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第二章
14:調査対象の喪失
しおりを挟む「どうしたんだよ、支倉さん、何が……支倉さん、聞こえてる? ねえ!」
テーブルを回り込んで支倉の肩を叩くも、反応が鈍い。視線を合わせようと腰を折っても、ただ茫然としているようで、とても話ができるような状態には見えなかった。
そうしているうちにも、床に落ちた端末からは、電話をかけてきた相手のものだろう声が聞こえる。原因はその電話に違いないのだが、どうも女性の声ではないように思う。
何かトラブルが発生したのだと思うには充分で、都は端末を拾い上げて応答した。
「すみません、俺こいつの連れなんですけど、何かありました? ちょっと話せる状態じゃないんだけど」
『ああ、どうも。突然に申し訳ない、渋谷署の上杉といいます。梶谷洋子さんのことでちょっと――』
「えっ、上杉さん? 俺、加納です。加納都。彼女に何かあった?」
驚いたことに、電話の相手は顔見知りの刑事。何度か、調査のライン上で逢ったことのある人物だ。
『ああ、春日野んとこのボウズか。なんだお前、何してんだ。いや、それはどうでもいいが、お前も被害者と知り合いか?』
ボウズという表現には、普段なら一言二言もの申しただろうが、そんなことのできる状況ではない。都は支倉と同じように、目を見開いた。
「ちょっ……と待って……被害者ってなに……?」
都の心臓が、ドクンドクンと嫌な音を立てる。
被害者ということは、少なくとも良い状況ではないはずだ。加えて、支倉のあの反応。あんなに体を強張らせるほどの衝撃が、あったはずなのだ。
ざわりと肌があわ立つ。
『ついさっき、絞殺体で見つかった』
ざあっと、血の気が引いていく音が聞こえた、どこか他人事のように思ったのは、現実逃避だっただろう。
にわかには信じられない思いで、都は支倉を振り向く。彼の様子がおかしかったのは、間違いなくこれが原因だ。別れたとはいえ、元妻が絞殺体で見つかったという事実を告げられて、正常な状態でいられるものか。
「待って、……待ってよ、なんで、そんな」
『今お前事務所にいるのか? できれば話を聞かせてもらいたいんだが』
「うん…………分かった、なんとか落ちかせておく。俺も全く無関係ってわけじゃないし、いてもいい? うん、ありがと……じゃあ」
都は上杉からの電話を切り、額を押さえた。視界がぐらぐらと揺れる。
なんでこんなことに、と混乱が押し寄せてくる。
しかし、支倉の混乱は都とは比べものにならないはずだ。
項垂れて頭を抱える支倉の正面にしゃがみ込み、都は声をかけた。
「支倉さん、聞こえる? 警察の人、今から来るって。話が聞きたみたいなんだけど平気?」
酷なことを言っているとは思う。予想もしていなかった展開だし、近しい人が殺されるなんてこと、そうそう経験するものでもない。混乱して当然だ。すぐには現実を受け入れられないだろう。
「支倉さん」
「………………聞こえてる……」
もう一度呼んだとき、小さく、ゆっくりとだが声が返ってきてホッとした。支倉なりに受け入れようとしているのだ。急がせることはできない。
できるだけ深刻な声にならないように努め、無理だと思ったら言ってね、と軽く膝を叩いてやってから、都は立ち上がった。
冷めてしまったコーヒーを煎れ替えてもらおうと、応接室を出る。
「藤吾さん、ちょっと」
そうして藤木にコーヒーを頼み、やはり別件に取りかかってなどいなかった春日野を、くいと手招いた。ただならぬ気配を察知し、春日野は慌てて駆け寄ってくる。
「どうしたの。何かあった?」
「ありすぎ。……調査対象が殺された」
そう告げる間にも、都は応接室の方から目を離さない。あんな状態の支倉から離れたくはないが、傍でこんな話をするわけにもいかなかった。
「えっ!? なにそれ、どういうこと」
「分かんない。上杉さんから電話があったんだ、支倉さんに。たぶん着歴からだと思う。同席は許可してもらったから、事件の詳細聞いてみるよ」
「上杉さんか……まあ、あの人なら変なことにはならないだろうし……でも、彼大丈夫?」
「あんまり。さっき放心してた。しょうがないと思うけど……こんなことになるなんて、全然思わないだろ、誰だって」
「ヤコちゃん、向こう戻って。一人にしとくの心配だよ。殺しだっていうなら、ちょっとこっちも情報集めてみるから」
応接室から、一度も目を離せなかった都に気がついたのか、春日野はそう言って促してくれる。
ちょうど藤木の煎れ直してくれたコーヒーを受け取って、都は足早に応接室へと戻った。
「支倉さん、コーヒー。そんな気分じゃないかもしれないけど、落ち着けるためにも」
戻ったそこでは、支倉はもう項垂れてはいなかったが、ぼんやりと彼女の手帳をめくり、沈痛な面持ちで唇を引き結んでいた。
「ねえ、この手帳、たぶん警察に持っていかれると思う。写真撮っていい?」
「……撮ってどうするんだ。もう、調査をする必要はないだろう。するにしたって、警察が全部やってくれる」
「それで、アンタの気分は晴れる? 警察に全部任せて、犯人が捕まって、動機やなんかはニュースで知ることになる。だってもう配偶者じゃないからね、詳細は教えてくれないよ」
彼女が殺されたとなると、当然犯人がいて、公式な捜査は警察の仕事だ。
状況証拠、物的証拠、犯人の自白。必要な物はたくさんあるが、警察にも守秘義務というものがある。それは家族にならともかく、別れた夫には知らされない。法律的にもう他人なのだから。
都は、デジタルカメラで手帳の至るページを撮影しながら、支倉に訊ねる。撮影時、携帯端末の日付画面をフレームインし、撮った日付を明確にした。
「俺はさっきアンタの依頼を受けた。彼女の素行調査。私情は入れないって約束もした。同意書の署名欄、もう埋まってるけど……どうする? 依頼人が望むなら、素行調査から犯人捜しまで、なんでもするのがウチのモットーなんだ。もちろん、刑事さんたちの話を聞いてからでいい。警察に任せるか、依頼続行するかは、アンタの自由だよ、支倉さん」
答えを急がせないように、都は極力ゆっくりと言葉にする。強要もしないし、今はそれどころではないかもしれない。
支倉が望むなら、できる限りで協力しようと都は思う。
(あー……ヤバいな、こ私情は挟まない。挟まない。挟めない。しっかりしろ、俺)
都は音にせずに心で組み立てて、自分に言い聞かせる。依頼人に入れ込んでもいいことなんかないんだからと、春日野に言われてきたことと経験を踏まえて、自分自身を丸め込む。
支倉の力になりたいと思うこの感情が、依頼人だという枠を越えてしまっているのは、自覚していた。
好みの男であることと、昨夜肌を合わせた相手だということが、都のストッパーを緩めていってしまう。駄目だと抑え込むのは、理性だ。
応接室のドアがノックされる。都は立ち上がって、ドアを開けた。
藤木が、躊躇いがちに大丈夫ですかと訊いてくる。「うん大丈夫、通して」と伝えると、彼女の後ろから知った顔が一つ覗く。そしてもう一人、後輩と思われる男性刑事。
「ようボウズ。久しぶりだな」
「久しぶり、上杉さん。言っておくけど、俺はともかく向こうはホントに親しかった人だから、すごくショック受けてる。捜査には協力するけど、あんまり急がないでほしい」
「おう」
ひとまずの牽制をして、中に通す。
支倉の向かい側に上杉が、その隣に後輩刑事が腰をかけ、都は支倉の隣に腰を下ろした。
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