異世界転生令嬢、出奔する

猫野美羽

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〈冒険者編〉

169. 旅の準備

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 『紅蓮』の皆は旅の準備を整えると言っていた。旅の準備。ぽつりと呟いて、ナギはしばし黙考する。
 ダンジョンアタック以外だと、この三年間では初めての旅だ。
 思えば、実家である辺境伯邸を出奔して、このダンジョン都市に辿り着くまでの旅しか、ナギは経験したことがなかった。
 三ヶ月以上の長期の旅ではあったが、ナギたちが旅慣れているかと言えば、あまり自信がない。

「多分、私たちが経験した旅は、他の冒険者とは少しばかり違うわよね?」
『たくさん違うと思いますよ、センパイ?』

 仔狼を抱っこして、のんびり市場を歩くナギ。腕の中のアキラは少し呆れているようだった。

『まず、普通の冒険者や商人たちは結界の魔道具や魔道テントを持っていません!』
「結界石と魔道テント、とっても便利なのに」
『便利なのは身を持って知っていますけど! 下級兵士たちが使っていた一人用の魔道テントなら、まだ目立たないかもですが、ずっと使っていた上級魔道テントはヤバい代物ですからね?』

 じろりと黄金色の瞳で軽く睨まれて、ナギは真剣な表情で頷いた。

「分かっているわ。あれはさすがに高位貴族でないと手が出ない価格の魔道具よね? 今回の護衛任務では、一人用テントを使うから大丈夫」
『あと、魔道コンロも普通は持ち歩きません。嵩張るので』
「えっ魔道コンロも使えないの? どうやって料理をすれば……」
『まず、長旅で毎回ちんたら料理に時間を掛けるのがあり得ないみたいですよー』

 冒険者たちの長旅は、なるべく荷物を減らして身軽でいることが鉄則だ。
 調理道具は嵩張るし、重い。通常は真っ先に所持品から外される物だ。調理しないで済むため、食糧は日持ちする堅パンと干し肉、ドライフルーツなどが殆どを占めている。

「そう言えば、ミヤさんが軽金属を使った小鍋ミルクパンが冒険者たちに人気があるって言っていたわね」
『堅パンを食うにはスープが必須ですからね。具材は干し肉とそこらへんに生えている野草を使うそうですよ』
「切ないスープだね……。そのスープに硬いパンを浸して食べるのか。ドライフルーツはビタミン摂取用よね?」
『単に甘い物の代わりかもしれませんけど、まぁ最低限の栄養は摂れますよね。小鍋があれば川の水を沸かして飲めるし、肉は魔獣が狩れた時だけのご馳走ってことで』

 それは辛い。
 お肉は毎日、と言うか毎食食べたい。
 新鮮な野菜も食べたいし、ドライフルーツは嫌いではないが、どうせなら果物は生で楽しみたいと思う。
 スープもそこらへんの草と塩味の干し肉だけでは切ないし、まず堅パンがありえない。エドが焼いてくれるふかふかの柔らかなパンに慣れた身には、堅パンの食事は拷問だ。

「でも、今回の旅ではリリアーヌさんが食材や調理器具を用意してくれたもの。食事はきちんとした物を出してもおかしくはないわよね?」
『……まぁ、今回は大店おおだな、エイダン商会のお嬢様がスポンサーだし、そこまではおかしくないかも?』
「ん、じゃあ料理はいつも通りに作るとして! 他に、『普通の冒険者はしないこと』はないかしら?」

 ふぅ、と仔狼アキラがため息を吐く。

『そうですね。普通の冒険者は、野営時に風呂には入りません。あと、トイレの度にテントは出さないかと』
「あ……」

 快適な暮らしを標榜するナギにとっては、お風呂とトイレ環境は大事だった。
 お風呂はまだ我慢ができる。生活魔法の浄化クリーンで綺麗になるので、旅の間でもどうにか耐えられそうだが。

「トイレは無理……! テントの目隠しは必須だし、快適で清潔な魔道トイレじゃないと安心できない……」

 絶望のあまり涙目になるナギに、仔狼アキラの中のエドが動揺する。
 あまりナギを虐めるな、としつこく訴え掛けられたアキラが、はぁとため息を重ねた。

『ああ、もう! 分かりましたよ、じゃあトイレは解禁で。でもいつものテントじゃなくて、いちばん小さなテントを使ってくださいよ? トイレの時間は休憩時だけと決めて使えば大丈夫、かなぁ……?』

 アキラは自信なげに小首を傾げる。
 解禁させて貰ったナギは笑顔でもふもふの後頭部に顔を埋めた。

「ありがと、アキラ! トイレ用のテントもちゃんと用意するわ。魔道具じゃない、普通のテントを買って帰りましょう」
『……ですね。多分、リリアーヌさんや『紅蓮』のメンバーも使いたがるだろうし、なるべく目立たない、地味なテントを選べば』

 たぶん、目立つだろうなぁ、とは思いながらも、仔狼アキラは諦め気味な表情で相槌を打った。
 ナギは楽しそうに、市場で買い物をしている。買い溜めている物がたくさん【無限収納EX】内にあるが、それとは別にこの旅用に調味料や油、牛乳などを買い足した。
 ナギの特別製な収納スキルが時間停止効果があることを知らないリリアーヌが用意してくれた食料では、物足りなかったのだろう。
 割れやすい卵も長旅では持ち歩かないし、牛乳や乳製品は腹を壊すことを恐れて、普通はリストから外す。

(まぁ、センパイは普通じゃないし。仕方ないかぁ……)

 どうせ、珍しくて美味しい野営料理に腕を振るうだろうし、普通の仮面なんてあっさり外れるに決まっている。
 ならば、最初から「普通じゃないナギ」の味方を作れば良い。簡単だ。冒険者の胃袋を掴めば、大抵が彼女の信奉者になる。

(商人のリリアーヌさんの反応だけが心配だけど、敵には回らないだろう。センパイの人物鑑定に引っ掛からなかったと言うことは、悪意はないだろうし)

 どちらかと言えば、ナギの知識を欲しがるかもしれないが、ならばこそ力強い後ろ盾になってくれることだろう。
 
(どうせなら、俺も美味しいご飯が食べたいしね。旅も楽しみだなー。冒険者としての護衛任務! しかもエドじゃなくて、俺が外に出て活躍出来るなんて)

 特に自身の境遇に不満はないが、いつもエドの中からしか見られない景色や世界を直接体験できるのは、嬉しいに決まっている。
 しかも周囲には色々なタイプの美女、美少女が揃っているのだ。これを喜ばない男はいないだろう。
 ニヤニヤと相好を崩していると、何かを察したナギが冷ややかに見下ろしてきた。

「言っておくけど、いくらその姿だとは言え、彼女たちにセクハラをしようものなら、すぐにエドに戻ってもらうからね?」
『ええっ! そんな、センパイひどいです!』
「エドなら気配を消して離れた場所から護衛も出来るだろうし、何より女の人にデレデレしないもの」

 ぴん、と指先で額を弾かれたアキラは力なく項垂れた。先程まで激しく回転していた尻尾も今は力なく両脚の間に収まっている。
 可愛らしい仔狼姿で無駄に愛嬌を振り撒き、女性陣に甘えないことをアキラはナギに約束させられた。
 頭の片隅でエドが「当然だ」と頷いている。ちょっとした役得よ、さようなら。

「甘えたければ、私がブラッシングもしてあげるし。特製ジャーキーだってあげるんだからね?」

 わしわしと乱暴に頭を撫でられて、仔狼アキラは、おやと目を上げた。
 上目遣いで確認すると、ナギが少し拗ねているようにも見える。
 
(もしかしてセンパイ、妬いていたとか?)

 珍しい、ナギのデレっぷりに、項垂れていた尻尾が復活する。
 伸び上がって、愛らしい少女の頬にぺたりと前脚で触れてみた。ぷにぷにの肉球で優しく押すのがポイントです。
 上目遣いで訴える。

『俺はセンパイの騎士ナイトですからね? 一番大事な相手を間違えたりはしませんよ!』

 ふすん、と鼻を鳴らしながら胸を張ると、くすりと笑みが返された。
 頬に触れる仔狼の前脚に顔を寄せて、ナギが切なそうに笑う。

「分かってる。ごめんね、ちょっとだけ妬いていたのかも。仔狼あなたを抱っこできるのは私だけの特権よって。大人げなかったわね」
『ん?』
「ああ、やっぱりこの毛並み、独り占めしたい……。ポップコーンの匂いのする肉球すてきすぎる……」
『あっあっ肉球はやめてください、センパイ! セクハラですよっ?』

 嫉妬の種類が少々違ったようだが、愛されているのは身を持って知った仔狼アキラだった。

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