恋の音が聞こえたら

橘 華印

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第一章

07:後戻りできない

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 シャワーから上がると、男はどこかに電話しているようだった。手にされた缶ビールは、デスク下の冷蔵庫から出したものだろうか。
 だが携帯電話を耳に当てているにもかかわらず、会話がない。相手を呼び出している途中なのか、保留にでもされているのか。やがて、小さな舌打ちが聞こえた。

「明日また電話する。夜、時間を空けておいてくれ」
 どうやら留守電の録音になってしまったようで、男は簡潔に用件を述べて通話を打ち切った。

「誰への言い訳?」
 都は、バスタオルでわしゃわしゃと髪の水分を拭いながら、ここぞとばかりに反撃の矢を放つ。男はハッと顔を上げ、勢いよく振り向いた。まさか気づいていなかったのかと、都の方こそ驚いてしまう。
「お前には関係ない」
「……まあね。一夜限りに詮索は無用、ってヤツでしょ」

 でもさ、と続けた。

「名前くらい、教えてよ」

 男は携帯電話をしまうと、面倒そうに歩み寄ってくる。いや、都に歩み寄ったわけではなく、バスルームへと向かう軌道に都がいただけだ。
「必要ないだろう、一夜だけなんだ」  
 飲みかけの缶ビールを都に押しつけて、通り越していく。
 都は思わず「ええ?」と振り向いたが、その時にはもう、拒絶するようにバスルームのドアが閉まっていた。

 仕方なくベッドに腰をかけ、ぬるくなりかけたビールを口に含んで、無理やり喉を通した。
「……美味しくない」
 タオルドライをした髪を梳いて、息を吐く。なんでこんなことになったかなあとベッドに背を預け、少し冷えてきた体をぎゅっと抱きしめ、目を閉じた。

 痛みとも興奮とも取れるこの胸の疼きは、別れた彼のことを考えてみたせいなのか、それとも今バスルームにいる男のことを考えているせいなのか。
「くそ、あんなキス……するからっ……」
 水音の聞こえるバスルームに意識を移したら、途端に冷えかけた体の熱が上がってくる。自身で自覚できるほどだ、きっと頬は赤いのだろう。
 キスだけで力が抜けたなんて、知られたくない。あれだけ密着した状態ではとうに悟られているだろうが、そこは気持ちの問題だ。
「はぁ……」
 唇に触れれば、吐息がいつもより熱いような気さえしてくる。

 経験が浅いわけではないが、あんな熱いキスはしたことがなかった。

 学生時代の悪戯で、少し好意を寄せていた友人とした触れるだけのキス。別れた男との、挨拶みたいなキス。欲を混じらせた儀式のようなキス。思い返せばあれは、愛情というよりセックスに及ぶための通過儀礼のようなものだった。

 そんな都が、名前も知らない男に強く抱かれ、唇を合わせ、舌を絡め、震えるほど感じていたなんて、認めたくない。 
「いくら好みっていったって、俺がすげぇエッチみたいじゃん……」
 あーあ、とベッドの上で両腕を広げ、見慣れない天井を見上げた。頑なに認めたくないのは、その部分かもしれない。ゲイだということは自覚していても、誰でもいいわけではない。

 それなのにあの男は、そんな信念を根本からブチ壊してくれたのだ。容姿に惹かれたのは認めてやろう。ギャップに興味を持ったのも認めてやろう。

 だからといって、なぜ逢ったその日にこんなことになっているのか。

「なんだ、ちゃんといたのか」
 男の声がして、都はガバリと起き上がった。その視線の先には、ローブの紐を結ぶ男の姿。しっとりと濡れて見える胸元に言葉が詰まって、都は思わず視線を逸らした。
「この状況で帰るとか、ないと思う」
 どの時点だったら帰っていたかなと思考を巡らせ、どの時点でも考えられない自分に呆れてしまう。
「言ったじゃん、今日は独り寝したくないんだよ」
 もう認めてしまった方が楽なのか。ちゃんと付き合っていると思っていた男に、浮気相手だったと告げられ振られ、さみしさと自棄で名も知らない男を誘ったのだと。

 それでもせめてもの逃げ道に、この男だから触れてみたいのだと、心の中で言い訳をしておいた。  

「もう、ごちゃごちゃ言わずに……抱いてよ」

 男は口の端を上げ、すっと腕を伸ばしてきた。
「あっ、ちょ……」
 いきなり膝を割り広げてきたことに驚いて、抗議のような声を上げたが、そのまま持ち上げられた反動で背中が揺れる。その隙をついて、男が覆い被さるように身を寄せてきた。あっという間に塞がれた唇が、ぢゅうと吸い上げられて痛みを覚えた。
「んんっ……」
 ホテルの清潔なベッドの上で、二つの体が重なっていく。ローブに覆われていない素のままの肌から熱が伝わって、都を欲情させた。

 ベッドの上なら、力をなくして崩れ落ちる心配もない。そのせいか、男のキスは先ほどよりも深く、激しく思える。上下の歯で捉えた舌を舐めて、絡め、強く吸い上げられた。
「んっ、……っ」
 都はそのたびに喘ぎ、溜まる唾液を飲み込んだ。たまに唇が離れても、またすぐに、のしかかるように唇が降ってくる。
 酸欠という症状を自覚しているか不明だが、伴う目眩に悩まされるようになった頃、ようやく男の指が鎖骨を撫で始めた。

「あっ……はぁっ……、っん」

 想像していたよりも熱い手のひらが、胸を滑る。いつの間にかローブの紐を解かれ、はだけた胸元を、男が見下ろしているのに気がついた。
「な、に……」
「いや、ここも開発済みかと思ってな」
「いっ……!」
 キスで息が上がっていた都を、唐突な痛みが襲う。遠慮のかけらもない男の指が、胸の突起を強くつまみ上げたのだ。
 乳首を立たせていたお前が悪いのだとでも言わんばかりに、男は面白そうにくいくいと乳首をひねった。
「あっ、あ、や……ぁっ」
「ほら、いい声で啼くじゃないか。前の男に相当いじり回されたのか、それとも元々そういう体なのか……」
「そ、なわけ……っあ!」
 そんなわけあるかと抗議したがった唇は、快楽に負けて出てくる喘ぎに支配され、そこから退かそうと添えた手は、いつの間にか胸に押しつけるように握りしめていた。
「ん、んん……っ」
「なるほど。正直あまり期待していなかったんだが……こっちも充分楽しめそうだ」
 息を吐くのと同じ強さで、男は囁く。耳元のそんな囁きにすら、都はびくりと肩を竦めた。

 男の指先に誘われてぷくりと立った乳首を、さらに意地悪く責め立てられて、都の腰は逃げるようにずり上がり、シーツにしわを作る。
 男はそれを、逃げる獲物を捕らえるのは面白いとでも言うように、愉快そうに眺め、手のひらで脇腹を撫でた。押しつけるように撫でていく緩やかな右手と、乳首を押しつぶしてひねり上げる、意地の悪い左手。

 どちらに集中したらいいのか分からず、結局どちらにも意識を回せない。

「あ、あ……ぁん、はあっ……や、だぁ」
 唇から漏れてくるいやらしい声を抑える余裕もなくて、耳元の面白がる笑いに、時折意識を持っていかれるだけだ。
「揺れてるぞ、腰。まだそんなに触っていないのに……ずいぶんとスケベな体だな」
「や、あうっ……」
 体の真ん中で立ち上がり、解放を待っているものを、前触れもなく握られて、都はうめくような声を上げる。先端からこぼれ落ちる先走りの体液を、こすりつけるように撫で、男は都の昂ぶりを責め立てた。

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