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〈ダンジョン都市〉編

154. スイート・マイホーム 3

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 テーブルに案内された二人の客人は、ご馳走を前に歓声を上げた。

「なにコレ⁉︎  お肉が花になってる!」
「落ち着きなさい、ラヴィ。お肉はお肉よ」
「でも、これはバラの花よね? 赤身のお肉の花びら、とっても素敵……」
「それは同意する。本物の花よりも不思議と胸が高鳴る」

 花盛りにした馬刺しは、初めて目にする女性陣には好評だったようだ。
 冒険者が通う飲食店は、量が多くて安い、旨ければ尚良しというポリシーの店ばかりなので、こんな風に目で楽しむ料理は珍しいのかもしれない。

(ダンジョン都市でも貴族御用達の高級店なら、見栄えの良いコース料理があるのかしら?)

 あいにく十才で実家を見限り、出奔したナギは社交界を知らないが。
 辺境伯邸での宴も、庭園で開かれた騎士や兵士たち向けの庶民的なご馳走しか目にしていなかった。
 招待した周辺貴族向けの食事は、料理長が数日前から仕込んでいた煮込み料理と稀少な魔獣肉を使ったメイン料理だったはず。
 さすがにそれには手を出せないので、きちんと観察していなかった。

(少しくらい味見しておけば良かったかな? でも、グランド王国ではシオの実の調味料も使っていなかったし、それほど期待が持てそうにはないわね)

 辺境の地ではなく、王都まで足を伸ばせば、それなりに美食が溢れているのかもしれないが、行くつもりはない。

「で、このお肉の花はどうやって食べるの? ミーシャに焼いてもらう?」

 こてん、と小首を傾げるラヴィさん。
 そうなのか、という表情でさっそく火魔法を発動しようとするのは止めてください、ミーシャさん。

「違いますよ。この馬肉ーーバトルホース肉はこのまま、お刺身として食べるんです」

 にこりと微笑んで告げると、あまり動じることのない二人が笑顔のまま固まってしまった。

「おさしみ……と云うと、以前お魚で調理してくれた、あれ…」
「生食……? 肉を……?」
「あ、やっぱり躊躇しますよね。いきなり馬刺しはキツかったかー」
「ナギ、記憶のある俺でも、いきなりは厳しいと思うぞ?」
「あ、じゃあユッケからなら、どうかしら?」

 冷蔵庫で冷やしていたユッケの皿をテーブルに運んでくる。
 バトルホース肉を細切れにして、特製のタレと絡めた馬肉ユッケだ。彩りを良くするため、キュウリの千切りを敷き、生卵の黄身を肉の中央にそっと載せてある。
 タレは醤油と蜂蜜、すりおろしたニンニクと生姜、白胡麻を混ぜて作った。
 胡麻油がなかったので、オリーブオイルで代用したけれど、たっぷりの白胡麻のおかげで良い香りがする。

「これがユッケ……」

 エドの喉がゴクリと鳴る。視線はユッケに釘付けだ。いかにも切って並べただけの馬刺しよりは手を出しやすいかと披露したのだけれど、この様子だと成功か。

「同じ、バトルホースの生肉を調理した一品です。この生卵の黄身を潰して、お肉と混ぜてから食べます」

 本当はお箸で食べたいが、ここはスプーンで。馬肉とタレ、黄身をよく掻き混ぜたユッケをスプーンですくい、ぱくりと口に放り込んだ。

「んんー…っ……!」

 言葉もない。
 バトルホースはダンジョンでも下層に棲むB級魔獣だったか。強い魔獣は、旨い。知っていたけれど、まさかこれほどに美味しいお肉だとは思わなかった。
 前世での黒毛和牛並みのブラックブル肉と同等ーー否、もしかして、それ以上のランクの肉だ。

 臭みは全くなく、むしろ果実の甘みを彷彿とさせる後味がずっと舌の上に残っている。
 ねっとりとした生肉は噛み締めるほどに甘い脂が溢れて舌に絡み、蕩けていく。
 飲み込むのが惜しいけれど、気が付いたら口の中で消えているのだ。
 うっとりと瞳を細めながらも、ユッケを口に運ぶナギの動きは止まらない。

 ごくり、と今度は師匠ふたりから息を呑む気配がしたが、そちらを伺う余裕もない。
 きっと味の感想が聞きたいのだろうけれど、語る言葉が思い浮かばなかった。
 そんなことよりも、とにかく、この絶品のユッケを余すことなく味わうのが大事だとばかりに、無心でスプーンを動かした。

「俺も食う。師匠たちは口に合わなそうだし、良ければ俺が」
「食べるッ! 食べるわよ、私!」
「私もいただきましょう。楽しみです」

 生肉への忌避感は何処へやら。
 前世の記憶のあるエドはナギの食いっぷりと美味そうな匂いを前に、あっさりと白旗を掲げて、ユッケをスプーンで掻き込んだ。
 
「む……!」

 こちらも一言、低く唸ったきりで、あとは無言で咀嚼している。
 琥珀色の瞳が爛々と輝いており、邪魔をしようものなら、ひと噛みで黙らせられそうだった。

「なにこれ、なにこれ…! 生肉って、こんなに美味しかったのぉ……?」
「これは禁断の味。エルフの里で広めるべきか迷う……」

 弟子二人の様子を目にして、我慢ならなくなったラヴィさんとミーシャさんもユッケを口にして、感動で震えている。
 
「バトルホース、煮ても焼いても喰えない肉だと思っていたのに。まさか、生だとこんなに美味だったなんて……」

 お皿を舐めそうな勢いで完食したラヴィさんが、ほうっとため息を吐いている。
 ほんのり上気した頬がとても色っぽい。
 同じく綺麗に完食したミーシャさんはおかわりがないのか、素早くテーブルに視線をさ迷わせていた。

「すみません。ユッケは一人前ずつしか作っていないんです。生肉が平気になったなら、馬刺しはどうですか? こちらも美味しいですよ」
「いただくわ」
「私も」

 先程の逡巡は何だったのか。
 素早く手を伸ばし、がっと肉を取り皿に盛る女子たち。あのエドが引いている。

「えっと、このソースで食べてみてください」
「ふふ。お魚のお刺身と一緒ねー?」
「これはワサビじゃないのね」

 薬味は幾つか用意してあった。
 すりおろした生姜とお醤油で食べるのも良し、ニンニク醤油もパンチが効いている。
 オニオンスライス、ネギ、大葉も馬肉と一緒に彩り良く並べているので、馬刺しで包んで食べても美味しい。

「ミーシャさん、ワサビで食べるのも美味しいですよ。お好みでどうぞ」

 お肉とワサビの相性はとても良い。
 客人にすすめつつ、ナギもフォークを繰り出した。遠慮していると、このメンツだと食いっぱぐれる恐れがあるのだ。
 エドも真剣な表情で馬刺しを皿に取り、口に運んでいる。

「美味しい……」
「先程のユッケも絶品だったけれど、お肉の刺身も美味しいわ」
「ふふ。お口に合ったようで嬉しいです」
「……ナギ、生肉はこれほどに旨いものなのか。ボアやオークも生肉で食べれば、」
「残念ながら、生肉で食べられる魔獣は限られているの。ボアやオークの生肉は特に危険だから、絶対に食べちゃダメ」
「そうか……」

 肩を落としながらも、エドは黙々と馬刺しを堪能している。
 大皿いっぱいに並べていたのに、もう残り少ない。
 最初にユッケを食べたおかげで、生肉のハードルが一気に下がって、皆気に入ってくれたようなのは良かった。
 タン料理もだけれど、この世界では食わず嫌いが多いのかもしれない。


「さて、先にラヴィさんのお土産を頂いちゃいましたが、他にも肉料理を用意したので、たくさん食べてくださいね?」

 空になった皿を収納し、代わりに熱々のオークカツを取り出した。
 煮込みハンバーグにタンシチューも並べて、ご自由にどうぞと無礼講の合図を送る。
 グラスを合わせて乾杯すると、本格的に宴の開始だ。
 一口サイズのオープンサンドを摘みながら、肉料理をたっぷりと頬張っていく。

「オークカツも美味しい! 居酒屋でいつも食べているハイオークのステーキより美味しいってどういうこと?」
「このシチューも絶品。オークの舌肉なんて、固くて捨てていたはずの肉が、口の中でほどけていく……」
「生牡蠣、生雲丹も新鮮で美味しいですよ」
「待って! このサーモン、普通のサーモンと全然違うわ。どういうこと?」
「ラヴィ、この生ハムも普段私たちが食べている物と全く違う。食べるべき」
「エドが頑張って作ってくれた燻製小屋の成果ですねー、ふふふ」
「ナギが1ヶ月かけて加工した肉だ。旨いのは当然だ」

 真顔で「言い値で買おう」と迫られてしまったが、笑顔で誤魔化しておいた。
 大量に仕込んではいるけれど、加工に1ヶ月近くかかるほどに手間なのだ。
 手伝ってくれるなら、いくらか譲りますよと軽口を叩くと、目の色が変わっていたが、まあ、冗談でしょう。

 冷えたワインとジュースで、美味しいご飯をたっぷりと堪能する。
 ラヴィさんは話し上手で、ミーシャさんは聞き上手。
 普段は無口なエドも雰囲気に酔ったのか、いつもより饒舌だった。

 メインの肉料理はもちろん、オープンサンドからデザートまで大好評のうちに、新居での宴は幕を閉じた。
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