恋の音が聞こえたら

橘 華印

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第三章

20:声を聞くだけで

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「あれ、……ん?」
 そうして四枚目の紙をめくった時、ふと違和感を覚える。いや、既視感というのが正解だろうか。
「どうしました、ヤコ」
「ん、いや……この並び、どっかで」

 紙に書かれた被害者の名前。
 岩城孝、冴島健二、室伏充。

 都はその四枚目をじっと眺めて、何度も読み返す。絞殺体なのは今回と同じ。凶器はここには書かれていないが、どうしてか気にかかる。
 そしてハッとした。
 都はカバンの中から今回の依頼ファイルを取り出し、プリントアウトした写真を確認する。
「あっ……た、これ」
 それは手帳の数ページ。書かれた名前の一文字が、この三人の被害者と一致するのだ。

 岩、冴、室。

 どれも珍しい名前ではないが、これを偶然として片付けるのは難しい。彼女と繋がりがあったかもしれない男たちが、ここ一か月で次々に殺されているなんて。
「痴情のもつれですか……」
「金の流れがあったかもだしね。もしくは彼女に本気だったヤツが、他の相手をって感じ?」
 だけど、とお京はプリントアウトした手帳の写真を指さして、訊ねた。
「金銭トラブルにしても恋愛感情にしても、犯人は誰ですか? この手帳に書いてある三人、もう死んでますよ」
 都もはたと気がつく。手帳に書かれた名前は三つ。死んだ男も三人。手帳とその男たちが結びつくなら、彼女を含めて全員が死んでいる。この手帳に書かれている以外にも相手がいるならば、突き止めるのは難しい。
 電話でのやりとりにしろ、メールにしろ、それはすでに警察が確認しているだろう。連続殺人という可能性がある以上、見逃しているはずもない。都はがっくりと肩を落とした。

「やっぱ難しいのかなー、本職じゃねーと」
「まぁまぁ、そうがっかりしなくても。逆に、ここに書かれていなかった相手が、もしかしたら本命だったのかもしれないですし」

「……え? なんで?」

 きょとんと首を傾げる。なぜ本命と逢う予定が書かれていないのか。恋人だったのなら、それこそデートの予定など嬉しいものに決まっているのに。
「ただのウリの相手と、心から愛している人を、一緒に書きたいものですか? まあ、本命がいるのに他の男と――というのが、そもそも俺には理解できませんが……後は、そうですね、ここに書いたらまずい相手、とか」
 お京も唸りながら可能性を音にしていく。
 お京自身、バーで多くの客を相手にしてはいるが、それはあくまでも客とマスターというだけだ。たまに本気で言い寄ってくる相手もいるようだが、そこはきっちりと線を引いているらしい。

 都は、瞬きひとつ。大事なことを忘れていた。

「そうだ……、彼女、好きな人がいたみたいなんだよね。その人とは結婚できないからって、ウチの依頼人と形だけの結婚してたんだ……」
「なら、その依頼人てことは……ああ、でもアリバイがあるんでしたっけ。ヤコの記憶が確かなら、ね」
「どういう意味?」
「ホテルから現場まで、どれくらいですか? 少し下世話な話をしますが、ベッドで気絶するまで貴方を抱いて、犯行時刻もベッドに一緒にいたと錯覚させるのは、簡単ですよ」
 睡眠薬だとすぐにバレますけどね、とお京が付け加えてくる。

 都は目を瞠った。
 支倉がホテルを抜け出して、彼女を殺し、何食わぬ顔でホテルに戻り――あんなキスをして、彼女の素行調査を依頼してきたというのか。

「違う、絶対」
 都は、お京の導き出した可能性を否定する。
 確かに、可能性としては考えられた。あんなことをやっていた理由を聞く前に、衝動的に犯行に及び、真実を求めて依頼してきたということも、充分にあり得る。
 都は彼のアリバイを証明したが、時刻は支倉の言ったものをそのまま信用しただけだ。
 だけど、

「あの人じゃない。上杉さんから電話かかってきたとき、ホントに魂が抜けたんじゃないかっていうくらい放心してた。犯人なら、あんなふうにはならないよ」

 だから絶対に違う、と続ける。お京の目をまっすぐ見つめると、彼は呆れたように目を伏せた。
「あなたがそこまで信用しているなら、いいですけど。俺はその相手について何も知らないから言っているだけで。すみません、ヤコ」
「え、あ、うん、別に、いいけど……お京さんは可能性を言ってくれただけだし」
「でも、その依頼人には心当たりないんですか? 彼女のお相手について」
「そこが面倒なとこでさ。あの人たち、結婚してたくせにね、相手のプライベートは何も知らないらしくて。まだ家族とかの方が知っ……」
 あ、と気づく。そういえば彼女には弟がいると言っていた。姉の死はもう知らされているだろうが、話を聞ける状態なら、一度逢ってみたい。数年しか一緒にいなかった支倉よりは、よほど彼女ことを知っているだろう。恋愛遍歴などは期待していないが、彼女の人となりくらいは。
「お京さん、被害者の弟の住所とか、分かるかな」
「弟? 実家でないなら、少し時間がかかる思いますが……」
 お願い、と都は胸の前で手を合わせる。お京はやれやれといったふうに肩を竦めた。

 その時、聞き慣れた呼び出し音。都の携帯端末だ。

「あれ、誰だろ。あ、違うや仕事用方だ」
 私用の端末を持ち上げて見るも、着信している様子はない。支給されている仕事用の方だ。
「えっ……なんで」
 慌ててカバンを探り取り出すと、着信画面には支倉の名前が浮かんでいた。都は即座に通話をタップする。
「も、もしもし、どうかしたの?」
『いや、あれから思い出して、探してみたんだ。義弟……ああ、もう元だが、彼の住所とか』
「えっ、あるの!? 今ちょうど調べようとしてたとこなんだよね」
 端末を通して、支倉の声が聞こえる。事件の進展に繋がりそうなことなのに、不謹慎にも都の心臓は別の意味で大きな音を立てた。

 声を聞いただけで、こんなにも胸が熱いなんて。

(ほんと、落ちた後って速いんだよね、俺……)
「ちょっと待って、メモ……」
『写真も見つけたが、これもあった方がいいだろうか』
「え、あー、うん、そりゃ……顔分かる方が。あの、明日って」
 明日逢えるかと訊ねかけて、明日も平日であることに気がつく。つまり仕事があるだろうことは、すぐに分かる。できれば早く知りたいが、可能なら昼休みにでも逢えないだろうか。

『今から逢えるか?』

「えっ、今!?」
 都は驚いた。別れたとはいえ元妻が殺されて、心に傷を負っただろう依頼人に、無茶を言うわけにもいかないと思っていたのに、向こうから打ち消される。
 そりゃあ情報は早い方がいいし、明日も朝から調査に出掛けることができる。
「あの、そっちが構わないなら……」
『今どこに?』
「いや、俺がそっちに」
「ヤコ、ここに来てもらったらどうですか? 調べ物するなら、俺がやりますから」
 事態を察したのか、お京が小さく口を出してくる。
 確かに、弟の住所が分かったとして、そこから何かを調べるとしたら、慣れているお京にやってもらうのがいちばん速い。
「いいの? ありがとう。あ、うんごめん、あのさ、新宿まで来られる? 住所言うから」
 そうして都は支倉に店の住所を説明し、気をつけてと通話を切った。店自体はクローズになっているが入れるからと付け加えて。
「すぐに来るって。ゴメンねお京さん」
「いいですよ。俺も、ヤコを骨抜きにしたって人を見てみたかったですし」
「そっち目当て!?」
 思わず声を上げた都に、お京は肩を震わせて笑う。からかって遊んでいるのだと分かっていても、釈然としなかった。


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