恋の音が聞こえたら

橘 華印

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第三章

19:バーのマスターは万能です

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 新宿、繁華街。
 この街が真っ暗になることはあるのだろうかと思うほど、どこかしらに灯りがある賑やかなそこを、都は迷うことなく進む。
 たどり着いたのは、雑居ビルの三階部分。『みやこ』というバーだ。
 電飾の施された看板は、ほんの少しいかがわしさを感じさせるが、店自体は至って健全な飲み屋だ。合法な酒を、合法に許可されている年齢の相手に出し、相場の金をもらう。ただそれだけ。

「おきょうさーん」
 都はドアを開けてカウンターの店主マスターに手を振る。
 お京と呼ばれた店主は都の姿を認め、少しだけ眉を寄せた。綺麗な金茶の髪を高く結い上げたその男は、睨みつけてくる顔も綺麗だった。
「こら、こんな時間までほっつき歩いて。何かあったらどうするんです、ヤコ」
「…………お京さん、俺もう二十四なんだけど……」
 がっくりと項垂れながら、カウンターの奥から二番目の席に腰をかける。いつもの指定席だ。
「俺から見れば、まだ子供ですよ」
「なんでかなーもー、昨日からその台詞聞くの三回目なんだけど!」
 子供扱いされるのが気に食わない。テーブルに拳をたたきつける都に、お経は笑いながらいつものカクテルを出してくれる。テキーラ少なめのサンライズ。
 どうもこのマスターは自分を子供扱いしたがる、と都は眉を寄せながらも、そのカクテルで喉を潤した。

「厄介な仕事ですか?」
「あー、……うん、ちょっと」
「ヤコが俺のところに来るのは、そういう時ばっかりですね。たまには普通に飲みに来てくれてもいいのに」
「弱めのヤツばっか出してくるくせに、何言ってんの。あー、でも、ごめん今回も……力借りたいんだ」
 この店に来てこの席に座るということは、つまりそういうことなのだと暗黙の了解がある。手が行き詰まったとき、都は彼に力を貸してもらうことが多々あった。
 いや、都だけではない。上司である春日野だってそうだし、以前は警察の人間と鉢合わせたこともある。
「構いませんよ。ヤコなら特別料金にしてあげますから」
「それみんなに言ってんじゃないの? 
「ふふ、アタリです」
 揶揄する都にも少しも動じないこの男は、いわゆる情報屋だ。
 情報の収集法法は、いささか合法でないこともあるのだが、その正確さは目を瞠るものがある。だからこそ警察機関の人間でさえ、お京から情報を買うのだろう。
 そこで恩を売っておいて、次はその刑事から情報を買うと言うこともあるようで、そこは持ちつ持たれつというヤツだ。都が口を出すことではない。


「カテゴリーは殺人。俺が初めてメイン任された依頼なんだけど、寄りによって調査対象マルタイが殺されたんだ」
 店内には客もぽつりぽつり。聞かれていい話ではなく、都は声のトーンを落として呟いた。お京が目を瞠って、次いで眉を寄せる。
「メインって……ああもう、ヤコには危険な仕事させるなって言っておいたのに」
「違う違う、もとは素行調査なんだって。藤吾さんは悪くないから。調査対象は女性なんだけどね、彼女の経営してるカフェで、今日絞殺体で見つかったんだ。で、ちょうどウチに依頼にきてた人が被害者と親しかったもんだから、事情聴取一緒に受けてさ」
 過保護だなと、お京の不機嫌の理由を知った都は、ひとまず否定をしておく。ここで春日野と険悪になられても後が面倒なのだ。
「一緒って、どうしてです」
 あ、と都は声を詰まらせた。そこを言う必要はなかったのに、つい口から飛び出してしまった。お京も、耳ざとくそこをすくい上げてくる。
 ごまかすより、正直に話してしまった方がいいかなと、都は少しだけ躊躇って、続けた。
「お互いがアリバイの証人なんだよ。彼女が殺された時間帯、俺その依頼人と一緒だったから。夜ね。ごめんちょっと察して」
「……ヤコ」
「怒んないで。ごめん、ほんとに馬鹿なことしたと思ってるけど、どうしても止まんなかったの」
 お京の目が、ここいちばんで細められ、怒っているのが伝わってくる。都の恋愛事情はよく知っていて、なだめてくれるのも、アドバイスしてくれるのも、お京だった。

「……付き合ってる彼はどうしたの?」
「大丈夫、そこは。依頼人と逢った時には別れてたから。つーか別れた直後だったから、浮気とかそういうのじゃない」
「それは結構。で、依頼人に惚れて、仕事にかこつけて口説いてるわけですか」
「口説けてないよ。お京さんだってウチの規則知ってるくせにっ」
 仕事中は依頼人に手を出したりしない。その規則はお京も知っている。
 ひやかしを含んだお京の意地悪を跳ね返して、都は熱くなった頬を押さえた。
「惚れてはいるんですね。ろくな男じゃなかったら許しませんよ、ヤコ」
「相変わらず過保護……」
「なんとでも。それで? その事件で何が引っかかってるんですか。わざわざ俺のところに来るなんて」
 お京に口で敵うことはない。試したことはないが、恐らく体術の方でも敵いそうになくて、都は早々に負けを認めてホールドアップ。

 は、と思い出したように顔を上げる。そうだ、ここに来た目的を忘れてはいけない。

「上杉さんがさ、ちょっと……気になること言ってたんだよね。
「凶器? 絞殺ってことなら……犯人のネクタイとか、被害者のエプロンの紐とか」

「パンスト」

「パンストって……被害者のですか?」
「たぶん……でも、上杉さんあの時、またって言いかけたんだ。なんでもないって濁してたけど、これ、もしかして連続してんじゃないのかなって思って」
 事情聴取の際、都が引っかかったのはそこだ。
 またということは、直近に似たような事件があったはずで、犯人は捕まっていないことが推察される。お京の表情も硬くなり、少し待ってくださいと店の奥に引っ込んでしまう。


 時間にして、二十分、あったかどうか。お京は数枚の紙を手に戻ってくる。
「速すぎ」
「ピックアップしただけです。そこに本命がいるかどうかは分かりませんよ」
 都がその紙を受け取りざっと確認しているうちに、飲んでいた他の客が会計を頼んでくる。お京はマスターの顔に戻り、にこやかに対応し、また来てくださいねとお決まりの文句で、三組の客を見送った。
「お店クローズにしてきたんで、声抑えなくても大丈夫ですよ、ヤコ」
「えっ、この時間帯って書き入れ時なんじゃないの」
「俺の店は気まぐれなので」
「それは分かる」
 店の看板を下げてきたらしく、お京はそう言って都の隣に腰掛ける。申し訳ないという思いと、力強いなと思う感情がごちゃ混ぜになって、都は口の端を上げた。

「上杉さんの管轄に絞ろうかとも思ったんですが、そうすると見落とすかもしれないので、ここ半年くらいのですが、東京近辺で起きた事件を集めました。男女、年齢問わず」
 お京の言うとおり、その紙には日時と場所、被害者の年齢性別、事件の概要が記載されている。
 この短時間にまとめてきたということは、起きた事件を常日頃から収集しているのだろう。全く頭の下がる思いである。

「またって言うからには、女性、ですかね、被害者。……レイプ殺人?」
「うーん、そうなるよねえ、可能性としては」

 凶器がパンストというのだから、被害女性が身につけていたものだと考えるのが自然だ。乱暴されていたことを考えると当然犯人は男。計画的な犯行、もしくは衝動的な欲で起こしてしまった可能性が高い。
 標的を物色していたのならば、不審者の通報がないだろうかと、お京は店の奥から小さな端末を持ってくる。お京の操作は、何度見ても一体何をしているのか分からない。その作業を横目で見守りつつ、都はピックアップされた事件を整頓していく。

「やな感じだよねえ、こんな事件ばっかりさあ」
「そうですね。ヤコにはもっと、普通の仕事をしてもらいたかったんですけど」
「んー、でも今この仕事やってんの楽しいよ。ワンコの散歩とかさ、お年寄りんとこの掃除とかね。この間おばあちゃんにお菓子もらっちゃった。美味しかったよ」
「楽しんでるなら、まぁ……いいですけどね」
「俺はもう大丈夫だから、お京さん。ありがとう」

 責めるつもりも、止めるつもりもない。諭すつもりも毛頭なくて、ただお京への感謝ばかりで、都はゆっくりと音にする。

 都の事情をすべて知っている、数少ない人物だ。

「それでも俺は、心配することをやめはしませんからね。あと、変な男にはひっかからないように」
 クギを刺されて、都は肩を揺らして笑う。思い浮かんだのは、今回の依頼人である彼だけれども、どうにも一方通行だしなと、都は音にはせずに考えた。


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