異世界転生令嬢、出奔する

猫野美羽

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〈ダンジョン都市〉編

108. 南のダンジョンへ行こう

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「そろそろ東のダンジョン以外にも挑戦した方が良くないか」

 たっぷりの夕食を終えて、食後のオレンジゼリーを楽しく堪能している時に、ふとエドがそんなことを言い出した。

 以前に南の海鮮市場で手に入れた牡蠣を使った料理をお腹いっぱいに詰め込んで幸せな気分に浸っていたところなので、ナギはその提案に驚いた。

「東以外のダンジョン…?」
「ああ。東西南北すべてのダンジョンに潜って周辺環境も調べて、土地を探す予定だっただろう? 東地区はそれなりに把握したから、そろそろ他も確認した方が良くないか」
「そ、だね…? たしかに、ずっと東地区に滞在してるし…」

 スプーンを置き、ナギは小さく唸った。
 ここで過ごす日々が楽し過ぎて、土地探しのことをすっかり忘れていた。
 たしかに、当初の予定ではエドの指摘通りにしっかりと下見をするはずだった。

「ギルドの職員さんは親切だし、宿の皆とも仲良くなったし、師匠ふたりもいて楽しいから、無意識に目を逸らしていたのかも…」
「俺も同じだ。ずっとここで暮らすのも悪くないと考えそうになるくらい、ここは良い場所だ」

 だが、ここは女性冒険者や見習い、ルーキー冒険者たちを優先的に預かる宿なのだ。
 いつまでも甘えてはいられない。

「そうだったね…。ちゃんと探さなきゃ。しばらく東のダンジョンから離れて、他のダンジョンに潜ろうか」
「それが良いと思う。しばらくはその街に滞在してダンジョンとの相性を確認するのはどうだ?」
「うん、いいと思う」

 冒険者とダンジョンには相性があると教えてくれたのは二人の師匠だ。
 それぞれの持つスキルや魔法、扱う武器などによって、相性の悪い魔物がいる。
 特にダンジョン都市の四つの迷宮は発生する魔物の属性が概ね固定されており、分かりやすい。

 たとえば東のダンジョンは森林や草原地帯の階層が多く、現れるのも魔獣が殆どだ。
 エドとナギなどは大喜びで、お肉ダンジョンなどと呼んでいる、素晴らしい迷宮なのだ。

 南のダンジョンは通称、海ダンジョン。
 詳細は不明だが、海の恵みを中心としたドロップアイテムが多く出るらしい。
 おそらくは水属性の魔獣や魔物が溢れているのだろう。

 実際に戦ってみないと、自分たちと相性が良い狩り場かどうかの判断は付かないので、全てのダンジョンに潜って確認するのが正しい選択だろう。

「レベルも順調に上がってきているし、師匠の教えで効率的な戦い方も分かった。挑戦するのに不足はない、と思う」

 淡々と話すエドに、ナギは感心する。
 いつも無口な少年だが、ちゃんと大事なことは考えてくれているのだと嬉しくなった。

「すごいね、エド。ちゃんと考えてくれていたんだ。私なんて今が楽しいから、このままでいいやって、どこか楽観的に考えていたかも」

 ありがとね、と手を伸ばして頭を撫でてあげると、途端に琥珀色の瞳が狼狽うろたえた。
 うろうろと視線が泳ぎ、落ち着きなく尻尾が揺れている。

「エド…?」

 不思議に思い、首を傾げながら名を呼ぶと、小さく肩が揺れた。
 先程までは誇らしげにピンと立っていた三角の獣耳がしおしおと項垂うなだれる。

「…すまない。下心があった。ここも楽しいが、南のダンジョンにも潜ってみたかった…」
「えぇ?」

 意外な発言に、目を瞬かせた。
 あまり大きな我儘を口にしないエドなので、珍しいことだと思う。

「南のダンジョンに行きたかったなら、そう言ってくれれば良かったのに」
「……だが、俺だけ仲間はずれなのが寂しかったとか、言いにくくて」
「は…? え? エド、さみしかったの…?」

 それは、あれか。先日の女子会の話か。
 唐突な告白に、ナギも狼狽うろたえた。

「あ、あ、そっか。そうだよね? 一人だけ置いていかれたら、悲しいよね。ごめんね、エド」
「仕方ない。俺は女子じゃないから。…でも、ナギの話を聞いていたら、海が気になって…」
「ああー…。そうよね気になるよねぇ…」

 日本人的目線からしたら、エドの外見年齢は高校生くらいに見えるが、実年齢は十才なのだ。
 大人びた口調と落ち着いた性格にうっかり忘れそうになるが、彼はまだ成人前の子供だった。

「あと、先刻さっき食べた牡蠣料理が美味かったから、海ダンジョンに潜れば、たくさん手に入るかと」
「それがトドメかー…」

 食後のデザートタイムに急に爆弾発言したと思ったが、トリガーがあったのだ。
 たしかに、本日の夕食にした牡蠣料理は美味しかった。

 海鮮市場で仕入れたのは、大きく育った新鮮な生牡蠣だ。
 しっかりと鑑定したので、ノロの恐れはない。念のため、しっかりと浄化して調理したし、いざとなれば治癒魔法がある。

 殻はエドに開けてもらい、ナギは調理に専念した。
 メニューは、生牡蠣、蒸し牡蠣、網焼き、牡蠣フライ、牡蠣の炊き込みご飯だ。
 今生の二人とも牡蠣を食べるのは初めてだったので、味や香りが分かりやすいメニューにした。

 生牡蠣はレモンや黒胡椒だけで味わう。
 ぷりぷりに引き締まった身をつるりと吸い込んで噛み締めると、口の中いっぱいに海の香りが広がった。
 美味しい。生臭さを全く感じない。新鮮な生牡蠣には海の旨味が凝縮されていた。

 ナギの真似をして、エドもおそるおそる牡蠣を口にした。
 初めての食感に驚いていたが、口には合ったらしく、すぐに二個目に手が伸びる。
 食い尽くされてはたまらない、とナギも慌てて次の牡蠣を取った。
 今度はすりおろしたガーリックとオリーブオイルを垂らして味わう。

 大根おろしに醤油、ポン酢、バター醤油。
 薬味や調味料を色々試しながら、存分に生牡蠣を堪能した後は、蒸し牡蠣に網焼きしたものを食べて、炊き込みご飯を頬張った。
 もちろん、さくさくの揚げたて牡蠣フライもしっかりと味わって。

 エドは特に牡蠣フライと炊き込みご飯が気に入ったらしく、物凄い勢いで頬張っていた。
 牡蠣フライにタルタルソースをたっぷりとのせて、ざくりと噛み締める。
 火傷しそうになりながらも、冷ます時間も惜しいと次々と口に放り込んでいた。
 よほど牡蠣が気に入ったのだと感心したものだが、まさかダンジョンで採取したいほどだったとは。

「…うん、でもあの牡蠣は本当に美味しかったからねー。気持ちは分かる。私もまた食べたいもの」

 それに、ミーシャさんやラヴィさんに教えてもらったお店や穴場の砂浜にもエドを連れて行ってあげたかったので。
 ナギは笑顔で頷いた。

「じゃあ、さっそく。明日から潜ろうか、南のダンジョン」
「…いいのか」
「もちろん。あ、でも期間は十日。その後はまた、ここに戻って休もうね」


 一度決めれば、二人ともフットワークは軽い。
 しばらく宿から離れることをミーシャさんに説明し、ダンジョンチャレンジに必要な準備に奔走した。
 
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