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〈冒険者編〉
287. 開拓地食堂 2
しおりを挟むタープに似た天幕だけを張った開拓地食堂は大賑わいだ。
長テーブルとベンチだけを置いた食堂は三十席ほどしかないが、力仕事を丸一日頑張った男たちの食べるスピードは早いため、回転率はとても良い。
本日の夕食のスープはたっぷりの野菜と肉が入った豚汁ならぬボア汁だ。
野菜は根菜を中心に、あとは残り野菜も放り込んである。
肉は伐採作業中に森から飛び出してきたワイルドボアを冒険者グループが仕留めたものを商会が買い上げた。
ワイルドボアは六頭もいたので、具沢山のボア汁を作ることができた。
群れというより、家族連れのボアだったようで親の肉をボア汁に使い、若くて柔らかい肉質の子ボアはステーキにして炊き立てご飯にのせてある。
そう、ボアのステーキ丼だ。
ご飯は丼鉢──はなかったので木製のサラダボウルに山盛りよそい、ステーキ肉もたっぷりのせた。
ボリューム満点なため、冒険者を含む肉体労働者たちは大喜びで食べてくれている。
「うめえぇ!」
「今夜はご馳走だな!」
こっそり天幕の影から確認したのだが、なかなか好評のようでナギはほっと胸を撫で下ろした。
いつもより品数が少ないと文句が出るかと思いきや、腹いっぱい肉が食えると喜んでもらえている。
「今夜は余裕を持って対処ができましたね」
「ですねっ、料理長!」
「良かったですぅぅ」
品数を減らした上に、調理工程も少ないメニューだったので、料理人は余裕で回すことができたようだ。
ボア汁は肉と野菜を煮込むだけなので、最初の仕込みとアク取り作業さえこなせば後は放置でいい。味付けも味噌オンリーなので、調整しやすい。
ステーキ丼に至っては、切った肉を焼くだけだ。ナギが商会に売ったレシピで作ったステーキソースを添えるだけなので、こちらも簡単。
ついでに、日本の食堂を真似て、ご飯をよそうのはセルフにしてみた。
盛り付けられたご飯の上に、カウンター前で料理人がカットステーキをのせてソースを回しかけ、ボア汁を渡すだけ。
(うん、シンプル! 少人数でも、これなら負担も少ないし、回転率も良くなるわよね?)
ちなみにボア汁はセルフ方式を諦めた。
料理長のトマソンが言うには、そんなことをすれば肉だけをごっそり盛り付けようとする輩が続出する、とのことで。
米は小麦粉よりも安価なので、これで腹を膨らませてくれるなら、とセルフにできたのだが。
この形式なら、数人がかりで肉を焼くだけで回せる。
「しかも、美味しい! 素晴らしいです、このソース」
大きな甕いっぱいのステーキソースを、トマソンはうっとりと見つめている。
初日に配属されてから多忙すぎて、ソースの味を確かめる余裕さえなかったようだ。
況や、醤油や味噌の使い方も知るはずもなく。
「ナギに丸投げしたんだな」
嘆息混じりのエドの呟きの通りなのだろう。商会も短期間での開拓準備に大変だったのだとは思うが、もう少しどうにかして欲しかった。
「もおおぉ。せめて、簡単な使い方の説明をしてあげれば良かったのに」
せっかくの便利な調味料がもったいない。
「いえ、ナギさんに使い方を教われて良かったです。この味噌という調味料は本当に素晴らしいものですね!」
「でしょう? スープや鍋──……ええと、煮込み料理に合う調味料なので、明日からの二日間で使い方を教えますね」
「「「よろしくお願いします!」」」
料理長トマソンをはじめ、他の料理人にまで頭を下げられてしまった。
ちなみに開拓地食堂では、基本的にはおかわりは禁止。物足りない連中は屋台での買い食いをおすすめしている。
あとは、エイダン商会の開拓地支店で販売しているドライフルーツや干し肉、堅パンや日持ちのする菓子を買うしかない。
冒険者なら、大森林や食材ダンジョンで採取をするのも手だ。
「えぇー⁉︎ ナギの嬢ちゃんよ、そりゃないぜ。おかわりさせてくれよぉ」
顔見知りの冒険者に拝まれたが、そこはきっぱりお断りだ。
「ダメです。食堂の負担が大きすぎます。屋台の串焼き肉を食べてきたらどうですか?」
「いやいやいや! 言っちゃ悪いが、屋台の飯は微妙な味でなぁ……」
強面の冒険者が小柄で可憐な少女におかわりをねだる光景は、シュールだ。
そこへエドが助け舟を差し出した。
「屋台の串焼き肉、旨くなっているぞ」
「はぁ? この三日、仕方なく食っていたけど、どれも似た味だったぞ?」
「さきほど、ナギが考案したソースを使うよう指導したからな。今日のステーキ丼のソースもナギのレシピだ」
この一言に、食堂周辺にたむろしていた冒険者がざわりとした。
「マジか⁉︎ ナギの嬢ちゃんの味付けなんだな? よっしゃあ!」
「おい、商会から酒を買って来い! 俺ァ、串焼き肉を買ってくる!」
「うおぉ! 宴会だー!」
歓声を上げて、冒険者たちはわっと散会した。判断が早い。さすがだ。
その勢いに気圧されたトマソンがぽつりと言う。
「おかわり対策を取っておいて良かったですね……」
「そうですね。これで食堂のお客さんも分散されるんじゃないですか」
ちなみに開拓地食堂はギルドと商会の職員、招かれた職人や木こり、土魔法使いには無料で提供される。
その他の冒険者や作業員たちには有料で販売していた。銅貨2枚。日本円にして二千円と少し割高だ。
その点、屋台の串焼き肉だと鉄貨5枚。日本円だと五百円くらい。
肉食気味な猫科獣人が作る串の肉はかなり大きな塊肉なので、二本も食べれば腹はかなり満たされるだろう。
「明日は屋台の人にも味噌や醤油の使い方を教えてあげるから、スープや煮込み料理も増えそう」
「毎日、作業員の人数は増えるから、ありがたい」
安堵の息をつくトマソン。
エイダン商会の従業員もソースや調味料が屋台に売れて、ほくほくとしている。
「焼肉のタレとステーキソースを味見させてあげたら、すぐに売れたのよね。肉を漬け込んで焼くだけだから、簡単だし」
「ソースは安い物ではないが、串の値段を強気で上げていたな」
エドは少し心配そうにしていたが、先ほどの冒険者たちの様子から売れそうだとは思う。
屋台の串焼き肉は昼までは鉄貨3枚だったが、値上げしても魅惑的なタレの香りに釣られて良く売れているようだ。
肉は獣人たちが森で狩ってきた新鮮な魔獣肉を使っているので、文句なしに美味しいだろう。
「じゃあ、私たちは今日はもう休みますね」
「はい。お二人ともありがとうございました!」
ナギは調味料の使い方のレクチャーと下処理のお手伝い。エドはパンの仕込みを頑張ったので、疲れている。
夕食は合間に軽く摘んだので、今夜はもう休むことにした。
料理人たちは手分けして調理と配膳、洗い物、そして明日の仕込みに余念が無さそうだった。
◆◇◆
与えられた野営地での、自分たちの魔道テントに戻ると、ナギはベッドに倒れ込んだ。
「疲れたねー……。まさか、到着してすぐに働かされるとは思わなかったわ」
「普通は当日は休めるものだからな。……ギルドに上乗せを申告しておこう」
エドはしっかり者だ。
さすがに料理長の自腹を切ってもらうのは寝覚めが悪い。
「労働の対価はちゃんと貰わないとね」
ナギも大きく頷いておいた。
長距離移動の疲労が溜まっているのか、すこぶる眠い。
「あー……くろがねの皆さんに挨拶したかったんだけど……ふわぁぁ…」
油断すると、小さな口から欠伸が溢れてしまう。
端正な口許に微苦笑を浮かべたエドが、そっと乱れた髪を撫で付けてくれた。
「挨拶は明日でもいいだろう。もう寝ろ」
「ん、そ、だね……」
「おやすみ、ナギ」
おやすみなさい。半分眠りの世界の住人になりながら、ナギも囁き返す。
明日からはまた忙しい日々が続くだろう。
だが、やりがいのある仕事だ。
この二日を乗り切れば、自由行動。つまりは、再び食材ダンジョンに潜れるのだ。
(どんな食材が手に入るのかなぁ……?)
◆◇◆
開拓地は早朝から賑やかだ。
誰よりも早起きなのは、パンを焼く調理人で、土魔法使いが造り上げた竈を使って、大量のパンを焼いていく。
香ばしい小麦の香りに釣られて、職人や冒険者たちが起き出してくると、途端に騒々しくなった。
猫科獣人の集落には井戸はひとつしかない。そのため、開拓地ではまず井戸が掘られたのだと聞いた。
その間、水甕の魔道具が大活躍だ。大森林の中にも沢があり、水にはあまり困ってはいないらしい。
水がたくさん使えるのはありがたかった。
特に食堂では大量の水が必要とされる。
「ポトフ完成しましたぁ!」
「パンは足りそう?」
「今、追加分を焼いています!」
開拓地食堂は早朝から仕込みで大忙し。
朝食はナギと調理長で相談して、やはりシンプルなメニューにした。
どっしり重めのハード系なパンを使ったサンドイッチと野菜たっぷりポトフだ。
堅パンは腹持ちがいい。肉はコッコ鳥の照り焼きチキン。醤油と蜂蜜があればそれなりの味に整うので、照り焼きソースは便利だ。
パンや米、どちらとの相性も最高なので使い勝手が良いと思う。
(マヨネーズを添えたら、もっと美味しくなるけど、今回はこれだけにしよう)
なんとなく、この場でマヨネーズを普及させるのは危険な気がする。
「朝食はじめまーす!」
開拓地食堂と天幕前には既に行列ができている。
料理長トマソンが声を張り上げて宣言すると、待ってました! と歓声が上がった。
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