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〈冒険者編〉
203. カレーを作ろう
しおりを挟むカレースパイスの配合は無限大だと、前世日本での友人は良く語っていた。
彼は渚の大学時代の同窓生で、スパイスカレー作りに余暇を捧げている、少しばかり変わった人だった。
市販のルーでさえ、ひとつひとつ味や香りが違っていたのがカレーだ。味噌汁と同じように、各家庭にそれぞれの味がある。
ちなみにナギの家では市販のルーを二種類混ぜて、お家カレーを作っていた。
隠し味はチョコレートとケチャップ少々。ごくごく一般的なカレーライスだったと思う。
(カレーは何だかんだ言っても、市販のルーが最高に美味しかったんだよねぇ……)
具材さえ用意しておけば、ルーを鍋に放り込むだけで、きっちりと味が仕上がった。
(それに、スパイスってきっちりと揃えるとお高くなるのよね。市販のカレールーやカレー粉を使った方が安上がりで美味しいから……)
だから、ナギは前世でもあまりスパイスカレーを作ったことはない。
件の、スパイスカレー好きの友人に教わってスープカレーを二度、バターチキンカレーを一度だけ、作ってみたことがある。
(好みの味、配合を見つける前に飽きちゃったんだよね……)
自信は全くない。
だが、異世界で十三年間生き抜いて、そろそろ限界だったのだ。
カレーが食べたい。
その一心で、スパイスを探してきた。
食材ダンジョンでようやく念願のスパイス類を手に入れて、あらためて思う。
「カレーが食べたいから、頑張って作りましょう!」
いつの間にか手に入れていた【調理スキル】がきっと役立つ、はず。
◆◇◆
「エドにはナン作りをお願いしても良い?」
レシピはざっと書いておいたので、パン作りが得意なエドには問題なく焼けると思う。
ダンジョンで手に入れたベーキングパウダーもあるので、手持ちの小麦粉でも大丈夫だろう。
その間にナギは宝箱に入っていたスパイス類を使いやすいようにパウダーにしていく。
「便利よね。【無限収納EX】スキルは」
収納した物品を素材化できる親切能力付き。魔獣肉の解体はもちろん、混ざり物のある小麦粉を仕分けもできる。
特に嬉しかったのは、海水を収納して塩を分離できたことか。
岩塩もコクがあって美味しいとは思うけれど、雑味のない海水産の塩は使いやすくて重宝している。
素材化の能力は粒を粉に変化させることも出来るので、わざわざ薬研を手に入れてすり潰す手間も省ける。
鼻の効く狼獣人のエドにスパイスの加工をお願いするのは拷問に近いので、なるべくナギが担当していた。
スパイスそのものの匂いは苦手なようだが、スパイス料理自体は好んで食べていたので、エドもアキラもカレーは食べられるとは思うが。
レシピを元に、エドは真剣な表情でナン作りに励んでいる。
小麦粉はザルでふるい、ベーキングパウダーに塩、蜂蜜とぬるま湯を混ぜて、大きめのボウルの中で捏ねていく。
打ち粉をしながら強い力で十五分ほど捏ねた生地をボウルごと、ぬるま湯で適温にし、一時間ほど発酵させる必要がある。
後はガス抜きしつつ、生地を伸ばして切って焼くだけだ。
前世日本ではフライパンで焼いていたけれど、せっかくこのコテージにはオーブンがあるので大量に焼いてもらうことにした。
「発酵時間がパンよりも少ないんだな?」
「うん。長く発酵させると、ふわふわな生地に焼きあがるからね。これはナンだから、どっしりとした焼き上がりの方がカレーに合うと思うの」
「分かった。焼いてみる」
エプロン姿で集中して生地を捏ねるエドの姿はとても凛々しい。
同年代の女性冒険者たちから人気があるのも良く分かるイケメンぶりだ。
アキラの記憶のおかげか、エドは細かいことに良く気付き、さりげなく気を遣ってくれる。
同年代の男性冒険者と比べて、その紳士ぶりに彼女たちがハートを射抜かれるのも当然だと思う。
当のエドは女性陣からの秋波をことごとくスルーするので、最近は落ち着いてきていたが。
(でも、たまに私に突っ掛かってくる子がいるんだよね。別にそういう関係ではないのに)
エドは大切な相棒だ。
唯一、この世界で心底から信頼できる相手がいるとしたら、それが彼だと思っている。
前世を共有することの出来る、大事な相棒で親友だった。
何となく胸の奥でモヤモヤとした感情が渦巻いている気がしたが、今は重要な作業中。
(エドも仔狼もカレーを食べたがっているんだもの。今は集中しなきゃ!)
前世の記憶を引っ張り出して、レシピを思い出す。
どうせ食べるなら、日本式のお家カレーが良かったけれど、今回はビーフカレーを作ることにした。
「スープカレーはまた今度試すことにして、今日はカレーライスよ!」
せっかくブラッドブル肉が手に入ったので、ビーフカレーに挑戦しない手はない。圧力鍋もあるので、すじ肉を使うことにした。
「まずはブラッドブルのすじ肉におろしたニンニクと生姜、胡椒とスパイス類を揉み込んで、赤ワインに漬け込みましょう」
スパイス類はとりあえず、クローブにナツメグ、シナモンのパウダーを合わせた物を使ってみる。
深みのある香りは、どこか懐かしい。
「玉ねぎはバターで飴色になるまで炒めておいて。漬け込んでいたすじ肉も焼こう」
肉は焼き色がつくまで火を通し、一口サイズのニンジンとジャガイモも追加する。ほどよく柔らかくなったところで、飴色玉ねぎを投入!
「うん、良い香り。ここでスパイスを追加! 唐辛子とカルダモン、クミンにコリアンダー。そして、ターメリック!」
分量には自信がなかったので、どれもまずは少量ずつ加えている。
あとで味見をしつつ、調整していこう。
作り置きのコンソメスープを多めに入れて、具材ごとゆっくりと混ぜていく。
沸騰したら、アクをすくって、後は中火でじっくりと煮詰めていった。
「良い香りだな。腹がへってきた」
「カレーの匂いは空腹時には拷問よね。エドのナンも順調そう」
火が入ったオーブンを覗き込むと、ナンを焼いている最中だった。
炊き立てご飯は【無限収納EX】に保管してあるので、カレーライスはもちろん、ナンも同時に楽しめる。
余ったナンは収納しておけば、いつでも焼き立てが味わえるのだ。最高すぎる。
「匂いはかなりカレーよね? ちょっとだけ味見をしてみよう……んー」
切なそうにこちらを眺めてくるエドにも小皿にとったカレーを舐めさせてやった。
ピリッとした刺激が鼻を抜ける。うん、カレーっぽい。カレーっぽいが、少し物足りなかった。
「思ったより、サラサラしているスープなんだな」
「あ、そうか。とろみが全然ないんだ、これ」
スパイスに夢中になっていて、うっかり忘れていた。慌てて、水で溶かした小麦粉を大鍋に追加する。くるくるとお玉を回していくと、とろみが出てきた。
緊張しながら、もう一度味見する。
「んん、こっちのが良いな。とろっとしていて、すごく美味い」
「良かった。辛すぎない?」
「平気だ。もっと辛くても良い」
「おお、エドはイケるクチね? ふふっ」
ナギにも少し甘口だったので、スパイスを追加していく。ターメリックを少し多めに、胡椒と唐辛子も投入。好みでクミンも多めに入れてみた。
「ん、ピリリとくるね。美味しいけど、ちょっと刺激的かな」
ここで蜂蜜を加えてみる。まだ少し尖った味だったので、ヨーグルトも隠し味に追加した。食べやすくなったけれど、何か物足りない気がする。
「……そう言えば、カレーのルーって、りんごと蜂蜜が入っているんだっけ?」
うっすらと記憶にある。
自信がなかったので、少しだけすり下ろしたりんごを入れてみた。
「最後に塩を入れて調整したら……うん、美味しくなった!」
エドにも味を見てもらったが、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせて大きく頷いてくれた。
「スパイスの配合とレシピはちゃんとメモしておいたし、あとは……」
「ナンが焼けたら実食だな!」
「いや、すじ肉に火が通るように、じっくりと煮込む予定なんだけど……」
「すぐに食えないのか」
先程までの瞳の輝きは何処へやら。
がくりと肩を落として、この世の終わりかのように落ち込むエドをナギは慌てて宥めた。
「じっくり煮込んだ方がカレーは美味しいのよ。せっかくのお肉が硬いとエドもいやでしょう? ここで時間を掛けて煮込めば、トロットロのお肉に仕上がるんだから!」
「トロットロの肉……?」
「そう! ボアの角煮を初めて食べた時の感動を思い出すのよ、エド。牛すじ肉も上手に調理すれば同じくらい美味しいんだから!」
少しだけ話を盛ったかもしれないが、トロットロに煮込んだすじ肉が美味しいのは事実だ。
冬になったら、おでんも作りたい。
「それに圧力鍋は、時短できるから! ナンが焼き上がる頃にはきっと完成しているわ。とっておきの魔法で、さらに美味しくしてあげるから!」
ふ、とエドが顔を上げた。
期待に満ちた眼差しに、ナギは自信たっぷりに頷いてやった。
とっても便利な生活魔法。
「二日目のカレーの味に変化させることの出来る熟成。もはや、このために存在したかのような、素晴らしい生活魔法よね?」
二人はとびきりの笑顔で大きく頷き合った。
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