恋の音が聞こえたら

橘 華印

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第二章

17:落ちた。

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 次の信号を右です、というナビの音声に従って、右折レーンに移動していく途中、少しは仕事らしい話でもと、都は躊躇いがちにも口にした。
「ねえ、洋子さんてどんな人? 人から恨まれたりするような人じゃなかったんでしょ」
「あぁ……ゼミで一緒だったんだが、友人は多くいたし、好かれていたとは思う」
「金銭感覚はどう?」
「生活費は折半だったな。人の前に出る仕事だから身綺麗にしていたが、ブランドで飾るような女でも、複数の男を相手にするような女でもなかった」
 そうだよねえと都は彼女の顔を思い出す。もちろん店での接客用の笑顔しか知らないが、メイクはキツいものでもなかったし、派手好きのタイプではなかったように思う。

 そうなると、遊ぶ金欲しさに売春をしていた可能性は低い。

「ね、彼女の家族は? 報せ、行ってるよねきっと」
「両親は他界してる。葬儀に出たのは……確か五年前、だな……」
「えっ、事故かなんか? ああ……そうなの」
 都は眉を寄せる。気の毒なことだと。両親は事故で他界し、好きな相手とは結ばれず、ついには自身が殺されたなんて。いつかは好きな人と結ばれたかもしれないのに、店だって順調だったろうに、どうしてそんな人を、と。
「あとは、弟がひとり。都内で就職していると聞いたが……交流はなかったからな」
「弟さんも就職できてんのか……なら、親代わりに養ってるってのも、なしと……」
 可能性がひとつずつ薄れていく。

 もやが晴れていくのに反して、都の顔が曇った。自分自身が兄に育てられたことを思い起こして。
 それには感謝もしているし、申し訳なさもある。兄が、どうやって二人分の生活費と、都の学費を工面したのか。普通の企業に就職してまっとうに給料をもらって、というわけではないだろうことは、昔から分かっていた。

「あとはやっぱ色恋方面かな……アルバムやなんかは警察が押収してるよな、んー、難しい」
 だけど泣き言なんか言っていられない。こうして仕事を任せてもらえるようになったのだ。しっかり働いて、少しでも兄に返していこうと、ため息ひとつで気持ちを切り替えた。

 そうして、ナビが支倉の住むマンションに誘導してくれる。七階建てのマンション、四階部分らしい。
 車の通りは少なく、住宅街だからか人の流れも緩やかに、ぽつりぽつり。路肩に車を停めると、支倉はシートベルトを外して都を振り向いた。

「なに?」
「ひとつ訊くが、お前、兄弟……いや、やっぱりいい。事件には関係ないことだ」
「そ? じゃあ俺、一応調査に入る。報告の頻度はどれくらい? 一日の終わりにまとめて、でいいかな」
「そうだな……その報告に俺が納得した時点で、打ち切ってくれていい」
「了解。できるだけ短期間にするから。えっと……メールで大丈夫なのかな」
 簡単なようで難しい依頼だなと、都は思う。

 浮気調査のように、充分な証拠が取れれば終わりというわけではない。依頼人が納得するような原因を探らなければならないのだ。しかも、調査の対象はもうこの世にいない。
 できるだけ短期間でとしたのは、長引けば長引くだけ、支倉の負担になるからだ。精神的にも、金銭的にも。

「いや、メールは避けたい。……電話でも、いいだろうか」
「え、いいの? 電話で」
 もちろん最終的な報告書は書面で出す予定だが、珍しい人もいるものだと感じた。
 口頭の報告は、言った言わないの世界になってしまう。それを見越して、レコーダーを活用する相手もいるというのに。
「形に残したくない。どうしたってわだかまりが残るのに、メールや書面では、持っていたくないんだ」
「あぁ……アンタがそれでいいなら、俺は構わないけど……でも、だったら、声で報告聞くのだってつらくない?」
 依頼を受けた以上、都には結果を報告する義務がある。どんな結果になろうとだ。支倉はそれを受け入れる覚悟があるのだろうか。
 書面やメールで視界に残るのと、声で音として残るのでは、どちらがより早く忘れられるのだろう。
 心配そうに視線をやった都に、支倉はふっと口の端を上げた。


「お前の声は嫌いじゃない。じゃあ、よろしく頼む、都」


「えっ……」
 そう言って、支倉は助手席のドアを開け車から下り、あんぐりと口を開けたままの都に、それ以上視線もくれずにマンションの中へと消えていく。

 エントランスの自動ドアが閉まってからようやく、都は我に返った。
「な、――にそれ、なにそれ!」
 その言葉を頭の中で反芻して、意味を把握して、体中の熱が上がる。ステアリングに額を乗せて、うううとうめき声を上げた。

 まさか電話での報告を選んだのが、そんな理由だなんて思わなかった。

 視界に残るよりは、音で認識する方がまだマシという程度なのだろうが、好意を持っている相手にそんなふうに言われて、平常心でなんかいられない。


「ずっる……ほんと、マジで、やばい……落ちた」


 その上、「都」と呼ばれた。周りがみんな「ヤコ」と呼ぶ中、よりによって、彼に、彼の声で。
 支倉に初めて呼ばれた音が、「加納」でなく「都」だったことも、胸を高鳴らせる要因のひとつに違いない。
 昨日の今日で、恋の音が聞こえてくるなんて、と都は熱い息を吐く。
「節操ねーな俺……あーもう……」
 だけど落ちてしまったものはしょうがない。この穴から這い上がるには、時間がかかることを都は知っている。相手がまた男性であることはもう諦めて、開き直って楽しむほかにないのだ。

 しかし、恋と仕事は別に考えなくてはいけない。
「依頼人に手え出すなってルールもあるしなー。できるだけ早く片付けて、落ち着いたら個人的にアプローチ、しよ」
 もちろん、相手のために頑張って調査しようという意気込みには繋がるが、知り得た情報をもとに相手に近づくことは、許されていない。もし春日野が許してくれても、都自身が許せない。

「一、二、三、よし、仕事仕事」

 それで気持ちを切り替えて、今回の殺人事件を整理するために、いったん事務所に戻ることにした。

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