161 / 203
160. 魔族
しおりを挟む「この世界に存在する、どんな刃物でも私に傷ひとつ与えることはできない」
くつり、と魔族の女が笑うのを、シェラは呆然と眺めることしかできなかった。
本気を出したトーマにあれほどの勢いで攻撃されていたのに、褐色の艶めかしい肌にはかすり傷ひとつ見当たらない。
恐ろしく強い女だ。
レイは彼女が魔族だと言っていた。
魔法に長けた、残虐な魔物。集落では、魔族のことをそう教えられていたが。
(まさか、ダンジョンで遭遇するなんて)
魔法があまり得意ではないシェラでさえ感じ取れるほどの魔力量。
褐色の肢体はまるで鍛え上げられた鋼のように引き締まっており、魔法だけでなく武芸にも優れていることは明白で。
そして、何より彼女は美しかった。
目の前にいる魔族の女性は纏う色彩は違えども、トーマと同じくらい──否、それ以上の美貌を誇っている。
女性的というよりも、あまり性別を感じさせない中性的な美しさだが、ハイエルフ族だったと聞いて納得した。
エルフの上位種で、もはや御伽話でしか聞いたことのない幻の種族。
(魔族が、元ハイエルフ? しかも、トーマさんと同胞……? トーマさんはハーフエルフだって聞いたのに)
シェラの小さな頭はもう飽和状態だった。情報過多で、混乱してしまう。
呆然と見守るだけの彼女の目前で、戦闘が続く。
ダンジョンボスであったはずのブラックドラゴンは冒険者姿のレイに襲い掛かる。
それを長槍で軽くいなす姿はさすがだ。
シェラとコテツは保護者二人に離れているようにと厳命されていたので、はらはらしながら見守ることしか出来ないでいた。
この世界の、どんな刃物も彼女を傷付けることはできない。
その言葉通りに、トーマが繰り出す魔剣は彼女にダメージを与えることはなかった。
白銀色の艶やかな髪が揺れる。
「……ッ!」
力負けし、武器を弾き飛ばされたトーマを悠々と見下ろして、女が愉悦に満ちた声音で囁く。
「髪の一本も残さず、灼け落ちろ」
褐色の指先に現れた灼熱の炎の塊を、魔族の女がトーマの頭上に振り下ろすのが見えた。
『トーマさん!』
灼熱。まるで小さな太陽が爆発したかのような、熱風と衝撃に息ができなくなる。
魔族の女の宣告通りに髪の毛一本残さずに溶けてしまいそうなほどの衝撃に、シェラは飛行が困難になった。
岩壁に叩きつけられる寸前に、どうにか風の魔法をクッション代わりにして回避する。
周囲には蒸気が溢れ、濃霧のごとく一寸先も見えない。
高温の炎が弾けた勢いで、洞窟内に満ちていた魔素さえ綺麗さっぱり消え失せた状態で。
魔族の女は哄笑していた。
背を仰け反らせ、心底楽しそうに。
混乱して天井近くを旋回する白銀のカラスであるシェラを。
尻尾を倍ほどの大きさに膨らませて威嚇する子猫を眺めては、それがとても楽しい見せ物であるかのように嘲り笑っていた。
(ひどい……! どうして、こんなことを!)
不壊のはずのダンジョンが深く抉れるほどの火魔法での攻撃を受けて、彼が無事なはずはない。
岩陰に隠れていた猫の妖精の子猫が、哄笑する魔族の女に向けて威嚇の声を上げている。
(いけない、あの女に殺される……!)
叶うわけはないけれど、風魔法を纏って降下すれば、コテツが逃げる時間くらいは稼げるかもしれない。
蒸気と土煙で視界が塞がっている今なら、どうにか一矢報いることができるのではないか。
唸る子猫を疎ましく思ったのか、魔族の女がコテツに忌々しそうな視線を向ける。
無造作に片手を上げたところで、シェラは残る魔力を込めて、風を纏ったが。
「小蝿が煩わしいな」
真紅の瞳がまっすぐシェラを射抜いた。
「小さき四つ脚も鬱陶しい。それほどに飼い主が恋しいなら、すぐに後を追わせてやろうか」
くつり、と喉を鳴らした女が再び炎を生み出そうとした、その瞬間。
「っ、貴様……!」
魔族の女が憎々しげに叫んだ。
「うちの可愛い子たちに何をする気だ。許すわけないだろ」
その飄々とした口調は。
『トーマさん……⁉︎』
生きていた。
あの苛烈な攻撃を受けて、ダメージは受けたようだが、生きている。
「かはっ……! おのれ、おのれ……なぜ、こんな」
身を折り曲げて、苦しげに咳き込む魔族の女の腹は血塗れだった。
まるで優雅にダンスを踊るかのように、トーマが女の背を優しく支えていた。
そうして、もう片方の利き腕で短刀を更に奥へと、深く突き刺したのである。
「なぜ、刃が私を傷付けるの、だ。ありえない……」
「あり得るよ。だって、このナイフはこの世界の物ではないから」
「なんだと……」
愕然とした表情で、女がトーマを見上げる。もう、その足にはほとんど力が入っていないようだ。
トーマが淡々とした口調で語る。
「これは勇者召喚に巻き込まれた際に、向こうの世界から持ち込んだナイフなんだ。しかも、創造神からの祝福済み」
「……っ、創造神の仕込み、か……!」
「さぁ、そこまで考えていたかは不明だけど。これ、鑑定によると『破壊不可の、何でも切れるサバイバルナイフ』なんだ」
に、と笑うトーマへ、魔族の女は唇を歪めて笑う。
「なんだ、それは……ふざける、な…」
「こっちのセリフ。この世界に存在する、どんな刃物でも傷ひとつ与えることはできない──だっけ?」
小さく息を吐き出して、力なく身を投げだす女から、トーマは愛用のナイフを引き抜いた。
「……魔族でも巧く斬れたな」
血溜まりの中、名も知らぬ魔族の女の身体が淡く光って──真紅の魔石を残して消えた。
同時に、黄金竜のレイがあしらっていたブラックドラゴンも黒い霧に包まれて消えていく。
「片付いたな」
槍を消すと、平然と声を掛けるレイ。
ドロップした拳大の大きさの魔石を無言で見下ろしていたトーマに、コテツが飛び付いた。
ミャオミャオと何やら忙しなく訴え鳴いている。
興奮し過ぎて、念話も疎かになっているようで、トーマが戸惑っているのが分かった。
(良かった。いつものトーマさんです)
ホッとすると同時に、何だか悔しくなって、感情のままに彼の顔に飛び付いてやる。
「うわっ⁉︎ おい、シェラっ?」
『トーマさんのばかばか! 心配したんですよっ?』
バサバサと翼で顔をはたいてやると、苦笑まじりにそっと抱き締められた。
「ふたりとも、ごめんって。心配かけたな」
「私は心配はしていなかったが」
「……レイ、お前そんな薄情な奴だったんだ」
冷ややかな一瞥を向けられたレイが慌てて釈明をしている。
「違うぞ? 私はトーマを信頼していただけだ。お前なら、あの魔族を倒せると。それに、創造神さまからの加護があるだろう?」
「あー……魔獣や魔物からの攻撃を弾く盾ね」
ふぅ、とため息を吐くトーマ。
創造神さまからの加護とは初耳だ。
「たしかに、直接的な攻撃からは守ってくれるけど、衝撃は殺せないからな? おかげで魔法の余波で吹っ飛ばされて、怪我を負ったぞ」
どうやら、あの激しい爆発に巻き込まれて、岩壁に叩きつけられたようだ。
魔獣や魔物からの直接攻撃以外のダメージは躱わせないようで、しっかり怪我を負ったらしい。
「すぐに治癒魔法を使ったけど、肋骨が何本も折れていたんだからな?」
じろり、とトーマがレイを睨み付ける。
「……まぁ、幸いこのサバイバルナイフがあったから良かったけど」
「最初から、その短剣で戦えば良かったのでは?」
「油断させる必要があったの。あいつ、レベルいくつだよ。魔法の威力もえげつなかったけど、普通に強かったぞ?」
ナイフを鑑定、警戒されていたら、あんなに簡単に闇討ちはできなかったよ、とぼやいている。
肩にしがみつくコテツとシェラを優しく撫でながら、トーマが笑う。
「ふたりがアイツの意識を逸らしてくれたから、攻撃できたんだ。ありがとな」
にゃーん、とコテツが甘えた声音で応える。シェラもくるるっと喉を鳴らした。
450
お気に入りに追加
2,577
あなたにおすすめの小説

いきなり異世界って理不尽だ!
みーか
ファンタジー
三田 陽菜25歳。会社に行こうと家を出たら、足元が消えて、気付けば異世界へ。
自称神様の作った機械のシステムエラーで地球には帰れない。地球の物は何でも魔力と交換できるようにしてもらい、異世界で居心地良く暮らしていきます!

異世界転生したので森の中で静かに暮らしたい
ボナペティ鈴木
ファンタジー
異世界に転生することになったが勇者や賢者、チート能力なんて必要ない。
強靭な肉体さえあれば生きていくことができるはず。
ただただ森の中で静かに暮らしていきたい。

うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生
野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。
普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。
そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。
そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。
そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。
うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。
いずれは王となるのも夢ではないかも!?
◇世界観的に命の価値は軽いです◇
カクヨムでも同タイトルで掲載しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

異世界でゆるゆるスローライフ!~小さな波乱とチートを添えて~
イノナかノかワズ
ファンタジー
助けて、刺されて、死亡した主人公。神様に会ったりなんやかんやあったけど、社畜だった前世から一転、ゆるいスローライフを送る……筈であるが、そこは知識チートと能力チートを持った主人公。波乱に巻き込まれたりしそうになるが、そこはのんびり暮らしたいと持っている主人公。波乱に逆らい、世界に名が知れ渡ることはなくなり、知る人ぞ知る感じに収まる。まぁ、それは置いといて、主人公の新たな人生は、温かな家族とのんびりした自然、そしてちょっとした研究生活が彩りを与え、幸せに溢れています。
*話はとてもゆっくりに進みます。また、序盤はややこしい設定が多々あるので、流しても構いません。
*他の小説や漫画、ゲームの影響が見え隠れします。作者の願望も見え隠れします。ご了承下さい。
*頑張って週一で投稿しますが、基本不定期です。
*無断転載、無断翻訳を禁止します。
小説家になろうにて先行公開中です。主にそっちを優先して投稿します。
カクヨムにても公開しています。
更新は不定期です。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

野草から始まる異世界スローライフ
深月カナメ
ファンタジー
花、植物に癒されたキャンプ場からの帰り、事故にあい異世界に転生。気付けば子供の姿で、名前はエルバという。
私ーーエルバはスクスク育ち。
ある日、ふれた薬草の名前、効能が頭の中に聞こえた。
(このスキル使える)
エルバはみたこともない植物をもとめ、魔法のある世界で優しい両親も恵まれ、私の第二の人生はいま異世界ではじまった。
エブリスタ様にて掲載中です。
表紙は表紙メーカー様をお借りいたしました。
プロローグ〜78話までを第一章として、誤字脱字を直したものに変えました。
物語は変わっておりません。
一応、誤字脱字、文章などを直したはずですが、まだまだあると思います。見直しながら第二章を進めたいと思っております。
よろしくお願いします。

異世界リナトリオン〜平凡な田舎娘だと思った私、実は転生者でした?!〜
青山喜太
ファンタジー
ある日、母が死んだ
孤独に暮らす少女、エイダは今日も1人分の食器を片付ける、1人で食べる朝食も慣れたものだ。
そしてそれは母が死んでからいつもと変わらない日常だった、ドアがノックされるその時までは。
これは1人の少女が世界を巻き込む巨大な秘密に立ち向かうお話。
小説家になろう様からの転載です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる