恋の音が聞こえたら

橘 華印

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第三章

23:淡すぎた恋心

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「ヤーコちゃん。どしたの、遅かっ……なにかあった?」
 とぼとぼと大通りへ向かって歩けば、遅いのを心配したのか、春日野が駆けてきた。その声に顔を上げた都だが、その拍子に、はらりと涙が落ちてしまう。
「あっ、あっ、ごめ、なんでもない、大丈夫」
「支倉さんに何か言われたの?」
 優しく頭を撫でられて、温かなぬくもりに、ピンと張っていた都の糸が切れる。
 ぼろぼろと、あふれ出てくる涙を、止めることができなかった。
「……とーごさぁん……」
「ヤコちゃん」
 春日野はそれに慌てることなく。撫で続けてくれる。

 成人した男子が、こんなふうに泣いてしまうなんて、みっともない。そう思っているのに、春日野の前では子供のようになってしまう。まだ子供だよなんて言われるのも、頷ける気がした。

(あー、そういえば俺……お京さんとは男の好み似てんだっけ……)

 血が繋がっているせいなのか、惹かれるタイプはどこか似ていた。年上の優しい男、甘えさせてくれる人。こうして抱きしめてくれる相手。
 思い起こせば、春日野にほんのり恋心を抱いていた時もあったなあと、温かな腕の中で考え、ハッとした。

「ごっ、ごめん藤吾さん、俺っ……」
「ん? どしたの。人通り少ないし、変に見られることもないでしょ」
「そーじゃなくて、いやそうかもしれないけど、あのなんていうか、ごめんもう大丈夫」
 都は慌てて春日野から体を離し、深呼吸。
 確かにこの人にどぎまぎしていた時もあるけれど、今は違う。何しろ彼は、京一郎が好意を持っている相手なのだ。こんなことをしていてはいけない。

(後ろめたいんだよね、どうしても)

 恋心がなくなったわけではないが、無理だろうなと諦めたのは、京一郎の気持ちを知っていたからだ。
 京一郎と争って、勝てるはずがない。それは卑屈になっているわけではなく、都も純粋に兄を慕っているからだ。
(お京さんには、幸せになってほしい)
 だから、自分の恋を諦めることくらい簡単だったし、逆に言えば、京一郎のために諦められる程度の恋だっただけ。もちろん京一郎は知らないことだ。

「ねぇ藤吾さん、お京さんのことどう思う? ほら、綺麗とか可愛いとか、カッコイイとか」

 京一郎の恋は叶ってほしい。心の底からそう思う。春日野は異性愛者のはずだが、京一郎のことはどう思っているだろう。恋でなくても、好意を持ってくれていたらいいと、願うように訊ねた。
「あはは、ヤコちゃんだって可愛いじゃない」
「俺のことはいい……って、あれ?」

(ヤコちゃんだって、……ってことは、お京さんのことも可愛いって思ってんの?)

「あのねぇヤコちゃん、あの二人のこと気になるのは分かるけど、お京ちゃんとヤコちゃんは違うんだよ。ヤコちゃんにはヤコちゃんの魅力ってものがあるでしょ。好きならちゃんとアプローチしなよ」
 生徒を諭す教師のような、弟を諭す兄のような、優しい声で春日野は笑う。
 見透かされてる、とバツが悪くなった。

「えっ、あれっ、藤吾さん、あの二人がつきあってたこと、知って……?」

 言いかけて、都は口を押さえる。言うべきではなかったかもしれない。京一郎だって、昔の男のことなんて知られたくなかっただろう。好意を持っている相手にはなおさらだ。
「分かるよ、見てれば。お京ちゃん隠すの下手だし」
 都は目を瞬いて、そして瞠った。

 見てれば分かる、と言った春日野の表情が、ほんの少し幼くなっていた。寂しそうな顔は、彼の方こそあの二人を気にしているのだと気づかせる。

(え、あれ、うそ、マジで?)

「と、藤吾さん……? あの、あのね、間違ってたら悪いんだけど、藤吾さんてお京さんのこと好き?」
「……うん、まあ、好――」
「あっ、あぁ、駄目駄目、ちょっと待って! それ俺に言う前にお京さんに言って! 相手が違う!」
 訊いておいてあれだけど、と都は声を上げて遮る。
 その大事な言葉は、都の耳には入っていない。聞いていない。
 突然に認識した事実に、カアァッと顔の熱が上がってくる。
(なんだ、そっか、良かった、両想いなんだ!)
 落ち込んでいた気分が、最高潮に上昇した。

 京一郎は春日野が好き、春日野も京一郎が好き。

 この分じゃ想いは伝え合っていないのだと察して、早くくっついてしまえと、自分のことでもないのに、そわそわわくわく心臓が躍る。
「え、や、でも、無理でしょ。お京ちゃんもそっちだってのは知ってるけど……そんなに簡単なことじゃないと思うんだよね」
「なんでそーなんの!? 何が見てれば分かるだよ、もう、鈍感!」
 がっくりと肩が落ちる。鈍感にもほどがあると嘆いて、息を吐いた。誰がどう見たって、京一郎の視線は春日野に向かっているのに。
 いっそこのまま店に引きずって戻り、押し込んできてやろうかとさえ思ったけれど、支倉にも鉢合わせるかもしれないと思うと、それもできない。
「ねえ、ちゃんとお京さんのこと捕まえといてよ。じゃないと支倉さんとより戻しちゃうじゃん」
「いや、捕まえるとかそういう以前の問題で」
「お京さん好きになるとか、目が高いなー藤吾さん。ほんと綺麗だもんねぇ」
「聞いてよ」

 嬉しい、と素直に思う。
 この二人が恋人同士になれば、支倉とどうにかなる可能性はゼロになり、自分にもまだ希望がある。そういう打算的な考えがないではなかったが、それでもただ、嬉しい。大事な兄の恋が実るのは、本当に嬉しい。

「俺もさー、兄貴じゃなかったらお京さんのこと好きになるもん」
「ヤコちゃん酔っ払ってない? 大丈夫?」
「へーきですぅー」
「……平気そうじゃないね。ほら危ないって。タクシー拾ってさっさと帰ろう」
 なだめるように頭を撫でられ、手を引かれて歩道の端に寄る。捕まえたタクシーに、二人で乗り込んだ。あと数時間で出社しなければならない状態だが、今日はきっといい夢が見られると、都は浮かれ気分で鼻歌を奏でた。

「ねー、早く言ってあげてね藤吾さん。お京さん絶対喜ぶよ」
「そんなわけないでしょ、僕はお京ちゃんのタイプから外れてるよ。いくら兄弟でも、そういうところは分からないのかな」
「いやいや、お京さんのタイプど真ん中だってば」
 都は、あまりの鈍感さに呆れて肩を竦める。

 この人が、兄が、早く幸せになれればいい。失恋直後に笑うことができるなんて、そんな自分自身にも呆れてしまった。


「あ、ここでいい。もうそこだし。お金半分出すね」
「いいから、気をつけてねヤコちゃん。明日大丈夫? 起きられる? 電話しようか」
 財布を取り出そうとした都を、春日野が止めてくる。ここはお言葉に甘えておこうと、都は財布を引っ込めた。
「平気平気、一杯しか飲んでないし、お京さん俺に強い酒出してこないから。あと、モーニングコールはお京さんにやってあげて」
 運転手に車を停めてもらうように頼み、都は開け放されたドアから車外に出た。からかい目的も多少ありつつ、春日野にそう告げて手を振る。
「お京ちゃん夜型でしょ……」
「じゃあお昼とか。頑張ってね」
 おやすみ、とつけ加えて都は体を翻す。スキップでもしそうな勢いで、自身のアパートへと向かっていった。


 ざあっとシャワーを浴びて、いつものように自分のベッドに寝転がる。ひとりの夜は寂しいけれど、仕方がない。好きな相手を想い浮かべても、届かないのだから。
「無理無理、だから失恋してんだってもー」
 この期に及んで情けない、と大きくため息を吐いた。

 支倉に、惹かれている。

 もともと年上に弱いのに加えて、「都」とちゃんと呼んでくれる人。だけど八つも歳の離れたガキを相手にするほど不自由もしてないだろうし、支倉の好みが、兄のような人だったとしたら、望みはない。
「お京さんには……敵わないよ……」

 羨ましい。
 妬ましい。
 憎らしい。

 でも、家族として大切に想っている。
 だから余計に、悔しい。
 自分が知らない京一郎を、支倉が知っているということが。
 支倉がどんなふうに恋人に接するのかを、京一郎は知っているということが。

「……さみしい……」
 京一郎には、大切にされていると思う。大切にできているかは分からないが、都だって大切に思っている。
 彼にも彼の生活があって、彼の交友関係があって、それは都にも言えることだ。
 だけどどうしてか、疎外感。あの頃大事な人がいたことを、知らなかった。教えてくれなかった。

 子供っぽい嫉妬だ。

 それにたった今気がついて、都はうつ伏せて枕に顔を押しつける。恥ずかしくて、顔から火が噴き出てきそうだ。
「ブラコンかよ、バカじゃねーの」
 自分の知らないところで、自分の知らない人を大切に想っていた兄。
 あんなに過保護なのに、弟がいちばんでなかったことが悔しくて、寂しくて、そんなことを考えていた自分が情けない。
「んーでもほら兄弟だからね、家族だからさ、大事なの当然だし、ヤキモチとかね、仕方ないっていうか。……妬くのかな、他の人って」
 京一郎が誰を想おうが、別にいい。変な男に引っかからなければ。ただ、自分がその相手を知らないことが嫌なのだ。
 だからなのか、京一郎が春日野に好意を持っていることに気づいても、自分の淡い恋が終わったと思うだけで、寂しくなったりはしなかった。
 兄の恋愛事情まで気になるというのは、世間ではどうなのだろう。
 そういえば春日野には妹が一人いると聞いている。彼も気になったりするだろうか? と考え出すと、止まらない。
 明日にでも訊いてみようと、都は深く息を吸い込んで寝返りを打ち、眠る体勢に入った。

「あ」

 だが、タイミング悪く気がついてしまう。
 今回の調査対象も、「姉」だったのだと。彼女には弟がいて、聴取に行く予定なのだ。
 都はむくりと起き上がる。
(洋司の方は……洋子さんのこと気になったりするかな? つか、あんなことやってたのは、知っ……てるわけねーよな、知ってたら止めるわ)
 支倉が弟の存在を知っていたということは、少なくとも紹介をしているはずだし、結婚したことも、離婚したことも知っているだろう。

 その時、何も思わなかったのだろうか。

 仲が良さそうだったし、大事な姉を奪っていったどころか、名ばかりの夫婦で、離婚してしまったなんて。
(俺だったら、絶対いやだ。姉貴の意思でも、やだ。好きな相手と結婚できないからって、ほんとビジネスみたいな関係で結婚とか、反対するよ)
 事後報告だったとしたら、サイアクだ。突然どこの誰とも分からない相手が、大事な姉をかっさらっていきました、なんて。考えるだけで腹立たしいと、勝手に自分を置き換えて勝手に苛立つ。

 明日洋司に逢えたら訊いてみようと、都は再びベッドに寝転がる。
 訊くにしても、慎重にタイミングを計らなければならない。何しろ相手はその大事な姉を、どこの誰とも分からない相手に殺されているのだ。やり場のない怒りや絶望を抱えていることだろう。
(早く……犯人捕まえてやりてーよな……)
 頑張ろ、とゆっくり目を閉じて、都は浅い眠りに落ちていった。


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