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86. 黄金竜の鱗
しおりを挟む魔の山の麓にあるダンジョンを踏破した、その翌日。
ふと、読んでいた文庫本からレイが顔を上げた。アメジスト色の瞳を細め、どこか遠くを見透かすような表情を浮かべている。
「どうした、レイ?」
リビングのソファベッドに寝そべって、何を買おうかと楽しく物色していたところだが、らしくない表情が気になった。
「うむ。そろそろ大陸に異常がないか、見て回る時期だと思ってな。さすがに、少し遊び過ぎたか……」
「見て回る時期? ああ、神獣としての仕事か」
「そうだ。魔素が濃くなり過ぎて、澱んだ場所の浄化をする。あとは攻略が滞ったダンジョンから魔物や魔獣が溢れて来ないよう、定期的に巡回しているのだ」
「おお。ダンジョンの氾濫って、やっぱりあるんだな……」
「人が足を踏み入れない、たとえば、この魔の山ダンジョンも対象だな。百年に一度は中を確認していたのだが、今回はトーマとコテツのおかげで間引き出来た。感謝する」
軽く顎を引きながら微笑まれ、ちょっと照れ臭い。
「こっちこそ、レイが手伝ってくれて、攻略が楽になったんだ。それに、ポイントも大量に手に入ったしな!」
ニヤリ、と笑う。
途端にレイが興味を持ったようで、身体ごと振り返ってきた。小声で聞いてくる。
「いくらになったのだ?」
「ふふんっ。聞いて驚け。なんと、魔の山ダンジョンを攻略した現時点の俺の持ちポイントは──…」
召喚魔法の画面を立ち上げて、ゆっくりと数えていく。
レイばかりか、猫の妖精のコテツまで目を輝かせてお座り待機している。かわいい。
「142,853,500ポイント!」
「なんと……」
「にゃーん……?」
さしもの黄金竜も驚いたようで、切れ長の瞳をこれでもかと見開いている。
コテツはこれは分かってないやつだな。猫だもんな。仕方ないよな。数字なんて、1、2、3、たくさーん! レベルだもんな。かわいい(二度目)。
「1億越えました! 今なら三階建のコテージも余裕で買えます! 買わないけど!」
「買わないのか?」
「や、今のところ必要なくない? 二階建てコンテナハウス、めちゃくちゃ快適だし」
レイがコンテナハウス内をぐるりと見渡して、なるほど確かにと頷いた。
「一人と一匹暮らしには充分だろ? 移動もしやすいし。……ああ、せっかくだからレイの部屋も増やしておこうか」
「む? 私の部屋か?」
「そう。いつまでもリビングに居候じゃ落ち着かないだろ。コンテナハウスをもう一つ繋げれば、落ち着いて読書も楽しめると思うぞ?」
戸惑ったように、アメジストの瞳が揺れている。らしくもなく遠慮しているのか、いいのか? なんて聞いてきた。
「いいに決まってる。ダンジョン攻略を手伝ってくれた礼だ。ちゃんと家具も揃えておいてやるから、大陸の見回り任務が終わったら、また遊びに来たら良い」
何でもないことのように告げてやると、ぱっと顔を輝かせた。
イケメンの満面の笑み、眩しすぎ!
がばっと抱き付いてきたかと思えば、脇の下に手を入れて、勢いよく振り回してくれた。
「どわっ⁉︎ ちょっ、嬉しいのは分かったから! 落ち着け! 目が回る! あと、コテツ、これは別に遊びじゃないから! 目をキラキラさせないでっ」
広くて固い背をバンバンと叩いて、どうにか床に降ろして貰えた。
「死ぬかと思った……」
肩で息をしていると、金髪美形男がニコニコと笑いながら「すまん」と謝ってくる。
それ絶対に反省してないだろ。
まぁ、いいけど。
ワレもワレもと足元に擦り寄って来たコテツを抱き上げて、高い高いをしてやると、キャッキャと喜んでいる。
さすが猫。高いところ大好きだな。俺は結構しんどかったぞ。
身長差があるとは言え、軽々と持ち上げられたのは男として、かなり悔しい。
(絶対にデカく成長してリベンジしてやる……!)
長命種のハイエルフなのだ。
伸び代はきっと、ものすごくあるはず!
「私の部屋を用意してくれると聞いて、嬉しくなったのだ。ずっと一匹で生きてきて、そんなことを言われたのは初めてだからな」
「……黄金竜に仲間はいないのか?」
「黄金竜は世界に唯一の神獣」
「えっと、その、ドラゴン仲間とかは?」
「竜種はそれなりにいるが、種族が違えば交わることは、ほぼない」
家族も仲間もなく、ただ一匹だけで、この魔の山の天辺で生きてきたのか。
(そりゃあ、寂しくもなるか。俺だって異世界に転生させられて、誰とも喋れなくて、ちょっと病みかけたもんな……)
千年以上、そうやって生きてきたのだ。
人寂しくなるのも当然か。
やけに馴れ馴れしく懐っこいと思ったが、それも納得の境遇だった。
「そっか……。じゃあ、俺たち似た者同士だな。俺も一人でこの世界に飛ばされたし、コテツも一匹だけ生き残ったケット・シー。種族は全然違うけど、仲良くやれてただろ?」
「ああ、そうだな。ここでの生活はとても楽しかった。知らないことをたくさん知れて、旨い異世界飯も食えた」
「ならさ、もうアレだよ。家族とか友達に近いよな、俺たち」
「家族……友達……?」
自分でもちょっと何を言っているのか、分からなくなってきた。
だけど、この寂しがりの孤独なドラゴンが疲れた時に逃げ込める場所を与えてやりたいと、ふと思ってしまったのだ。
(自分たちのために利用しようと考えていたのに、変だよな……)
自然と苦笑がこぼれ落ちる。
時間にして、二週間ほど。金ピカのドラゴンと一緒に過ごして、すっかり絆されてしまったのだ。仕方ない。
「ふっ……。神の眷属たる黄金竜にそんな軽口を叩いた輩は初めてだ。さすが召喚勇者よ」
「いや、俺は巻き込まれただけの、単なる餌」
「ふふっ。面白い。だが、悪くない気分だ。トーマの厚意に感謝しよう。読み掛けの本があるので、是非またここを訪れよう」
「おう。さっさと仕事を片付けて戻って来いよ。帰って来たら、レイの部屋を一緒に作ろう」
「選ばせてくれるのか?」
「予算内なら、な」
「ふ、ふふふ。面白い。本当に面白い奴だな。トーマよ、少し付き合ってくれ」
「ん?」
「外に出よう。渡す物がある」
◆◇◆
コンテナハウスから外に出る。
庭や畑を壊したくないから、と結界の外に移動させられた。
周辺は見通しを良くするために伐採しているので、広場には困らない。
少し離れた位置に立つと、レイは黄金色のドラゴンへと姿を変えた。
翼を広げると、コンテナハウスよりも大きい雄々しき神獣の姿に、束の間見惚れてしまう。
『世話になった礼をしようと思ってな』
「礼ならダンジョンでの共闘で充分だけど」
『まぁ、貰っておけ。人の国ではかなりの高値になるそうだから、ポイントもたくさん貰えるだろう』
「え? は?」
後ろ脚で猫のように首元を勢いよく掻いた黄金竜が、そっと前脚を差し出してきた。
鋭い爪先に摘まれていたのは、金色に輝く鱗だった。
「ちょ……! 剥いだのか、自分の鱗を!」
『ちょうど剥がれそうだったのを取っただけだ。いいからポイントに変えて、買い物の足しにしろ』
「いやいや、普通に痛いだろ、鱗剥いだりしたら!」
『お前たち人間だと、髪の毛一本を引き抜いた程度の感覚だ。気にするな』
ふんす、と鼻を鳴らしたドラゴンが胸を張っている。
てっきり爪を剥がすくらいの苦痛を想像してしまったので、髪の毛発言にホッとした。
「あー…ありがたいけどさ。プレゼントされた物はポイント化出来ないんだよ。自力で採取した素材でないと」
『む。そう言えば、そうであったな。ならば、トーマの手で剥がしたら良い。たしか、創造神さまに祝福された刃物があっただろう』
「え、このナイフのこと? まぁ、あるけど……って、俺がレイの鱗を剥がすの⁉︎」
悪夢だ。
狩った獲物を解体したことはあるが、どれも既に生き絶えていた。
生爪ならぬ生鱗を剥がすような、そんな拷問じみた真似はさすがに躊躇する。
『顎の下、ここらへんに半分剥がれかけた鱗があるだろう? もう下から新しい鱗が生えてきているから、邪魔で仕方ないんだ。取ってくれ』
「えぇー? ……あ、ほんとだ。剥がれかけてる。本当に痛くないのか?」
『むしろ痒い。早く取ってくれ』
真顔で頼まれたら、もうやるしかない。
そっとドラゴンの側に寄り、キャンプ用のナイフを浮いた鱗に当てた。
◆◇◆
「俺の手で剥がした鱗は、三千万ポイントになったぞ」
てのひらサイズの鱗一枚で、三千万円と考えれば、とんでもなかった。
当のドラゴンは結構良い値段になったな、と何故か誇らしげ。
いいのか? いいのか。そうか……。
ポイントはありがたく使わせて貰うことにした。ちなみに、レイ手ずから剥いだ鱗も貰ってしまっている。
黄金竜の鱗は武器や防具の素材としても使えるし、人里で高値で売り払えるので、持っておけば良いと握らされたのだ。
とても固く、美しい鱗だったので、アウトドア服のベストのポケットに仕舞っておいた。左胸のポケットに入れておけば、心臓を守ってくれそうな気がしたからだ。
神獣の鱗だなんて、最強のお守りじゃないか?
『世話になったな、トーマ。しばらくは不在にするが、どうせなら人里近くまで運んでやろうか?』
その魅力的な提案に、もちろん俺は迷わず頷いた。
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