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〈ダンジョン都市〉編
138. お引越しです 3
しおりを挟む「家、と云うより屋敷だな…これは……」
「えー? 家だよ。本邸はさらに立派だったし、小さめの別荘扱いだったから」
「……ナギは本当にお嬢さまだったんだな」
「しみじみと、なに?」
「何でもない」
そっと視線を逸らされてしまった。失礼な。
自分でもあまり令嬢っぽさはないので、それほど気にはしていないけれど。
あらためて母から受け継いだ別荘はたしかに立派な建物だと思う。
あまりダリア共和国では見掛けない様式なので少し目立つかもしれないが、結界と目眩しの魔道具を駆使してごまかすつもりだった。
「二人で住むには、少しばかり広いかもしれないけれど、中は快適だよ?」
「少しばかり……?」
何とも言えない表情を浮かべたエドの手を引いて、別荘へ入った。
久しぶりの「家」が嬉しくて、自然と口許が綻んだ。
エドは物珍しそうに周囲をきょろきょろと見回している。少し緊張しているようだ。
「案内するね。一階はキッチン、リビング、ダイニングルームと図書室」
順番に手を引いて説明していく。
図書室にはまだ余裕があるので本邸の本も並べたい。
コテージと違い、家具や道具類はきちんと揃っているので、すぐに暮らせるのがありがたかった。
螺旋階段を登った先、二階は奥に主寝室ーー母の部屋がある。
その手前が子供部屋、ここをナギが使う予定だ。書斎を挟み、客間が二部屋。
客間もそれなりの広さがあり、調度品も揃っているので、そこをエドの部屋にした。
「三階…と云うか、ほとんど屋根裏にあたるんだけど。ここは物置と使用人の控え部屋に使っていたみたい」
「意外と広いな。二十畳はありそうだ」
「広いよね。今のところ使う予定はないけど」
エドの口から日本独特の言い回しが聞けると、何となくくすぐったい気持ちになる。
きっと、アキラが教えてあげているのだろう。
分かりやすいので、とても助かっている。
「ナギ……。こんな立派な部屋、ありがたいんだが、落ち着かない」
「慣れてくれるとありがたいです」
「…………ナギ」
「いちおう、割れ物の花瓶とかガラスや陶器製の置き物に小物類は撤去しているけど」
慣れて貰わなければ、快適に暮らせない。
主寝室ほど高価な物は置いていないから、とどうにか説得して、エドは渋々と頷いた。
「カーテンや絨毯類は後で付け替えたら良いよ。使用人部屋用のシンプルなデザインの物があるから」
「助かる。無地の地味な物が良い」
客間のカーテンは金糸銀糸で豪奢な刺繍が施された物なので、落ち着かないのだろう。
北の王国風なので、南国には合わない分厚く重いカーテンは全て取り替えるつもりだ。
薄い布地で、明るい色合いのカーテンがいいなと思う。
「あ、そうだ…。南の街でミーシャさん達に教えて貰った、藍染めの布地。あれでカーテンを作って貰いたいな」
「土産で貰った、青い色の布か。夏らしくて良いと思う」
「今度、注文に行きたいな。仕立てるのに少し時間がかかるだろうから、それまではシンプルなカーテンに付け替えておきましょう」
物置き場と化した屋根裏部屋にリネン類の予備を仕舞っていたはず。
そう云うと、エドが身軽く取りに行ってくれた。
住みやすいように模様替えをするのは存外楽しい。
北国から南国へ「お引越し」をしたので、寝具や絨毯も見直しが必要だ。
毛足の長い絨毯や毛皮の敷物は撤去して、宿でも大活躍だった、ひんやりタイルを敷き詰めたい。
リビングやダイニングは絨毯なしのフローリングで充分だろうけれど、寝室とキッチンには必須だ。
寝苦しい夜は体力も気力も根こそぎ奪っていく。
火を扱うキッチンも地獄の暑さに苛まれるので少しでも涼を感じられる道具は積極的に取り入れていくつもりだ。
「エアコンに似た魔道具を早めに探さなきゃね。最終的にはエドの氷魔法に頼ることになりそうだけど……」
窓を開けて風を通したいが、日中ならともかく、さすがに夜には試せない。
魔道具バカの辺境伯邸宝物庫にも、暖を取るための魔道具はあったけれど、冷やしてくれる魔道具は見当たらなかった。
(北国には必要なかったし、仕方ないんだろうけど残念……)
エドが物置き場からカーテンを発掘してくるまで、ナギは粛々と絨毯を全部屋分、収納していった。
早朝からよく働いたため、二人とも空腹だった。
昼になるのを待ち兼ねて食事を摂ることにした。手っ取り早く腹を満たしたくて、本日のメニューはボア肉のステーキ丼にした。
ガーリックオイルで焼いて、塩胡椒。
特製のステーキソースをたっぷり滴らせたステーキ丼を無言で掻き込んだ。
ほんのり赤身を残したミディアムレアの焼き加減も完璧なボア肉ステーキは、飲み込むのがもったいないほど美味しい。
もっと堪能しながら噛み締めたいのに、気が付いたら口の中の肉は消えている不思議さよ。
最後の一粒までお米を拾い上げて、ナギは満ち足りた溜め息を吐いた。
「ふぁー…。美味しかったぁ…」
「ん、旨いな。追加を焼いても良いか」
「どうぞ。ソースはそこのバスケットの中ね。ガーリックのスライスも追加する?」
「頼む」
二人前はあったステーキ肉をぺろりと平らげたエドには、まだ足りなかったらしい。
追加の生肉を手渡し、焼くのはセルフでお願いした。
ナギは流石に山盛りの丼いっぱいで、お腹も満ち足りたので、今はデザートを堪能している。
焼き立てのアップルパイにバニラアイスを添えて、凍らせたラズベリーとブルーベリーを散らした特製のデザートだ。
万能な収納スキルのおかげで、焼き立てと冷たいお菓子と両方を同時に味わえるのは、最高の贅沢だと思う。
昼食後はのんびりとお茶を飲んでから、お仕事だ。
家中の分厚いカーテンを外し、薄手のカーテンを取り付けていく。
エドは無地の淡いグレーのカーテンを選んだ。ナギが選んだのは、クリーム色のレースのカーテン。
風に揺れて優雅な軌跡を描く様が気に入って、自室に使うことにした。
リビングには白地の布に青い薔薇が刺繍されたカーテンを選んだ。
青い布で縫われた造花のタッセルと合わせると、とても可愛らしい。
「図書室のカーテンはそのままの方が良いかも。陽に焼けたら、本が劣化するかもしれないし……」
「なるほど。だから、この部屋は北側で、カーテンも濃い色柄なのか」
「本は高価だからね。たまに虫干しもした方が良いのかな…?」
風通しの良い日陰に干すと良いのだったか。
羊皮紙製の書籍が中心なので、お手入れ方法が分からない。
これは長命で物知りなエルフのミーシャさんに聞いてみようと思った。
客室は無難にペールグリーンのカーテンに換えた。
ここは今のところ使う予定がないので、寝具やベッドカバーはそのままにしておく。
とりあえず掛け布団は回収し、さらりとした麻のシーツでベッドメイクした。
枕を並べ、コットンブランケットーー日本風に云うところのタオルケットをふわりと被せてみる。うん、手触りは最高だ。
目の前に深い森があるためか、まだそれほど暑くないことが救いだった。
夜になるともう少し涼しくなるだろうか。
「……まぁ、あんまり暑かったら仔狼を抱っこして寝ればいいか」
氷魔法を得意とするふかふかの狼さんは、ひんやりとした毛並みの持ち主で、最高の抱き枕なのだった。
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