恋の音が聞こえたら

橘 華印

文字の大きさ
上 下
24 / 35
第四章

24:逢いたい人はいなくて

しおりを挟む


 昨夜眠ったのが遅かったせいで、体の疲労が抜けていない。しかし仕事を放り出すわけにもいかなくて、都はいつものように、出掛ける仕度をしてアパートを出た。
 曇天。どうかすると雨天よりも気分が滅入りそうで、都はため息を吐く。

「さて、ひとまず自宅かな」
 あの写真のままなら、梶谷洋司は平日勤めのサラリーマンのはず。普通ならばもう出勤している時刻だろうが、さすがに姉が殺されて間もないのだ、休養しているだろう。
 朝から申し訳ないかなと思いつつも、電車をいくつか乗り継いで、洋司のマンションまでやってきた。
「あ、よかった、住所変わってないみたいだ」
 エントランスの集合ポストには、五〇四・梶谷と記してある。洋子が出せなかった年賀状からもう三年。引っ越している可能性もあったけれど、彼は変わらずここにいるらしい。

 エレベーターを待つよりは階段で、と足を向けた時、管理人室のドアが開いて、見知った顔の男が出てきた。
「えっ、上杉さん?」
「おうボウズ」
 それは浮かない顔をした上杉と、手帳を見ながら後ろにつく三島だった。上杉たちは都に気がつき、声をかけてくる。
「どうした、捜査の邪魔か?」
「邪魔するつもりはないって言ってんでしょ。こっちだって仕事なん……ねえ、もしかして梶谷洋司?」
「まあな。だが今はいねーぞ」
「出かけてんの? タイミング逃したかな」
 やはり上杉たちも梶谷洋司を訪ねてきたらしく、不在であることを教えてくれる。五階まで上がらずに済んだが、帰宅を待つべきか、他の所へ聞き込みにいくべきか。
 そこらへんのコンビニにでも出かけているのなら、すぐ帰ってくるだろうかと思案する都に、上杉が首を振った。
「いや、海外に出張中なんだと。海外対応の携帯じゃねぇのか、繋がらねーんだ」
「今やっと、ここの管理人さんに、職場とか緊急の連絡先教えてもらったとこなんですよ」
「いやあまいった、何しろ被害者に弟がいたってのもすぐには分からなくてな」
「えっ、なんで? 警察アンタらならすぐに分かったでしょ」
 都は目を瞠った。家族構成が分からなかったなんて。犯人の痕跡はなくとも、被害者である洋子の物はあっただろう。携帯端末にでも、連絡先やなんかは入っていたのではないのかと。

「それがなあ、被害者のスマホにゃ番号もアドレスも入ってなかったンだよ」
「えっ、なんで!? だって仲良かったって……」

 驚いて声を上げる。
 仲が悪かったり、絶縁中だったりしたのなら分かるが、支倉から借りたあの写真を見るに、姉弟仲は良さそうだった。住所はまだしも、電話番号やSNSのIDくらい、なかったのだろうか。

「んなこたぁ、こっちだって知りてぇさ。何か事情でもあったんだろうよ」
「犯人が消してったってことはないの?」
「なんで弟のだけだ?」
 都の疑問に、上杉も疑問で返してきて、そりゃそうだと都は言葉を詰まらせる。わざわざ弟のだけ消していく理由が、すぐには見つからない。
(なんで……? どうして、洋司の連絡先……。そういや、年賀状も出さないままで取ってたんだっけ)
 ううんと唸る。洋司の連絡先を知らないわけではない。あえて登録していなかったのだろう。だけど、その理由が分からない。

「ま、連絡先が分かったんだ、ひとまず事件のことだけでも話しておかねぇとな。頼むぞ三島」
「えっ、それあれですよね、遺族に話すのを俺に押しつけてるだけですよね」
「経験積ませてやってんだろが」
「はぁー、気が重い」
 上杉たちがそう話し合っている横で、都は腕を組んで考え込む。何か理由があったはずなのだ。こうまで頑なに、弟と連絡を取り合わない理由が。

「ねぇ上杉さん、洋司の方って素行はどうだったの? 補導歴とか、前科とか」
「あー?」
 仲が良かったのは昔の話かもしれない。あの写真を撮った後に何かあったのか、それとも幼い頃の問題がしこりとなって残っているのか。そう思って訊ねてみるも、三島から否定が返ってきた。
「ないですね。至って善良な市民みたいですよ。まあ歩行時の信号無視とか二十歳前の飲酒とか、発覚してないものがあれば、自分たちには分かりませんけれど」
「そっか……」
 ならば、世間体が悪くて、連絡を取っていなかったというわけでもないようだ。可能性を、ひとつずつ潰していかなくてはいけないのだろうが、情報が少な過ぎると都は眉を寄せた。

「そういえば、今回の犯人に前科がないってのも、面倒だな」
「え、指紋、……ああ、そっか。レイプされてたんだっけ。痕跡あったの?」
「まあな。犯人はB型ってくらいだ」
「けど、レイプは事件になりにくいですからね。捕まっていないだけで、常習かもしれませんよ」
 近所で、不審人物がいなかったか聞き込んでみましょうと、三島が促す。上杉もそれに同意して、そこを離れようとした。

 だが、それは都の問いかけによって止められることになる。

「でも、いちばんの目的はレイプじゃないよね」

 都は思い出したのだ。常習――つまり繰り返しているという単語で、今回の事件が連続殺人かもしれないという可能性を。
「……どういうことだ?」
「今回みたいにパンストを凶器にした事件、他にもあったでしょ。報道はされてないけど、連続殺人シリアルなんじゃないの?」
 上杉と三島が、目を見開く。それはつまり肯定と見て取れるが、してやったりという優越感などない。
「お前……また情報屋使っただろ……」
「こっちだって仕事なの。邪魔はしてないつもりだけど」
「確かにあった。捜査本部でも、連続なんじゃねーかって見解がほぼ通ってたんだ。ただなぁ……今回に限って被害者が女だってのが、どうもな」
 上杉は、ガシガシと頭を掻きながらも情報をくれる。今回に限ってということは、つまりそれまでの被害者は男だったのだ。
女の物パンストで大の男を絞め殺すってなぁ、その手の性癖の持ち主かとも思ってたんだが」
「被害者たちは、大学時代に一緒だったみたいですしね。怨恨て線もあったんですけど、今回の被害者がどうも繋がらなくて」
 困りましたよと肩を竦める三島に、都は眉を寄せる。やはりあの被害者たちには繋がりがあったのだと。だが、もうひとつの繋がりに、上杉たちは気がついていないらしい。

「ねえ、バイト先とかゼミとか、洋司もいたんじゃないの? 同い年でしょ」

 都の表情が険しくなる。それに気がついたのか、上杉たちは一瞬言葉を失ったようだった。
「おい」
「す、すぐに確認します」
「あと、洋子さんの相手だった可能性。対象者って、岩城と冴島と室伏だろ。アンタに渡した洋子さんの手帳、三人の頭文字が書いてあるの気づかなかった? とても偶然とは思えないけど」
「気づ、……おいっ、なんで気づかなかった三島っ」
「う、上杉先輩だって気づかなかったでしょうがっ! ああ、でも、それ手掛かりですよね、本部に――」
 二人の刑事は慌て出す。今回のみ女だったということで、連続殺人という意識が薄れてしまったのだろうか。
「もし犯人が洋子さんに惚れてたとしたら、そいつらと引きあわせた洋司のことだって憎いんじゃない? 海外出張しててよかったかもね」
「おいおい、洋司も狙われてたかもってのか?」
「上杉先輩、これ、早く本部に。前の被害者もういっぺん洗い直した方がいいんじゃ」
「そうだな。いったん戻って、方針固めた方がいい。おぅ、助かったぜボウズ、また何か分かったら知らせてくれ」
 そう言って二人は足早に、駐めていた車に走っていく。

 都はふうと息を吐き、さてどうしようかと考え込んだ。目的の人物がいなかったとなると、洋子の私生活を、他の誰に訊いたらいいのか分からない。
 店の従業員にでも訊いてみるしかないかと思うも、従業員の居所なんて当然知らない。唯一手掛かりになりそうなのは、店だ。
 都はあまり期待をせずに、足をそちらに向けた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

恋人が出て行った

すずかけあおい
BL
同棲している恋人が書き置きを残して出て行った?話です。 ハッピーエンドです。 〔攻め〕素史(もとし)25歳 〔受け〕千温(ちはる)24歳

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

Label-less

秋野小窓
BL
『お兄ちゃん』でも『リーダー』でもない。ただ、まっさらな自分を見て、会いたいと言ってくれる人がいる。 事情があって実家に帰った主人公のたまき。ある日、散歩した先で森の中の洋館を見つける。そこで出会った男・鹿賀(かが)と、お茶を通じて交流するようになる。温かいお茶とお菓子に彩られた優しい時間は、たまきの心を癒していく。 ※本編全年齢向けで執筆中です。→完結しました。 ※関係の進展が非常にゆっくりです。大人なイチャイチャが読みたい方は、続編『Label-less 2』をお楽しみください。

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

処理中です...