19 / 35
第三章
19:バーのマスターは万能です
しおりを挟む新宿、繁華街。
この街が真っ暗になることはあるのだろうかと思うほど、どこかしらに灯りがある賑やかなそこを、都は迷うことなく進む。
たどり着いたのは、雑居ビルの三階部分。『京』というバーだ。
電飾の施された看板は、ほんの少しいかがわしさを感じさせるが、店自体は至って健全な飲み屋だ。合法な酒を、合法に許可されている年齢の相手に出し、相場の金をもらう。ただそれだけ。
「お京さーん」
都はドアを開けてカウンターの店主に手を振る。
お京と呼ばれた店主は都の姿を認め、少しだけ眉を寄せた。綺麗な金茶の髪を高く結い上げたその男は、睨みつけてくる顔も綺麗だった。
「こら、こんな時間までほっつき歩いて。何かあったらどうするんです、ヤコ」
「…………お京さん、俺もう二十四なんだけど……」
がっくりと項垂れながら、カウンターの奥から二番目の席に腰をかける。いつもの指定席だ。
「俺から見れば、まだ子供ですよ」
「なんでかなーもー、昨日からその台詞聞くの三回目なんだけど!」
子供扱いされるのが気に食わない。テーブルに拳をたたきつける都に、お経は笑いながらいつものカクテルを出してくれる。テキーラ少なめのサンライズ。
どうもこのマスターは自分を子供扱いしたがる、と都は眉を寄せながらも、そのカクテルで喉を潤した。
「厄介な仕事ですか?」
「あー、……うん、ちょっと」
「ヤコが俺のところに来るのは、そういう時ばっかりですね。たまには普通に飲みに来てくれてもいいのに」
「弱めのヤツばっか出してくるくせに、何言ってんの。あー、でも、ごめん今回も……力借りたいんだ」
この店に来てこの席に座るということは、つまりそういうことなのだと暗黙の了解がある。手が行き詰まったとき、都は彼に力を貸してもらうことが多々あった。
いや、都だけではない。上司である春日野だってそうだし、以前は警察の人間と鉢合わせたこともある。
「構いませんよ。ヤコなら特別料金にしてあげますから」
「それみんなに言ってんじゃないの? 情報屋さん」
「ふふ、アタリです」
揶揄する都にも少しも動じないこの男は、いわゆる情報屋だ。
情報の収集法法は、いささか合法でないこともあるのだが、その正確さは目を瞠るものがある。だからこそ警察機関の人間でさえ、お京から情報を買うのだろう。
そこで恩を売っておいて、次はその刑事から情報を買うと言うこともあるようで、そこは持ちつ持たれつというヤツだ。都が口を出すことではない。
「カテゴリーは殺人。俺が初めてメイン任された依頼なんだけど、寄りによって調査対象が殺されたんだ」
店内には客もぽつりぽつり。聞かれていい話ではなく、都は声のトーンを落として呟いた。お京が目を瞠って、次いで眉を寄せる。
「メインって……ああもう、ヤコには危険な仕事させるなって言っておいたのに」
「違う違う、もとは素行調査なんだって。藤吾さんは悪くないから。調査対象は女性なんだけどね、彼女の経営してるカフェで、今日絞殺体で見つかったんだ。で、ちょうどウチに依頼にきてた人が被害者と親しかったもんだから、事情聴取一緒に受けてさ」
過保護だなと、お京の不機嫌の理由を知った都は、ひとまず否定をしておく。ここで春日野と険悪になられても後が面倒なのだ。
「一緒って、どうしてです」
あ、と都は声を詰まらせた。そこを言う必要はなかったのに、つい口から飛び出してしまった。お京も、耳ざとくそこをすくい上げてくる。
ごまかすより、正直に話してしまった方がいいかなと、都は少しだけ躊躇って、続けた。
「お互いがアリバイの証人なんだよ。彼女が殺された時間帯、俺その依頼人と一緒だったから。夜ね。ごめんちょっと察して」
「……ヤコ」
「怒んないで。ごめん、ほんとに馬鹿なことしたと思ってるけど、どうしても止まんなかったの」
お京の目が、ここいちばんで細められ、怒っているのが伝わってくる。都の恋愛事情はよく知っていて、なだめてくれるのも、アドバイスしてくれるのも、お京だった。
「……付き合ってる彼はどうしたの?」
「大丈夫、そこは。依頼人と逢った時には別れてたから。つーか別れた直後だったから、浮気とかそういうのじゃない」
「それは結構。で、依頼人に惚れて、仕事にかこつけて口説いてるわけですか」
「口説けてないよ。お京さんだってウチの規則知ってるくせにっ」
仕事中は依頼人に手を出したりしない。その規則はお京も知っている。
ひやかしを含んだお京の意地悪を跳ね返して、都は熱くなった頬を押さえた。
「惚れてはいるんですね。ろくな男じゃなかったら許しませんよ、ヤコ」
「相変わらず過保護……」
「なんとでも。それで? その事件で何が引っかかってるんですか。わざわざ俺のところに来るなんて」
お京に口で敵うことはない。試したことはないが、恐らく体術の方でも敵いそうになくて、都は早々に負けを認めてホールドアップ。
は、と思い出したように顔を上げる。そうだ、ここに来た目的を忘れてはいけない。
「上杉さんがさ、ちょっと……気になること言ってたんだよね。凶器」
「凶器? 絞殺ってことなら……犯人のネクタイとか、被害者のエプロンの紐とか」
「パンスト」
「パンストって……被害者のですか?」
「たぶん……でも、上杉さんあの時、またって言いかけたんだ。なんでもないって濁してたけど、これ、もしかして連続してんじゃないのかなって思って」
事情聴取の際、都が引っかかったのはそこだ。
またということは、直近に似たような事件があったはずで、犯人は捕まっていないことが推察される。お京の表情も硬くなり、少し待ってくださいと店の奥に引っ込んでしまう。
時間にして、二十分、あったかどうか。お京は数枚の紙を手に戻ってくる。
「速すぎ」
「ピックアップしただけです。そこに本命がいるかどうかは分かりませんよ」
都がその紙を受け取りざっと確認しているうちに、飲んでいた他の客が会計を頼んでくる。お京はマスターの顔に戻り、にこやかに対応し、また来てくださいねとお決まりの文句で、三組の客を見送った。
「お店クローズにしてきたんで、声抑えなくても大丈夫ですよ、ヤコ」
「えっ、この時間帯って書き入れ時なんじゃないの」
「俺の店は気まぐれなので」
「それは分かる」
店の看板を下げてきたらしく、お京はそう言って都の隣に腰掛ける。申し訳ないという思いと、力強いなと思う感情がごちゃ混ぜになって、都は口の端を上げた。
「上杉さんの管轄に絞ろうかとも思ったんですが、そうすると見落とすかもしれないので、ここ半年くらいのですが、東京近辺で起きた事件を集めました。男女、年齢問わず」
お京の言うとおり、その紙には日時と場所、被害者の年齢性別、事件の概要が記載されている。
この短時間にまとめてきたということは、起きた事件を常日頃から収集しているのだろう。全く頭の下がる思いである。
「またって言うからには、女性、ですかね、被害者。……レイプ殺人?」
「うーん、そうなるよねえ、可能性としては」
凶器がパンストというのだから、被害女性が身につけていたものだと考えるのが自然だ。乱暴されていたことを考えると当然犯人は男。計画的な犯行、もしくは衝動的な欲で起こしてしまった可能性が高い。
標的を物色していたのならば、不審者の通報がないだろうかと、お京は店の奥から小さな端末を持ってくる。お京の操作は、何度見ても一体何をしているのか分からない。その作業を横目で見守りつつ、都はピックアップされた事件を整頓していく。
「やな感じだよねえ、こんな事件ばっかりさあ」
「そうですね。ヤコにはもっと、普通の仕事をしてもらいたかったんですけど」
「んー、でも今この仕事やってんの楽しいよ。ワンコの散歩とかさ、お年寄りんとこの掃除とかね。この間おばあちゃんにお菓子もらっちゃった。美味しかったよ」
「楽しんでるなら、まぁ……いいですけどね」
「俺はもう大丈夫だから、お京さん。ありがとう」
責めるつもりも、止めるつもりもない。諭すつもりも毛頭なくて、ただお京への感謝ばかりで、都はゆっくりと音にする。
都の事情をすべて知っている、数少ない人物だ。
「それでも俺は、心配することをやめはしませんからね。あと、変な男にはひっかからないように」
クギを刺されて、都は肩を揺らして笑う。思い浮かんだのは、今回の依頼人である彼だけれども、どうにも一方通行だしなと、都は音にはせずに考えた。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
Label-less
秋野小窓
BL
『お兄ちゃん』でも『リーダー』でもない。ただ、まっさらな自分を見て、会いたいと言ってくれる人がいる。
事情があって実家に帰った主人公のたまき。ある日、散歩した先で森の中の洋館を見つける。そこで出会った男・鹿賀(かが)と、お茶を通じて交流するようになる。温かいお茶とお菓子に彩られた優しい時間は、たまきの心を癒していく。
※本編全年齢向けで執筆中です。→完結しました。
※関係の進展が非常にゆっくりです。大人なイチャイチャが読みたい方は、続編『Label-less 2』をお楽しみください。
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる