのだろうと、口許を押さえた。
「やっべ、そこから勘違いしてたんだ」
「あの数字、時間じゃなかったってことかな」
都と春日野は、慌ててパソコン内部のフォルダを確認する。デジタルカメラで撮影したあの手帳は、きちんと整理されていた。
十二日、シャトー・岩・三。
十七日、シャトー・岩・五。
三十一日、サザンクロス・室・五。
翌月十日、ロレンス・冴・七。
その日付の欄に、場所と、名前の頭文字、そして数字が書かれている。
都たちは――上杉たちもだが、その数字は相手と逢う時刻だと思っていた。
五時、三時、七時。十二時間表記なら逢い引きでもおかしくないのだが、二十という数字があるのに気づく。
それが時刻ならば二十四時間表記となり、五や三や七は早朝ということになってしまう。逢い引きには早すぎる時間だ。
店にまで押しかけてきていた岩城、しつこかったという証言、行き詰まってはいない店の経営。導き出される結論は――脅迫。
「これ、渡した金の額ってことだよね」
「多分。どんどん要求大きくなっていったんだろうな。こんだけ頻繁なのに、一気に二十ってきつい」
「少ない金額で脅して、これなら払えると思わせる手口だ。長引かせることでより楽しむことができる」
「クズかよ」
「同感だね」
梶谷洋子を何らかの理由で脅し、体の関係を迫ったばかりか、金銭まで要求していた男が、殺された。
その岩城と面識のあった男が二人と、さらには洋子までもが殺害されている。
「いちばん考えられるネタは、洋子さんの不倫についてかな」
「アリだね。相手が、もし世間的に名の知れた人物なら余計に。知られるわけにはいかないでしょ」
「あ、それをネタに脅してたってことですか?」
「そう。藤木ちゃんのおかげだよ、ありがとね」
「わーい、ボーナス査定よろしくお願いしまーす」
うきうきとした藤木の声に、少しだけ心は和んだが、事件の解決にはならない。
「あと問題とすれば……犯人がどこで、脅迫されてることを知ったのか。洋子さんのためを思ってって……ことだよね。三人も殺してんの」
「惚れた女のピンチだもんね。しかも体の関係まで迫っていたのなら、殺してやりたくなるのも分かるけど」
「結局、洋子さんの周りの男を洗っていくしかないってことか」
可能性がいちばん高いのは、洋子が不倫していたらしい相手。だけどひた隠しにしていた本命の相手を、どうやったらあぶり出せるのか。
京一郎に手を借りようかとも思ったが、今は少し顔を合わせづらい。都は仕事用の携帯端末を取り出して、だが何をするわけでもなくただ画面をじっと眺めた。
(あっちにも、電話すんの気が引けるんだよね。普通に話せるか分かんないもん)
情報源としてもうひとり思い当たるが、たやすくかけられない。支倉が、ただの依頼人というだけの相手なら、これほど悩みもしなかっただろうに。
うっかり好きになってしまった、兄の元カレ。被害者梶谷洋子の元旦那。
好意があるのはもうバレていて、だけどどうこうなるつもりはないと、向こうが言っているのを知っている。電話をかけたところで、進展するはずもない。割り切るしかないのだが。
(そうは言っても、声なんか聞いたら俺、逢いたくなるんだけど。駄目って分かってても、すっげぇ逢いたくなんの、どうやって言い訳すんの?)
仕事なのだと割り切りきれない。初めての夜からまだ数日しか経っていないのに。いや、だからこそなのか、支倉のことが都の中の半分以上を占めてしまっていた。
「支倉氏に訊いてみたら? どんなちっちゃいことでもいいからってさ」
そんな都を、傍で煽ってくる男がいる。依頼人には手を出すなという規則を提言しているはずの、所長・春日野だ。
「……煽んないでよ。っていうかあっちも今仕事中だろ、出られるわけないじゃん」
「でも、洋子さんにいちばん近かった人でしょ。洋司の方は海外だし。いつ戻ってこられるのか知らないけど」
「あーそれ訊いておけばよかったな。上杉さんとこ行ってこよ」
教えてくれるか分からないけど、と都は席を立つ。どうにか、支倉に電話をしないでいられる状況を作るのに、必死だった。
その時、一本の電話。
「ヤコちゃん、電話ー。ウエスギさんだって」
目を見開いた。名指しで呼ぶようなウエスギさんを、都は一人しか思い浮かべられない。今まさに逢いに行こうとしていた人物だ。
「替わりました、加納です」
『おうボウズ、俺だ。単刀直入に訊くがな、お前、梶谷洋司の行き先知らねぇか』
「……は? 洋司の? なんで」
電話の向こうの上杉は、深刻そうな声だ。行き先を知らないかということは、居所がつかめていないのか。しかし彼は海外に出張に行っているのではないのか。
『職場にも行ってみたんだよ。洋子のこと知ってるヤツがいないかと思ってな。そしたらよ、洋司は無断欠勤してるらしいんだ。一昨日から。出張なんて入ってねえってよ』
「出張じゃなかったってこと!?」
『教えてもらった連絡先にもかけてみたが、留守電でな。とにかく洋司の行方が分からねぇ。変なことになってねえといいんだが』
「自宅は……当然捜索ったよね」
都は頭を抱える。姉の事件が相当ショックだったのか、洋司は行方をくらましてしまった。最悪の事態を考えるならば、洋司もすでに犠牲になっているかもしれない。
しかし、マンションの管理人に出張だと嘘を吐いたということは、少なくとも洋司の意志が介入している証拠だ。
「ごめん、俺も洋司のことに関しては分かんない。探してみるけど……期待はしないで」
『おう、頼むわ』
早々に上杉との通話を打ち切って、都は携帯端末を再度持ち上げる。もう、個人的な感情でどうこう言っている場合ではなくなってきた。
「お京さん、探してほしい人がいるんだ」
電話したのは、京一郎の方。情報収集に関しては、京一郎を頼った方が早い。
『今回の事件絡みですか?』
「うん、被害者の弟。どっか行っちゃったらしくてさ。出張なんて嘘ついて。事件でショック受けてんなら、ヤケ起こしてなきゃいいなーって」
『いつからいないんですか? 行動範囲がしぼれないと、ちょっとキツいですね』
珍しく京一郎が弱気なことを言う。一昨日からみたい、と答えて、都はふとおかしなことに気がついた。
事件があったのは一昨日の夜。昨日発覚して、今日。
(あれ? おかしくない? 姉貴の事件より、失踪の方が早い……)
『それ、洋司が何か知ってるってことじゃないですか? もしくは、洋司自身が犯人……てことはないか、レイプ殺人でしたもんね』
「さ、さすがに弟が姉貴をってのはないでしょ。現場を見ちゃったとか、証拠持ってるとかかな」
『だったら警察に行くでしょう? 危ないこと考えてなければね』
京一郎の言葉に、都の目が細められる。京一郎が何を考えているか分かるからだ。
「お京さん……なに考えてんの」
『ヤコと同じことを。大事な姉が殺されたんですよ、自分の手で始末つけたいんじゃないですか? 俺だったら、犯人殺してやりたくなりますからね』
お京さん、と都は諫める。その気持ちは分からないでもないが、この国で殺人は犯罪だ。たとえ復讐が理由でも。
『そういう意味では、洋司を早く確保した方がいいですね。自宅周辺と職場は警察が押さえてるでしょうから……飲み屋関係なら、同業に確認してみますね』
「うん、ごめん……お願い」
都は通話を打ち切り、髪をかき混ぜてため息を吐く。こんな大事になるとは思っていなかった、今回の依頼。最初はただ、洋子の素行を調査してほしいというものだったのに。
「どっか……洋司の行きそうなとこがないか、俺も聞き込み行ってくる」
「大丈夫ヤコちゃん? 僕が行こうか」
「いい、平気。藤吾さんは他にも仕事あるでしょ」
そう言って、都は立ち上がる。結局どれほども事務所にいなかったなと思いつつも、洋司が変な気を起こさないうちに確保しないといけないのだ。泣き言など言っていられない。
そうして、関係者たちの写真を手に聞き込みを開始した。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
Label-less
秋野小窓
BL
『お兄ちゃん』でも『リーダー』でもない。ただ、まっさらな自分を見て、会いたいと言ってくれる人がいる。
事情があって実家に帰った主人公のたまき。ある日、散歩した先で森の中の洋館を見つける。そこで出会った男・鹿賀(かが)と、お茶を通じて交流するようになる。温かいお茶とお菓子に彩られた優しい時間は、たまきの心を癒していく。
※本編全年齢向けで執筆中です。→完結しました。
※関係の進展が非常にゆっくりです。大人なイチャイチャが読みたい方は、続編『Label-less 2』をお楽しみください。
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる