恋の音が聞こえたら

橘 華印

文字の大きさ
上 下
14 / 35
第二章

14:調査対象の喪失

しおりを挟む


「どうしたんだよ、支倉さん、何が……支倉さん、聞こえてる? ねえ!」
 テーブルを回り込んで支倉の肩を叩くも、反応が鈍い。視線を合わせようと腰を折っても、ただ茫然としているようで、とても話ができるような状態には見えなかった。
 そうしているうちにも、床に落ちた端末からは、電話をかけてきた相手のものだろう声が聞こえる。原因はその電話に違いないのだが、どうも女性の声ではないように思う。

 何かトラブルが発生したのだと思うには充分で、都は端末を拾い上げて応答した。
「すみません、俺こいつの連れなんですけど、何かありました? ちょっと話せる状態じゃないんだけど」
『ああ、どうも。突然に申し訳ない、渋谷署の上杉といいます。梶谷洋子さんのことでちょっと――』
「えっ、上杉さん? 俺、加納です。加納都。彼女に何かあった?」
 驚いたことに、電話の相手は顔見知りの刑事。何度か、調査のライン上で逢ったことのある人物だ。
『ああ、春日野んとこのボウズか。なんだお前、何してんだ。いや、それはどうでもいいが、お前も被害者ガイシャと知り合いか?』
 ボウズという表現には、普段なら一言二言もの申しただろうが、そんなことのできる状況ではない。都は支倉と同じように、目を見開いた。


「ちょっ……と待って……ってなに……?」


 都の心臓が、ドクンドクンと嫌な音を立てる。
 被害者ということは、少なくとも良い状況ではないはずだ。加えて、支倉のあの反応。あんなに体を強張らせるほどの衝撃が、あったはずなのだ。
 ざわりと肌があわ立つ。

『ついさっき、絞殺体で見つかった』

 ざあっと、血の気が引いていく音が聞こえた、どこか他人事のように思ったのは、現実逃避だっただろう。
 にわかには信じられない思いで、都は支倉を振り向く。彼の様子がおかしかったのは、間違いなくこれが原因だ。別れたとはいえ、元妻が絞殺体で見つかったという事実を告げられて、正常な状態でいられるものか。
「待って、……待ってよ、なんで、そんな」
『今お前事務所にいるのか? できれば話を聞かせてもらいたいんだが』
「うん…………分かった、なんとか落ちかせておく。俺も全く無関係ってわけじゃないし、いてもいい? うん、ありがと……じゃあ」
 都は上杉からの電話を切り、額を押さえた。視界がぐらぐらと揺れる。

 なんでこんなことに、と混乱が押し寄せてくる。

 しかし、支倉の混乱は都とは比べものにならないはずだ。
 項垂れて頭を抱える支倉の正面にしゃがみ込み、都は声をかけた。
「支倉さん、聞こえる? 警察の人、今から来るって。話が聞きたみたいなんだけど平気?」
 酷なことを言っているとは思う。予想もしていなかった展開だし、近しい人が殺されるなんてこと、そうそう経験するものでもない。混乱して当然だ。すぐには現実を受け入れられないだろう。
「支倉さん」
「………………聞こえてる……」
 もう一度呼んだとき、小さく、ゆっくりとだが声が返ってきてホッとした。支倉なりに受け入れようとしているのだ。急がせることはできない。
 できるだけ深刻な声にならないように努め、無理だと思ったら言ってね、と軽く膝を叩いてやってから、都は立ち上がった。
 冷めてしまったコーヒーを煎れ替えてもらおうと、応接室を出る。

「藤吾さん、ちょっと」
 そうして藤木にコーヒーを頼み、やはり別件に取りかかってなどいなかった春日野を、くいと手招いた。ただならぬ気配を察知し、春日野は慌てて駆け寄ってくる。
「どうしたの。何かあった?」
「ありすぎ。……調査対象マルタイが殺された」
 そう告げる間にも、都は応接室の方から目を離さない。あんな状態の支倉から離れたくはないが、傍でこんな話をするわけにもいかなかった。
「えっ!? なにそれ、どういうこと」
「分かんない。上杉さんから電話があったんだ、支倉さんに。たぶん着歴からだと思う。同席は許可してもらったから、事件の詳細聞いてみるよ」
「上杉さんか……まあ、あの人なら変なことにはならないだろうし……でも、彼大丈夫?」
「あんまり。さっき放心してた。しょうがないと思うけど……こんなことになるなんて、全然思わないだろ、誰だって」
「ヤコちゃん、向こう戻って。一人にしとくの心配だよ。殺しだっていうなら、ちょっとこっちも情報集めてみるから」
 応接室から、一度も目を離せなかった都に気がついたのか、春日野はそう言って促してくれる。
 ちょうど藤木の煎れ直してくれたコーヒーを受け取って、都は足早に応接室へと戻った。

「支倉さん、コーヒー。そんな気分じゃないかもしれないけど、落ち着けるためにも」
 戻ったそこでは、支倉はもう項垂れてはいなかったが、ぼんやりと彼女の手帳をめくり、沈痛な面持ちで唇を引き結んでいた。
「ねえ、この手帳、たぶん警察に持っていかれると思う。写真撮っていい?」
「……撮ってどうするんだ。もう、調査をする必要はないだろう。するにしたって、警察が全部やってくれる」
「それで、アンタの気分は晴れる? 警察に全部任せて、犯人が捕まって、動機やなんかはニュースで知ることになる。だってもう配偶者じゃないからね、詳細は教えてくれないよ」
 彼女が殺されたとなると、当然犯人がいて、公式な捜査は警察の仕事だ。

 状況証拠、物的証拠、犯人の自白。必要な物はたくさんあるが、警察にも守秘義務というものがある。それは家族にならともかく、別れた夫には知らされない。法律的にもう他人なのだから。

 都は、デジタルカメラで手帳の至るページを撮影しながら、支倉に訊ねる。撮影時、携帯端末の日付画面をフレームインし、撮った日付を明確にした。
「俺はさっきアンタの依頼を受けた。彼女の素行調査。私情は入れないって約束もした。同意書の署名欄、もう埋まってるけど……どうする? 依頼人が望むなら、素行調査から犯人捜しまで、なんでもするのがウチのモットーなんだ。もちろん、刑事さんたちの話を聞いてからでいい。警察に任せるか、依頼続行するかは、アンタの自由だよ、支倉さん」
 答えを急がせないように、都は極力ゆっくりと言葉にする。強要もしないし、今はそれどころではないかもしれない。
 支倉が望むなら、できる限りで協力しようと都は思う。
(あー……ヤバいな、こ私情は挟まない。挟まない。挟めない。しっかりしろ、俺)
 都は音にせずに心で組み立てて、自分に言い聞かせる。依頼人に入れ込んでもいいことなんかないんだからと、春日野に言われてきたことと経験を踏まえて、自分自身を丸め込む。

 支倉の力になりたいと思うこの感情が、依頼人だという枠を越えてしまっているのは、自覚していた。
 好みの男であることと、昨夜肌を合わせた相手だということが、都のストッパーを緩めていってしまう。駄目だと抑え込むのは、理性だ。

 応接室のドアがノックされる。都は立ち上がって、ドアを開けた。
 藤木が、躊躇いがちに大丈夫ですかと訊いてくる。「うん大丈夫、通して」と伝えると、彼女の後ろから知った顔が一つ覗く。そしてもう一人、後輩と思われる男性刑事。
「ようボウズ。久しぶりだな」
「久しぶり、上杉さん。言っておくけど、俺はともかく向こうはホントに親しかった人だから、すごくショック受けてる。捜査には協力するけど、あんまり急がないでほしい」
「おう」
 ひとまずの牽制をして、中に通す。
 支倉の向かい側に上杉が、その隣に後輩刑事が腰をかけ、都は支倉の隣に腰を下ろした。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

恋人が出て行った

すずかけあおい
BL
同棲している恋人が書き置きを残して出て行った?話です。 ハッピーエンドです。 〔攻め〕素史(もとし)25歳 〔受け〕千温(ちはる)24歳

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

Label-less

秋野小窓
BL
『お兄ちゃん』でも『リーダー』でもない。ただ、まっさらな自分を見て、会いたいと言ってくれる人がいる。 事情があって実家に帰った主人公のたまき。ある日、散歩した先で森の中の洋館を見つける。そこで出会った男・鹿賀(かが)と、お茶を通じて交流するようになる。温かいお茶とお菓子に彩られた優しい時間は、たまきの心を癒していく。 ※本編全年齢向けで執筆中です。→完結しました。 ※関係の進展が非常にゆっくりです。大人なイチャイチャが読みたい方は、続編『Label-less 2』をお楽しみください。

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

処理中です...