恋の音が聞こえたら

橘 華印

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第二章

12:予期せぬ再会

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 そうして、すぐと言った通り、依頼人はものの二十分足らずで事務所のインターフォンを押してきたのだ。
 それを受けて、藤木が出迎える。応接室に通し、春日野に報告を入れた。
 話を聞くのは基本的に二人体制としているため、春日野が席を立ったのを見て、都も腰を上げた。

 依頼――特に調査の仕事は、個人の先入観を入れてはいけないという、ここの方針だ。都もそれは理解しているし、軽そうな口調の割に、仕事になるときっちり真面目なこの所長を、尊敬もしていた。

「ヤバいですよ、超イケメン」
 フロアですれ違いざまに、藤木が少し興奮気味にそう囁いてくる。確か彼氏持ちだったはずだが、それはまあ純粋な感想なのだろう。
 しかしそのおかげで、都には期待と好奇心が混ざってしまった。どれくらいだろう、昨夜のあの男よりもイケメンかな、なんて。

「お待たせいたしました」
 そうして応接室に脚を踏み入れた都は、目を見開いた。
「えっ、なんで!?」
 思わず叫んでしまったのは、ソファから立ち上がったのが昨夜のあの男だったからだ。
 男も都を目に留め、ひとつ瞬いたのに気づく。驚かなかったということは、都がここにいると分かっていてきたのだろう。

(な、なんで、なんで!? どう……、あ、名刺)

 そこで思い出した。あのカフェで、名刺を差し出していたことを。捨てずに持っているとは思っていなかったが、唐突な再会に心臓の鼓動が速くなる。
「あれ、知り合い?」
 春日野が、その様子に気づいて振り向いてくる。
 どう説明するべきか。ゲイだと言うことは理解してもらえているが、行きずりに誘った相手だなんて、言いたくない。
「ゆ、昨夜、ちょっと」
「あー、、ね。分かった」
 小声で返した都に、春日野はふっと笑いながら頷いた。名前も知らないなんてことは言えないが、どういう知り合いかは、把握されてしまっただろう。
 バツが悪くて、都は視線を泳がせる。名刺を渡したことを後悔もしたし、何も今朝の今で再会しなくてもいいではないか。とは思うものの、嬉しい気持ちがごまかせないのが、どうにも悔しくて、後ろめたい。

「支倉と申します」
「所長の春日野です。ご丁寧にどうも」
 男と春日野が名刺を交換する傍ら、都は居心地悪そうに頬を掻く。知ることができなかった名前を、こんな形で知ることになるなんて。
(はせくら、支倉、ね……)
 支倉と名乗った男が、名刺をもう一枚取り出す。体が都に向いているということは、都に渡したいのだろう。視線を感じて居住まいを正したが、支倉はすんなりと名刺を渡してはくれなかった。
「なに」
「お前、何か俺に返すものがあるんじゃないのか?」
「え、あ、そうだ、あれ」
 都はそこでやっと思い出す。後で交番に届けておこうと思っていたもの。踵を返しデスクに戻り、どう見ても女物の手帳を手に、応接室へと向かった。

「はい、これでしょ。部屋のデスクんとこに落ちてた。交番に届けようと思ってたけど」
 ぽんと支倉に手渡すと、彼はなぜか眉を寄せる。
 すんなり返ってくるとは思わなかったのか。ならばそれはやはり、彼自身の持ち物ではないのだと推察できる。
「それ、ちゃんとアンタの手から渡してやりなよ?」

 都は代わりに支倉の名刺を受け取り、社名と名前を確認する。

(ふぅん……商社勤めね……営業部、支倉陽平……)
「中、見たか?」
「見てねーよ。プライバシーの侵害だろ。どう見ても女物だし、あの店長さんのでしょ。やだよ中見るとか」
 そうか、と支倉は少しホッとしたような、戸惑ったような表情を見せる。他人の物であるその手帳を、カバンにしまい込むこともせずに、春日野に向き直った。
「それで、依頼なんですが」
「どうぞおかけください」
 三人、ソファに腰をかける。支倉は都から受け取った手帳を、そのままテーブルに差し出してきた。

「この手帳の持ち主についてなんですが、素行の調査は可能でしょうか」
「持ち主というと」
「名前は梶谷洋子ようこ、代々木でカフェを経営しています」
「ご関係はお訊きしても?」
「元妻です」
「妻ぁ!?」
 春日野の質問に、支倉はよどみなく答えていく。出てきた単語に驚愕したのは、都だった。慌てて口を押さえるが、飛び出た言葉は戻ってこない。じろりと支倉に睨まれて、この際だと疑問を口にした。
「だ、だってアンタ、詮索避けだって」
「元だと言っただろう。一年前に離婚してる」
「オンナ駄目だったんじゃないの?」
「肉体関係がないと婚姻を結べない法律はない」
 妻ということは結婚していたのだと理解し、都はさらなる疑問をぶつけるが、支倉はそれにも動じない。
 確かにそんな法律はないが、男女で家庭を築く約束をしたのに、そういった関係を持たないというのは、非常に稀なことではないだろうか。
「彼女とは、もともとそういう約束だったんだ。俺のことは知っていたし、彼女の方にも、何か事情はありそうだった。好きな人とは結婚できないと言っていたのを、聞いたことがある」
「ああなるほど。じゃあセックスレスで離婚てわけでもないんだ。円満離婚?」
「そうだな。家事もそれなりに分担していたし、お互いの仕事も順調だった」
 男の口調は静かだった。友人の延長のような生活だったのだろうかと都は思う。きっと恋人はお互い他にいて、世間体だとかその他諸々の事情で「契約」していたに違いない。
 そういう結婚もあるのかと納得しかけたが、ではなぜ離婚してしまったのか、疑問である。
「なんで別れたの。あ、いや、言いたくないことなら別にいいけど、そもそもなんで別れた奥さんの素行調査?」
「別れたって友人には変わりない。この手帳……中を見てほしい」
 す、と支倉は手帳を指す。眉間にしわを寄せて、都たちの反応を待っているようだった。
「拝見します」
 春日野が、依頼ならばと、それでも躊躇いがちに手帳に手を伸ばす。都はそれを隣から覗き込んだ。

 どうしても密着してしまうのは仕方がないが、心臓が落ち着かないのは、好奇心と、後ろめたさと、淡かった恋心。

 しかし、まったく知らない相手のならまだしも、接客してもらっただけとはいえ、顔を知っている相手の手帳ともなると、申し訳なさが重圧になってのしかかってくる。
「俺の思い過ごしならいい。客観的に見てもらえるとありがたいんだが……」
「なるほど、女性らしい字ですね。結構予定びっしり」
 その手帳は、読みやすい字で予定が書かれている。四角く囲われた枠に、数字と場所、略語らしき一文字を丸で囲んであった。友人との待ち合わせか、それとも仕事の関係か。
「これ名前かな。頭文字」
「岩、冴、室……うん、そうだろうね。この五とか七って数字は時間かな」
「……藤吾さん、名前の横にあるのって、これ……」
「ん?」

「言いづらいけどラブホだよね。ホテル・シャトー」

 眉を寄せて音にする都に、春日野も、そして支倉も眉を寄せた。確信を持って言えるわけではないが、人の名前と時間とホテル名。そこから連想できるものは、ひとつだ。
 都は不愉快な気持ちを抑えようと口を覆う。
(確定じゃないけど、マジか……)
 あの聡明そうな女性が、二股どころか三股……もしかするともっとたくさんの相手と、そういった関係を持っているのかもしれない。しかも、待ち合わせ場所がデートスポットでなくホテルというところが、即物的な関係を思わせる。

「この中に本命さんはいるんですかね……あと、失礼ですが、彼女のお店、経営難ということは」
 俯き加減で唇を噛む都の横で、春日野が冷静に音にする。都は思わず顔を上げた。
「え、……藤吾さん待って、それって……お金が絡んでるかもってこと?」
「可能性のひとつとしてね」
 複数の男と頻繁に関係を持ち、見返りに金銭を受け取っている――つまり、体を売り物にしている可能性。経営に行き詰まってという理由なら、そういう方法もある。都は頭を抱えたくなった。
「……いや……閉店間際でも客はそこそこ入っていたし、特にそういったことは……」
「あー……うん、それはそうかも。客としての目線でしかないけど、いつ行っても結構お客さん入ってたし、苦しかったってことはないと思うよ。支倉さんが食べてたパフェも、新商品でしょ? そういうの作る余裕があるってことじゃん」
 支倉の後を継いで、都が春日野の発した可能性を打ち消す。
 もちろん、客に感づかれないようにしているだろうが、あの客の入りで経営難ということは考えにくい。

「やはりそれは……そういうことをしているように見えるんですか」

 しかし、金銭のやりとりがあったかどうかは別にしても、複数の相手と関係している可能性は、限りなく百パーセントに近い。支倉が眉間のしわを深くする。
「それで素行を調査してほしいと?」
 春日野はあくまでも明確な言葉にはしない。一縷の望みがあるのなら、今はそれを音にすべきではないと判断してのことだろう。
 支倉は頷き、できれば今日からでも、調査をしてもらいたいと続ける。
「なら、契約の話を進めましょうか。支倉さん、彼にメインで動いてもらう予定でいますが、構いませんか? 能力は保証しますし、僕もサポートします」
「えっ……メインて、俺が!?」
 都は、春日野の言葉に目を瞠って振り向く。春日野とコンビを組んだことは何度かあるが、メインを任されたことはなかったのだ。
「い、いいの……?」
「そろそろメインできるでしょ。その代わり、規則はちゃんと守ること。いい?」
「う、うん」
 今までやってきたことを、所長が評価してくれたということだ。それは素直に嬉しい。
「あ、で、でも支倉さんは俺でもいいのかな」
「……誰でも構わない」
 私情は挟まないつもりだが、元妻の素行を、一度肌を合わせた都が調査するなんて、支倉がどう思うか。そう心配して振り向いたが、支倉は視線も逸らさずに許可してくれた。

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