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第一章『変身』

迷える種と新緑の指輪

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それから、二日後。
昼休みの教室で文哉がいつものように絵を描いていると、

「中野って絵描くの上手いよなぁ。美術部入ってみない? 今、部員足りなくてさ。困ってんだよねー」

いきなり同じクラスの美術部男子から勧誘を受けたのだ。
文哉は顔を上げると、一瞬、考えるような表情をしてみせるが、すぐに答えを出してしまう。

「うーん、部活はやらないかなぁ。自分のペースで描いてる方が楽しいし。……だから、ごめんね」

あっさりとした調子で誘いを断った文哉に対して、親友である明慶は驚きを隠せない。

「え、文哉くん、美術部断っちゃうの!? なんで?」

親友から訊かれ、文哉はその理由を語った。

「部活で絵を描くのは面白そうなんだけど……なんていうか……「描かなきゃ!」って気持ちで描きたくはないんだよね」

文哉が説明すると、明慶は彼が言わんとしていることを要約してみせた。

「えーっと、つまりそれって……義務感? というか、やらされてる感じが嫌ってこと?」

「あ、うん。なんかそんな感じ」

部活に入るということは、コンクールやら文化祭やらに向けて指定された期間内に指定されたテーマの作品を作らなければならなくなるということだ。
目標ができるのは良いことだと文哉は思う。何かに向けて作る行為は創作意欲が湧くし、刺激になる。しかし、作品を作る為に時間に追われることとなって、自分に余裕がなくなってしまったら本末転倒だとも思う。
指定されたテーマが自分の描きたいことならば良いのだが、そうでなければそもそも描く気が起こらないだろうとも思う。
何かに囚われて描くということ自体、文哉にとっては窮屈に感じることだった。
創作は自由に、自分らしく、自分のペースで取り組みたい。それが、文哉の独自のポリシーだ。
文哉が再びスケッチブックにペンを走らせると、近くから別のクラスメイトたちの会話が聞こえてきた。

「三稜さんってお花屋さんなんだよね? 華道に興味ない?」

実家が花屋を営む少女・三稜 ことはが華道部女子から声をかけられていた。
突然の話題に、当のことはは戸惑ってしまう。

「えっ、華道?」

「うん。華道ってね、礼儀作法を学ぶことができてすっごく勉強になるのよ! それに何より綺麗な花をいけるのって、と~っても楽しいの! だから、三稜さんも一緒にやってみない?」

「え、えっ……と……」

「見学だけでもいいからさ! どうかな?」

「あの……私は、その……」

どう返事をすればいいか分からない様子で、そのまま黙り込んでしまうことは。
そんな彼女のことなどお構い無しに、文哉が横から声を上げる。

「華道って面白そう!! オレも見学していい?」

「……って、どーしてそこで中野が食いつくのよ。まー、別にいいけどさ。三稜さんはどうする? 無理にとは言わないけど、一度、見に来てほしいなー!!」

ことはが未だ答えを出せずにいると、となりにいた彼女の親友・筧 花彩が口を挟んだ。

「華道部、やってみたらいいじゃん! ことはならどんな花でも綺麗にできちゃうと思うし!」

花彩は、どんなときでもことはの背中を押してくれる大切な友人だ。

「私は……」

しかし、それでも、ことはは答えを出すことを躊躇い、黙り込んでしまうのだった。
クラスメイトの華道部女子は言う。

「なんか圧かけてるみたいになっちゃってごめんね。でもでも、気が向いたらいつでも声かけてね!」

「う、うん……」

クラスメイトの優しい言葉にも、ことははその場で俯くことしかできないのだった。



その日の放課後。緑のエプロンを着たことはは実家でいつものように店の手伝いをしていた。
不意に、昼間の出来事を思い出し、彼女は考える。
……私は、どうしたいんだろう。
クラスメイトからの誘いに対してすぐに答えを出せない自分にも、こうして迷って考え込んでしまう自分にも、苛立ちを覚える。
ことはは目を閉じ、胸に手を当て、深呼吸をしてみるが、気持ちは落ち着かないままだ。
すると、店に誰かが入ってくる足音が聞こえて、ことはは慌てて目を開けた。
すらっとしたスタイルの良い人物が目の前に立っていた。華やかに着飾っていてとても女性的に見える人なのだが、ことははなんとなく違和感を覚えた。しかし、その違和感の正体が何なのかは分からない。
謎めいた客は微笑をたたえて言う。

「あらまぁ、ご機嫌よう。若い店員さんだけど、アルバイトさんかしら?」

「あ、いえ、その……ここは私の実家で、放課後になるとお店の手伝いをしているんです」

ことはが説明すると、謎の客は満面の笑みで言った。

「立派ねぇ、 素敵だわ!」

「そ、そんなこと、ないですよ」

思わずそう口走ってしまったことはに対して、謎の客は笑顔を絶やさないまま問う。

「あら、どうして? 謙遜するなんて勿体ないと思うけど。それに、私は 他人ひとに御世辞を言うほどお人好しじゃないわ」

言われ、ことはは思わず俯いてしまう。
そんなことはの様子に気づいた謎の客は言う。

「お嬢さん、もしかして何か悩み事があるのかしら?」

自分の心の内を見透かされているのかと驚いたことはは尋ねる。

「な、ど、どうして分かったんですか?」

「なんとなくね。良かったら、お姉さんが相談にのるわよ?」

相手は見知らぬ客。ここで自分の抱える悩みを打ち明けたとしても、問題が解決するとは思えない。
……でも。
でも、この人には言ってみてもいいかもしれない。なぜかは分からないけれど。
そう感じたことははゆっくりと、自分の事情を話し始めた。

「実は……今日クラスの華道部の子から一緒に部活やってみないかって誘いを受けたんです。だけど、私……その場で返事ができなくて……答えを保留にしてしまったんです……」

「なるほどね」

謎の客は頷いた上で、ことはへと問いかけを作り出す。

「それで、あなたはどうしたいの?」

核心を突く質問にことはは言い淀んでしまう。

「わ、私……は……」

目を泳がせてしまっている彼女のことを責めたりはせず、まっすぐ向き合った上で客は言う。

「迷っている、悩んでいる、っていうことは……やってみたい、って気持ちが少なからずあるってことよね」

そして、客は告げた。

「だったら……自分の気持ちに、わがままになってみたらどう?」

「自分の気持ちに……わがままに……」

「そうよ。ほんの少しだけでも、やりたいなって気持ちがあるのなら……いっそ、やっちゃえばいいのよ」

迷うなら、やってみればいい。この人はそう言っているのだ。
客に投げかけられた言葉に、ことはは心がなんだか軽くなったような感覚を得た。
すると、客は慌てた様子で言う。

「あらら。私ってば、つい話し込んじゃった。今日はお花を買いに来たんだったわ!」

客はそう言うと、真っ赤な薔薇の花を集めたブーケを手に取った。

「このお花、いただけるかしら?」

「はい。少し待っててください」

ことはが言って、すぐに会計を済ませると商品を手渡した。

「ありがとう、素敵なお嬢さん。また来るわね」

「わ、私の方こそ……!! あ……あの……!!」

店を出て行こうとする客に対して、ことはは言う。

「よ、良かったら、その……お名前、教えていただけませんか?」

かけられた言葉に、客は足を止めた。そして、再びことはに向き合って告げる。

「私は、ユリアン・アールグレイ。スタイリストとして活動しているわ」

アールグレイって、紅茶? というか、本名? そもそもこの人、女の人なの? それとも……。
客の名を聞いたことはの脳内には様々な疑問符が芽生える。
そんな中、今度はユリアンの方から訊いてきた。

「お嬢さんのお名前も教えてもらえるかしら?」

「あ……さ、三稜 ことはです!」

「ことはちゃんか……とっても良い名前ね」

微笑みながらそう言った後、「じゃあ、またね」と言い残してユリアンは店を出た。
不思議な人だったなぁ、と、ことはが思っていたその時。ふと、あることに気づいた。
店に並べているピンクのチューリップの花。そこから何やら光が漏れ出しているのだ。
さっきまで何ともなかったはずなのに。
思い、ことはがチューリップの中を覗いてみると、そこには緑色の宝石のついた指輪があった。
お客さんの忘れ物……じゃないよね。だったら、何だろう。
どうしてこんなものがこんなところにあるのか、ことはには分からず、ただ疑問と戸惑いだけが生まれてくるのだった。
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