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90. ツリーハウス
しおりを挟む「怪我を治してもらったお礼だ。うちに泊まっていくと良いよ」
黒豹兄妹の母、ジューンの誘いをありがたく受けることにした。
この小さな辺境の集落で日本製のテントを設置するのは、さすがに戸惑われたので、申し出は渡りに船。
猫科獣人の集落でしっかり稼がせてもらったので、懐も気分もとても温かい。
「こっちだよー! トーマお兄ちゃん!」
屈託なく笑う少女に手を引かれ案内された先には見事なツリーハウスがあった。
周辺の木々を四方の柱代わりにして、木上に小さな小屋が建っている。
「すごいな」
高さは2メートル以上あり、階段は見当たらない。
蔦を編んで作った縄のハシゴがぶら下がっており、これを登って行くのだろう。
「黒豹族は木登りが得意だからね。アタシらは獅子や虎と違って、力はそう強くない。だから、自衛のために木の上に棲家を作っているんだ」
ジューンが誇らしげに言う。
合理的だ。それに、純粋にわくわくする。
だって、ツリーハウスだぞ?
アウトドア好きな男子が興奮しないはずがない。
「たしかに、この高さならウルフやボアは登ってこられない。良い家だ」
「まぁ、クマにゃ意味がないがね」
からりと笑うジューン。
クマは木登りができるので、確かに少し心細いか。
ベア系の魔獣ほどデカければ木登りは難しいが、その場合は先ほどのブラックウルフのように、家ごと木を倒そうとするだろう。
「お兄ちゃん、いこ!」
「おお、さすが黒豹」
小さな幼女が縄梯子をするすると身軽く登っていく様に感心する。
オーガストやジューンに至っては、縄も使わずに軽々と木を登っていった。
「トーマ、登れる?」
「ま、これでもエルフの血が流れているんで」
パルクールの要領で地を蹴り、太い枝に足を掛ける。
「よっと。お邪魔します」
「ふふ、さすが。やるねぇ」
「……もしかして、試しました?」
「悪い悪い。森の奥に住む偏屈なエルフは滅多に見かけないから、どんな子かと思ってね」
「はぁ。……エルフって、そんなに見かけないんですか?」
ちょっと心配になる。
エルフやハーフエルフの振りをして、この世界を旅するつもりでいたのだ。
心配そうに尋ねる俺をジューンはからりと笑い飛ばす。
「この集落じゃ珍しいってことさ。エルフの中にも変わり者は大勢いる。冒険者や薬師として街で暮らしているエルフも多いらしいよ」
「そうなんですね」
ほっと胸を撫で下ろす。
オーガストが不思議そうに首を傾げた。
「トーマはハーフエルフなんだろ。エルフのこと、あんまり知らないのか?」
鋭い。
ちょっと困ったような表情を浮かべて、伏し目がちに苦笑してみせた。
「俺は人族の村で母親に育てられたから、生粋のエルフのことはあんまり知らないんだ」
「ふーん」
「こら、オーガスト。余計な詮索はやめときな。色んな事情があるんだ」
わざとらしい演技だったが、ジューンが空気を読んでくれた。
ハーフエルフの設定が、ここで活かせたようだ。
彼女の中では俺は父親に捨てられた可哀想な母子家庭育ちになっていることだろう。
「ほら、そんなことより! 狭い家だけど、ゆっくりしとくれ」
「ああ、ありがとう」
木造の小屋は茅に似た植物で屋根を葺いている。温暖な気候のためか、通気性を重視した造りのようだ。
床は木板のフローリング。家具は少なめ。部屋の隅を寝床にしているようで、柔らかそうな毛皮が何枚か敷かれていた。
「トーマお兄ちゃん、メイと一緒に寝る?」
にこにこと無邪気に尋ねてくる少女の頭を撫でてやる。
「いや、俺は自分の寝床があるから。そこでコテツと寝るよ。ありがとう」
「寝床って? 毛皮じゃないの?」
「あー。持ち運べる小さなベッドがあるんだ」
好奇心いっぱいの兄妹にせがまれるまま、【アイテムボックス】からコットを取り出した。
「すげぇ! こんなの初めて見た!」
「わー。面白いね。毛皮じゃないのに、硬くない!」
「こら、あんたたち。静かにしなさい! でも、騒ぎたくなる気持ちも分かるわ。便利ね、これ」
ジューンも折り畳み式のコットを持ち上げては感嘆のため息を繰り返している。
持ち運びできる軽さの快適なベッドをしげしげと眺める彼女は冒険者だという夫のことを考えているのだろう。
「地面が濡れた場所でも、これがあれば眠れるだろうね」
「固い地面の方が安定するけど、多少は緩んだ場所でも使えますよ。持ち歩くには少し嵩張りますけど」
「これは売り物?」
「残念ながら、これしかないんです」
創造神に祝福された特別製のアウトドア用品はどれだけ金貨を積まれても売るつもりはないが。
「似たような物を自分たちで作れば良いんじゃないですか」
「へ? いいのかい?」
「はい。別にこれは商品じゃないので」
「そうなのかい? 売れると思うけど……」
もったいないと呟きながら、ジューンがお茶を出してくれた。
森で摘んだハーブを使った香草茶だと言う。ミントに似た香りがする。
ツリーハウスの中にも小さなキッチンはあり、魔道コンロが置かれていた。
「お湯を沸かすくらいは家でするけど、調理は外の共有の竃を使うんだ。火事が怖いからね。この魔道コンロは旦那がダンジョンで拾ってきてくれたんだ」
「へぇ。レアドロップですね」
一口サイズの小さなコンロだが、これでも金貨二枚はするお宝らしい。
「これ美味しくないのー」
「さっきの果汁、美味かったよな」
子供たちにはミント味のハーブティーは不評のようだ。
まぁ、無糖の茶を飲み慣れている日本人にもなかなか慣れない味なので仕方ない。
【アイテムボックス】から取り出した蜂蜜をスプーン一杯分、子供たちのカップに落としてやる。
「これで飲みやすくなると思うぞ」
「! ほんとだ! 甘くて美味しい」
「ジューンさんもどうぞ」
「いいのかい? 売り物だろう?」
「これは自分用なので。コテツもおいで。ホットミルクをあげよう」
お茶請けに百円ショップで購入したクッキーを木皿に移して、皆で摘んだ。
バターと砂糖の濃厚な味に、黒豹族の一家はすっかり魅了されたようだった。
◆◇◆
「旨い! ディア肉がこんなに深い味になるとはね」
「ちょっと辛いけど、お肉おいしい!」
「……っ!」
夕食はジューン一家と一緒に作ることにした。スープとパンはジューンが用意して、メインの肉料理は俺が調理した。
ずっと狩りに行けていなかったため、干し肉しかないと聞いたからだ。
どうせなら、旨い肉を食いたい。
大森林の奥深くとダンジョンで狩りまくったため、肉の在庫はたんまりある。
特に数の多いワイルドディア肉を放出して夕食を作った。
ディア肉のソテーはガーリックバター味にした。付け合わせにはマッシュしたポテトをオリーブオイルで揚げ焼きした物とニンジンのグラッセ、塩茹でしたブロッコリーを添えてある。
「うん、美味い。コテツもおかわり食べるか? よしよし、切り分けてやるから、ちょっと待ってな」
「なーん」
頬をすり寄せて甘えてくるキジトラをひと撫でし、ソテーを食べやすいように切ってやる。
小さな牙で念入りに噛み締めながら食べるコテツはとても可愛い。
黒豹族の幼女であるメイは無邪気さをかなぐり捨てて、ソテーに齧り付いている。
ちょっと野生味があるが、まぁ可愛い?
その兄であるオーガストは言葉もなく、ディア肉を黙々と喰らっていた。鋭い牙で引き裂き、無我夢中で味わっている。
もっとも、それは母親であるジューンも同じ様子で。
「大量に焼いておいたんだが、完食か……」
さすが肉食の獣人。山盛りにしていたディア肉ソテーはあっという間に彼らの腹の中に消えてしまった。
野菜はあんまり好きじゃない、と最初は顔を顰めていた兄妹もマッシュポテトフライを一口齧ると、途端に顔を輝かせた。
甘いニンジンも気に入ったようで残さず食べてくれた。
ブロッコリーだけは渋々と口に運んでいたので、子供の口には合わなかったのかもしれない。
(次はマヨネーズを付けて出してみよう)
ジューンが作ってくれたスープは干した野菜と干し肉の切れ端が入っていた。
パンは蕎麦粉を使ったガレットに似た食感のもので、まずくはないが、主食がずっとこれでは子供たちも飽きていたのだろう。
ディア肉ソテーを完食した彼らはスープやパンには見向きもしていない。
「ジャムを付けて食えば、まぁ悪くない味かな。スープにもコンソメを放り込めば……」
こっそりと味変してスープを飲んでいると、メイが膝によじ登ってきた。
獣人の鋭い嗅覚が、美味しそうな匂いを嗅ぎ取ったようだ。
あーん、と笑顔で口を開く少女には苦笑するしかない。
スプーンですくったスープを飲ませてやると、笑顔がふにゃりと蕩けた。
「おいちー! なんで? ママのスープ、いつもと味が違うの」
「あー。ちょっとだけ手持ちの調味料を加えたからな。ほら、こっちのパンも食え。りんごジャム好き?」
「んんんー! 甘くて美味しい……」
小さな手で両頬を押さえて、うっとりするメイ。
母親と兄の目の色が変わっている。
ギラギラと金色に光る獣の目に怯えながら、俺はそっと二人にもスープとパンを勧めた。
「……食べます?」
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