聖女の呪い

Victoria

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召喚された先は、地獄の日々

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それは、突然のことだった。

元聖女の王妃が、隣国の使者を歓待する夜会の場で突然ナイフを取りだし、仲睦まじく寄り添っていた王を刺したのだ。

「なに、を…」

痛みに呻きながら、王は愛する妻へと問う。しかし、そこに返ってきた言葉は、王自身にも、周囲にも、意外なものであった。

「わたくし、あなたのことが大っ嫌いでしたのよ。いい気味ですわ」

そして、周囲が唖然としている間に手に持ったままのナイフを自らの首筋に充てて、宣言する。

「今後、わたくしの…いいえ、私のような非人道的な扱いをされる異世界人がいたら、私がこの国を滅ぼす!覚えておきなさい!」

元とはいえ彼女は聖女だ。まして異世界の生まれの彼女は、その宣言がこけおどしとならないくらいには膨大な魔力とそれを扱う術を心得ている。自らの命と引き換えに複雑な条件を付けた呪いを完成させることなど、容易い。

我に帰った近衛が王妃を取り押さえて王を助けようとするも、彼女はそれより速く、この世に一切の未練も無いという風で首を切った。真っ赤な鮮血と、生臭いにおいはその場にいた大勢の記憶に残り続けることになる。

◇◆◇

時は、10年ほど遡る。ある日、王城にひとりの異世界の少女が召喚されたことが、今回のことの始まりであった。

「おぉ、漆黒の髪に漆黒の瞳。間違いなく聖女様だ!」
「聖女様が降臨なさったぞ!」

その黒髪黒目の少女こと由良は、顔をしかめた。何を言っているのだこの者たちは。見れば、自分が座り込んでいるのは魔方陣らしきものの真ん中、豪華ではあるがしかし清廉さをも感じさせる部屋の中であった。彼女を囲む人々は少なくとも彼女の知らない人種系統の顔立ちで、見たこともない様式のローブを羽織っている。

意味がわからないまま座り込んでいたら、人垣の後ろから妙齢の女性がやってきて、何かを言って由良を立たせようとする。混乱したままそれに従って、彼女は何故か豪華なドレスに着替えさせられたのであった。

◇◆◇

ーームカつく。

由良が召喚されてから、一年が経った。侍女が置いていった絵本などからこの世界の言葉を学び、大抵の言葉は理解できるようになった。そうしてわかったこと。由良は、拉致されてきたのだ。

この世界の人々は、それが当たり前だと言う。世界が危機に瀕する前に聖女を召喚して、育てて世界を救ってもらって、最高の栄誉として時の王と結婚させる。そんな慣習がこの世界にはあった。

しかし、由良にしてみれば「そんなものくそくらえ」である。人を問答無用で拐ってきて勝手に使命を与えておいて、それを達成したら解放するどころか嫌いな者たちの総大将である王と結婚させられるだと?私には家族だって友人だって道半ばの夢だってあった。将来暖かい家庭を作ろうと誓いあった恋人だっていた。なのに、それはこの世界の理不尽なルールによって無惨にも打ち砕かれた。この世界の危機なのだからこの世界のなかで解決しろ、と何度毒づいたかもわからない。わざわざ異世界人を理不尽な目に合わせてまで世界を守りたいのはわからんではないが、わざわざ自然の摂理をねじ曲げてまですることではない。まして、由良の見立てでは、自分ほどの魔力を使える人間は確かに存在しないが、複数人でパーティーを組めば自分など一方的にボコられて終わるくらいの実力者はごろごろしている。

「ユラ様、そろそろ御準備をお願いいたします」

ほら来た、こちらの都合などひとつも考えていない今日の予定。今日は王妃教育と魔法の訓練だっただろうか。後者は、そんなもの無い世界で育った由良にとって確かに楽しかった。だがそれも敵のためと思うと憎しみすら沸いてくる。

だから、由良は決めたのだ。完璧な王妃になって、復讐を遂げる、と。

◇◆◇

「離して!離せ!!」

時は、由良が召喚されて半年ほどのことだ。このままいい様に使い続けられた末に待っているのがあのクソ野郎との結婚であるなら、今ここで死んでやる、と茶会のフルーツをカットするナイフで自らの胸を刺した。しかし、ナイフが小ぶりであったこと、すぐに治癒魔法師が駆けつけてきて治療されてしまったことによって残念ながら事なきを得てしまった。暴れて治療も拒否しようとしたが、問答無用で治療されてしまった。それ以来だ。由良の周囲には常に誰かの目が光り、刃物や紐など、自殺の道具とできそうなものはすべて遠ざけられた。軟禁状態の由良では自殺のための道具など入手することはできない。

だから、従順な聖女兼将来の王妃を目指しているフリをした。心のなかでは吐き気を催しながらも、耐えて耐えて過ごした。魔法の勉強と称して呪いの類いを探し求め、この国そのものすら滅ぼすことができる強力な呪いを完成させた。この世界そのものを滅ぼしてしまってもいい、そう思っていたのだが無辜の民には罪はない、と考え直して方法を変えた。元凶たる王を殺し、ソレと自らの命を糧にこの世界へ呪いをかける。由良が定めた契約が破られたとき、その呪いは発動し、世界を滅ぼすのである。

◇◆◇

由良が世界の危機を救ってから5年が経った。召喚されてからは8年ほどになる。偉大なる聖女として、そして偉大な王の偉大な王妃として、彼女は過ごしていた。ひとつ周囲から難を挙げるとすれば、それは世継ぎとなる子供がいないことであった。

当然である。彼女は王との情事を「自分の世界の文化だ」と言いながら最低限に抑え、その最低限の後には誰にも気づかれないように自らに浄化魔法をかけていた。つまり、子種自体が入りこそすれ実る前に消し去られてしまうのである。彼女は内心では「気持ち悪い」「私が体を許したのは恋人だけなのに、ごめん」と震えながらも王を愛している従順な王妃を演じた。こんな男の、ひいてはこんな世界の人間の血を引く子供など欲しくない。私がほしかったのは恋人と自分の血を引く子供だ。今となっては夢にすらなれないが。

◇◆◇

ある日、政務のなかで遠方の国の使節がやってくることになった。侍女の噂話によると、彼の国では黒髪黒目の特に女性は問答無用で殺されるという。それが嘘か本当かはわからないしまさかこれから国交を結ぼうという国の王妃を惨殺することは無いだろうが、「怖いわ、あなた」と王に言うことで護身用のナイフを用意させることに成功した。その頃にはもうとっくに周囲の警戒は解けていて紐だってナイフだって身近にあったが、どうせなら誰の印象にも残る大振りのナイフがよかった。

◇◆◇

由良は夜に一人、呪いの内容を書き連ねていく。決行日は明日だ。

"ひとつ、今後一切異世界人を召喚しないこと。ひとつ、聖女が望まない結婚を無理矢理させないこと。ひとつ、聖女は自らの意思で世界を救いに行かなければならないこと。ひとつ、聖女の仲間となる人物は、本人の意志と同意のもとに選定されること。この条件が破られたとき、即座に世界が滅びるであろう。"

ついでに、自らの魔力で作った引き出しの封印も解除する。今までは開かなかった机の引き出しには、これまでの恨み辛みがひたすらに書き連ねられた便箋やノートが詰め込まれている。わざわざこちらの言語で書いてあげたのだから、これを見てせいぜい震えるがよい、と思いながら再びそれをしまった。封印は、しなかった。






◇◆◇

「それで、どうなったの?」
少女は問いを発した。相手は、自らの祖母である。背後ではパチパチと暖炉の火が弾けて、心地よい暖かさを彼女たちに提供している。
「どうなったと思う?」
私は、孫娘に問を返した。
「うーんと、えっと、その呪いが、発動した?」
「ううん、していないよ。幸いにもね」
私は心のなかで、一応ね、と付け加えた。そう、私はこの伝承の聖女由良の生まれ変わりだ。まさかこの世界にも輪廻の輪があるとは思わなかったし、自分が組み込まれるとも考えていなかった。自らの首を掻っ切って死んだのに、気づけばこちら生まれの子どもの意識と由良の意識が共存していたのだ。せめて魂だけでも元の世界に帰りたかった、とかなんで前世を忘れられなかったのだろう、とか思わなくはないが、こちらの民として何世代も転生を繰り返すうちに、徐々に嫌悪感は薄れていった。世界のルールは未だにわからないが、最早この世界は第二の故郷ともいえるようになった。生まれ変わった存在として、この世界にも大切なものが増えていった。

呪いは、元々魂が消滅するつもりで作ったから問題ない。それに、由良の魂が、その呪いが未だこの世界を覆い尽くしていることを感じ取っている。由良が殺した王の血縁から選ばれた新たな王が、異世界の聖女を再び召喚しようとして死んだらしいことは歴史に記されている。一応威嚇程度の攻撃だが、しっかりと恐れ慄いてくれたことは僥倖だ。この呪いが本気になれば世界を滅ぼすことなど造作もない、というよいデモンストレーションになったらしく、それから私が何回も転生を繰り返す程度の時間が流れた。世界は、自ら志願した聖女とその仲間たちによって防衛されている。聖女はあらゆる女児の憧れの的となっていて、私のときのようなこの世界の者からも奴隷のようなものだと認識されることはなくなった。

もうよいだろう。居るかどうかすらわからないこの世界の神に、問う。私の意識を眠らせてほしい。願わくば、魂だけでも由良の愛した人の元へ帰ることができるように。
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