恋の音が聞こえたら

橘 華印

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第一章

03:こんな時間に、一人でそれを?

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 ずいぶんと気の抜けたコーヒーソーダを、もう飲み干してしまおうとして、ふと彼が出ていったドアの方へ目を向けてしまった。
 もう待ち合わせでここを使うことはないだろうに、未練かなぁと思ったその時、一人の男がそのドアをくぐってきた。

(うわっ……)

 ささやかな光沢を放つブルーグレイのスーツに包まれた長身は、それだけでも目を引く。
 後ろに流された髪はほんの少し額に垂れ、なんともセクシーな雰囲気を醸し出している。インテリジェンスなシルバーフレームの眼鏡と、誰かを捜しているような視線は、都の胸を刺激してしまった。

 閉店まで、あと一時間ほど。およそこんな――と言っては失礼だろうが、小さなカフェには似つかわしくなかった。   

(目立つなあ、あの人。待ち合わせか? こんなところより、高級ホテルのラウンジとかの方が似合うだろうに)

 そこまで観察して、都はその男に見惚れていることに気がつく。ハッとしてふるふると首を振った。
 この惚れっぽいところをどうにかしないといけない、と自戒を込めて。しかもついさっき失恋したばかりだというのに、なんと節操のないことか。

(違う違う、好みとかそうじゃなくて。いやすっげえド真ん中なんだけど、そうじゃなくてさ。観察すんのはもう癖じゃん、仕方ない!)

 心の中で自分自身にそう言い訳をして、節操のなさをごまかした。
 そもそも男は誰かを捜していた。待ち合わせだろうことが容易に想像できる。声なんかかけられない。声をかけられたことはあっても、かけたことは一度もない都にとって、いわゆるナンパというものはハードルが高い。  
 これが男女の立場であれば、勇気を振り絞って声をかけることもできたかもしれないが、残念ながら相手も都も、男だ。もし運良く予定が空いていたとしても、話し相手からの友人以上には発展しないはず。

(でもまあ寂しいんだよねホント。……ひとりでいるの好きじゃないしさ。早めに次の彼氏見つけよ。けどどうしたらいいんだろ? 正広さんの時はバイト先で知り合っただけだし、出会い系とか登録した方がいいのかな。真面目なお付き合い希望ってことで)

 同性専門でそんなシステムがあるかは分からないが、何もしないで誰かを待つだけで、この寂しさと不安が埋まることはない。

 身を焦がすような大恋愛を夢見ているわけではないが、一夜限りの即物的な恋愛未満は寂しくてしょうがない。抱きしめてくれる温もりが欲しい。
 恋をしてお付き合いというルートは、男女であっても難しいことがある。お付き合いしていけば好きなところが見つかるかもしれないと、前向きに考えることにした。

 出会い、同性、真剣、などのキーワードを元に検索を始める。
 年上の真面目な人がいい、できれば優しいといいけど――なんて考えていれば、恋をしている時のように楽しい。
 いつまでも終わった恋を引きずっていたくないと口元の緊張を緩めた時。

 隣に、客。

 都は視線だけでちらりと見やり、目を瞠った。先ほど都の意識を一瞬で持っていったあの男が、隣の席に腰をかけたのだ。
(えっ、ちょ、待っ……なんでここ!? 他にも空いてんじゃん!)
 危うく携帯端末を取り落としかけるほど、慌てた。
 都のほんの少しよこしまな視線に、男が気づいていたとは思わないが、後ろめたい。気にしないようにしようと端末に視線を落としても、余計に気にかかった。
 この時間帯では客足もまばらだ。当然ながら席はいくつも空いており、わざわざ他人の傍を選ぶ理由がない。待ち合わせにしても一人でいるにしても、パーソナルスペースは広い方がいいのではないだろうか。

 都はそう思うも、男は気にする様子もなく、ソファに深く腰をかけ短く息を吐く。都は間近で見られる幸運を、喜ぶべきか嘆くべきかを迷って、しばし視線をその男に固定してみた。 
(待ち合わせじゃ……ないな。そこってドアからギリギリ見えない位置だ。あの観葉植物がなければ見えるけど)
 もしも待ち合わせなら、ドアから近い位置を選ぶか、そうでなくても見えやすい場所に座るはずだ。都も以前、そこに座っていた相手を見逃しそうになった経験がある。
(てことは、一人。仕事帰りの一息ってとこかな、残業大変そうだね。いいスーツ……ブランドまでは分かんないけど、それなりの仕事してそう)
 都がそうやって男を観察していると、見慣れた女性がオーダーを取りにやってくる。胸の名札には、梶谷かじたにと記してある。その上に小さく店長と書かれているのに気づいたのは、一年ほど前。

「いらっしゃいませ。連絡してくれれば、用意しておくのに」
 彼女は、そう言って笑う。親しげなやりとりからして、この店の常連か、プライベートでも付き合いがある相手なのだろう。
「時間が空いたから来ただけだ。……変わりはないか?」
「おかげさまで、ここも順調よ。大変だけど楽しいの」
「……そうか。いつものもらえるか」
「かしこまりました」

 都はそこで気づく。男は席についてから一度もメニューを見ていない。さらに「いつもの」で通るあたり、やはり常連らしい。都自身、週イチのペースでここに来ているし、もしかしたら以前も同じ空間にいた可能性は高い。
(でも、一度見たら絶対忘れないんだけどな、こんなイイ男……)
 瞬いて、もう一度男の顔をじっと眺め、コトリと携帯端末を置く手に目をやった。

 あ、と気づく。

(あの人指輪してる。あーあ……残念、所帯持ちかぁ……)
 左手の薬指。そこにはめられた指輪はどう考えても結婚指輪で、妻女がいることを示している。

 この男とどうこうなる可能性は限りなくゼロだったが、それでも残念だと思う心はごまかせない。都はそれをきっかけにして男から視線を外し、また新たな出逢いのためのリサーチに戻った。 
 が、しばらくして男が注文したものが運ばれてきて、何とはなしに目を向け、見開く。
「マジか」
 視線の先にあった物体に、思わず声を上げてしまった。しまったと思って口を押さえたが、男がじろりと睨みつけてきたところをみるに、無駄なことだったようだ。


 テーブルの上、男の目の前には、大きな――パフェが置かれていた。


「あ、や、すいません」
 いまだに睨みのきいた視線をよこしてくる男に、思わず謝罪がこぼれる。
 そうだ、誰がどんな店で何を食べようと個人の勝手であり、他人が口を挟むものではない。ないと分かっているのだが、あまりにも似合わない。

 伸びた背筋と組んだ長い脚、その上に置かれる男らしい手。部下を顎で使っていそうな、厳しい雰囲気を醸し出す知的な眼鏡。
 そんな男が、パフェ。一人で、こんな時間に、パフェ。 

「今月の新作か」
「はい。ベリーをふんだんに使い、バニラビーンズをきかせたアイスと、チョコレートソースの苦みをバランス良く取り入れてございます」
「なるほど。いただこう」
「ごゆっくりどうぞ。……あ、そうだ。あの、そちらに私の手帳置き忘れてませんでした? 先日お邪魔した時なんですけど……」
 女性が言いづらそうに口にする。やっぱり親しいのかなと、都は聞き耳を立ててしまう。

 仕事で取り引きがあるにしてはフランクだし、夫婦にしては他人行儀に見える。
 しかしただの店員と客にしては親しげだ。彼女は男の友人で、家族ぐるみの付き合いでもしているのだろうか。どうにもこの二人の関係性が見えてこない。
 都は無意識に、奥深くをのぞき込むように目を細めた。

「手帳? ……なかったと思うが、どんなのだ? 捜してみよう」
「あ、いえ、ないならいいんです。これくらいの、紫のストライプのなんですけど。どこやっちゃったんだろう……」
 指で長方形の形を作り、大きさを示しながら困ったなあと彼女は息を吐く。仕事の予定も、プライベートの予定も書いてあるのだろう。とても残念そうに眉を落としているのが見えた。
 都はいつも、きびきびと動き回る彼女しか見たことがないような気がして、そこでもやはり男との親しさを感じずにはいられなかった。
「あったら連絡する」
「すみません、お願いします」
 彼女はそう言って、ホールに戻っていく。都はその姿を目で追って、男に視線を戻した。


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