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〈ダンジョン都市〉編
155. 異世界転生令嬢は自由に生きる
しおりを挟むデザートはしっとりふわふわな生地が自慢のスフレチーズケーキを出した。
甘さが控えめだったので、綺麗なきつね色に焼けた表面に粉糖をまぶしてある。
アイスレモンティーを添えてテーブルに運ぶと、スイーツが大好物の女性陣から華やかな歓声が上がった。
「良い匂い! いつものケーキとは違って、これは…チーズが入っているのかしら?」
「さすがですね、ラヴィさん。当たりです。これはスフレチーズケーキって言います」
師匠ふたりの好物は把握済みだ。
今までナギが作ったことがなくて、珍しいスイーツをと考えて選んだのがスフレチーズケーキだった。
ベイクドチーズケーキでも良かったかもしれないが、二人には是非ともこのふわふわの食感のスフレチーズケーキを食べて貰いたかったのだ。
切り分けはエドが担当し、きっちり四等分してくれた。前世基準では一人前がかなり大きいが、健啖家の多いこの異世界では問題なく皆の腹に収まるのだから凄いと思う。
特に冒険者は燃費が悪いので、仕方ない。
フォークで一口サイズに割り、そおっと口に運ぶ。たっぷりのメレンゲで柔らかな生地に仕上げたので、満足の出来栄えだ。
蜂蜜の優しい味わいと少し酸味のあるチーズのおかげで、口当たりも良い。
「相変わらず、ナギのお菓子は美味しいわ」
「ええ。まさか、チーズが甘い焼き菓子に使えるなんて知らなかった」
言葉で褒めてくれる二人の傍らで、エドは無言でスフレチーズケーキを食べている。どうやら、みんな気に入ってくれたようだ。
しばし、おすすめのチーズの食べ方などを楽しく語らっていたけれど、全員のグラスが空になったところで、会話が尽きてしまった。
口火を切ったのは、ミーシャさんだ。
「あらためて、素敵な家に招待してくれてありがとう。特に書棚のコレクションはすばらしいと思うわ」
「そうね。私に本の価値は分からないけれど、この屋敷を中心に強力な魔道具が使われているのには驚かされたわね」
この二人を適当に誤魔化せるはずはないので、最初から決めていた。
エドと視線を合わせて、こくりと頷く。
「ーーこんな家に、私たちが住んでいることを不思議に思うのは当然ですよね」
覚悟はしていたけれど、やはり緊張はしてしまう。きゅ、とテーブルの下でスカートを握り締めていた手がぬくもりに包まれた。
「大丈夫だ、ナギ。師匠たちは信頼できる」
「……うん」
エドの手を握り返して、そっと顔を上げる。これまでずっとナギを助けてくれた、鑑定スキルも彼女たちは敵ではないと綺麗な青い光で示してくれていた。
「ずっと黙っていましたが、私はそれなりの上流家庭の生まれで、その生家から逃げてきたんです」
「……それで下手な変装をしていたのね」
「下手な変装って……」
ちょっとショックだ。自分ではそれなりに様になっていた男装姿だと思っていたので。
だが、エドはそっぽを向いて視線を合わせてくれないし、ミーシャさんも真顔で頷いている。
「え…? そんなに変でした……?」
「変というか、お上品過ぎたわよね。冒険者なんて荒くれ者が多いから、どうしても浮いちゃうもの」
「良くて、貴族階級のお坊ちゃんが平民に変装して冒険者ごっこを楽しんでいるとしか見えなかった」
「ううう…」
「まぁ、だから、ナギが良いところのお嬢さんってことは、何となく分かっていたから。そんなに畏まらなくても良いんじゃない?」
抱えていた頭から手を離し、顔を上げる。
宝石みたいに綺麗な紅い瞳と翡翠色の瞳が柔らかな笑みをたたえて、ナギを見詰めてくれていた。
なんでもないことのように軽く笑い飛ばしてくれて、ふっと肩から力が抜けていくのが分かった。
「何らかの訳ありなのは、分かるものよ。でも、冒険者なんて稼業の連中、訳ありは掃いて捨てるほどいるし、別に気にならないわよ? お尋ね者の犯罪者じゃないかぎりは」
肩を竦めながら、ふすんと笑うラヴィさん。ミーシャさんはガラス製のピッチャーからアイスレモンティーを追加して、涼しげな表情で飲んでいる。
「犯罪者ではないです。お尋ね者、かどうかは分かりませんけど」
「今のところ、ナギはお尋ね者ではないぞ?」
「え……?」
きょとんとエドを見上げる。
物足りなかったのか、収納ポーチから取り出したオーク肉のジャーキーを皿に盛りだすエド。師匠ふたりの目の色が変わった。
いったん片付けたはずのワイングラスとお酒をキッチンから取ってくると、さっそくジャーキーをつまみにグラスを傾け出した。
「ちょっと待って。エド、どういうこと? お尋ね者じゃないって、どうして分かるの?」
「ああ、たまに砦の兵士のところに顔を出して、お尋ね者の似顔絵を見せて貰っているからな」
「…………」
いつの間にそんなことをしていたのか。
平気なふりをしていても、どこかで不安を抱えていたナギに気付いていて、黙って一人で確認してくれていたのだろう。
「似顔絵なんて、よく兵士たちが見せてくれたわね?」
「ラヴィ師匠。俺たちはまだ成人前のルーキーだ。凶悪犯とかち合ったら、真っ先に逃げないと危険だろう? ナギが怖がるから、顔を知っておきたいと頼み込んだら、あっさりと見せてくれたぞ」
ふっ、と口角を上げてエドが云う。
ラヴィさんはくつくつ笑うし、ミーシャさんは小さく拍手している。
「いやいや、そんな簡単に? 教えてくれるものなの? いいのっ?」
「上級冒険者には手配書は普通に開示されるし、別に問題はないわよ。エド、あんた普段は無口なのに、結構口が回るのね。見直したわ」
「そう、なかなか良い手。嘘は一つもついていないし」
そう、嘘はついていない。
ナギが怖がっているのは本当だ。…見知らぬ凶悪犯の存在にではなく、自分に追手が掛かることに、だが。
「今のところ、それらしい手配書は皆無だから、安心するといい」
「……そうだね。安心したよ、ありがとうね、エド」
誇らしげに黒い尻尾が揺れている。
どっと力が抜けた。けれど、これでさらに話しやすくはなったかもしれない。
「えーと、何から話したら良いのか……」
「なら、私たちから質問するのは?」
「あ、いいですね、それ」
「話したいことだけ、話せばいいから」
ミーシャさんがそっと口を挟んでくれる。皆に気遣われているのが分かり、じんわりと胸が温かくなった。
「じゃあ、私から! この素敵な豪邸はどうしたの? こんな良い物件が出ていたのがすごく不思議なんだけど」
「と云うより、この地域にこんな豪邸は建っていなかったと思う」
「え、なら貴方たちが建てたの? 一ヶ月足らずで?」
「あー…。えっと、実はこの屋敷はもともとが実の母の持ち物で。私が受け継いでいたんです……」
「ああ、お嬢さまだったわね、なるほど。……なるほど?」
こてん、とラヴィさんが首を傾げている。
そう、今の回答では疑問が残るに決まっている。
ミーシャさんが眉間に皺を寄せて、小さく唸った。
綺麗な人はどんな表情をしていても見応えがあるな、とぼんやり眺めていたら、咎めるような視線が向けられた。
「そんな、まさか……。いやでも、あの魔力量なら……?」
「ミーシャ? どうしたのよ」
「……ナギ。まさかとは思うけれど、貴方、この屋敷を丸々収納していたの?」
「ちょ、何を言ってるのよ。そんなわけ、」
「さすが、ミーシャさん。分かっちゃいました?」
えへへ、と照れながら答えるナギを、ラヴィさんが呆然と見下ろす。
飄々とした態度をいつも崩さない彼女にしては珍しい表情だ。
「やっぱり……。貴方の魔力量はハイエルフ並み。アイテムボックスのスキルは魔力量に応じて収納量も増えるから、貴方ならこの屋敷くらいは持ち歩けると思った」
「収納量にはちょっとだけ自信があります!」
「ちょっとだけ……?」
「逃げている理由は、聞いてもいいの?」
「あー、そうですね。じゃあ、ざっと私の境遇を説明します」
アイスティーで咽喉を湿らせて、ナギはかつての『アリア』の話をした。
裕福な家庭に生まれた少女が母の死後に、父と義理の家族にされた行為を淡々と。
死に掛けた、その時にたまたまスキルに目覚めて、どうにか生き延びたことを。
「……それで、元々は自分が継ぐはずだった物をこっそり収納して、出奔して来たんです。自分では当然の権利だと思いたいんですけど、怒った元家族から追手が掛かる可能性もあるし……」
「なるほど、それで変装していたのね」
「ナギは悪くない。俺も当然の権利だと思う」
ワイルドにジャーキーを噛みちぎりながら、エドが慰めてくれる。
師匠ふたりはナギの境遇にいたく同情してくれたらしく、憤ってくれはしたが、難しい表情だ。
「境遇は分かったわ。私もそんなクソ共に怒る権利はないと思うけれど、貴族連中はプライドだけは高いからねー…」
「そう、それが問題。そういうことなら、しばらくは男装姿のまま冒険者をして強くなりなさい」
「ミーシャさん……?」
「冒険者は国に縛られず、自由に生きることが出来る。成人まであと五年。大人になれば、一人前として認められ、家族との縁を自分の意志で切れる」
「ああ、なるほど。仮に追手に見つかっても、もう無関係の他人。煩わしい家に縛られることはなくなるのか」
そんな法律があるのは知らなかった。
あの家ときっぱり手を切れるのはありがたいが、無関係の他人なら、財産泥棒として訴えられる可能性があるのでは、と不安になる。
落ち込むナギに気付いたラヴィさんが、からりと笑う。
「バカね! 誰も十才の女の子が家財道具を根こそぎ奪ったなんて、思いもしないわよ」
「え……でも、収納スキル持ちだし」
「ベテランのポーター、収納スキル持ちでも箱馬車二台分の容量がせいぜいよ。魔獣一匹倒したことのない、か弱いお嬢さまにそんな容量があるなんて誰も疑わないわ」
「ラヴィの言う通り。ましてや、屋敷一軒そのまま収納出来るなんて、魔法に詳しい者こそ本気にしない」
やはりチートだったらしい、【無限収納EX】スキル。
「だから、成人するまで捕まらないよう、力をつけて逃げ切りなさい。追手が面倒なら、いっそダンジョンの下層でしばらく隠れ住むのも手ね」
「ナギなら半年でも一年でも過ごせる物資を持ち込めるし、良策。軟弱な追手なら、勝手にくたばってくれる」
「おお……!」
エドがその手があったか、と嬉しそうに顔を綻ばせている。
魔道具とスキルと有り余る魔力を駆使して、なにより最高の相棒たちがいれば、たしかに余裕で過ごせるな、とナギも思った。
「まあ、それは最終手段として。それまでは、何だったかしら? 貴方たちのモットー」
「……美味しいご飯を食べて、快適に、楽しく生き抜く?」
「そう、それ! きっと亡くなったお母さんもそれを一番望んでくれているはずよ」
「この自由な国まで、無事に逃げて来られただけでもすばらしいわ。……頑張ったわね」
ミーシャさんが歩み寄り、そっと抱きしめてくれる。ちょっぴりお酒くさいが、柔らかくて温かい。
エドの頭もラヴィさんに「よくナギを守ったね!」と、ガシガシと乱暴に撫でられている。不本意そうな表情をしているが、尻尾は垂れていないので、嫌ではないのだろう。
「……うん。そうですね、二人に話せてスッキリしました。頑張って強くなります。それと、美味しいご飯を食べて楽しく快適に過ごすことも忘れずに」
あらためて、ここで幸せに生きていこうと思った。誰よりも信頼できるエドと、彼の中で見守ってくれているアキラと、強くて優しい二人の師匠たちと共に。
そうして、宣言した生き方を貫きながら冒険者として活躍して。
三年ほど、経ったーーーーー
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