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第四章 ‐ 裏切者は誰だ ‐

039話「Re:NHKへようこそ!」

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第39話「██の秘密基地へようこそ! 」


 母が死んだのは、小学校に上がってすぐの事だった。


 癌だった。



 それは早すぎる死だった。私が生まれる前から闘病していて、一度は克服するも再発だったと、後から京子おばさんに聞かされた。


 まだ小さかった私は、私を公園や遊園地、水族館に連れて行ってくれた母が、どれだけ頑張っていたかなんて知らなかった。わからなかった。

 いやそれとも、わからせないようにしていたのかもしれない。



 蝉の鳴き、水平線が揺らぐ暑い夏の日。水族館でのイルカショーの最中に母は倒れた。



 あの日、倒れた母を抱きしめて父は、静かに泣いていた。
 私も、わけがわからずに泣いた。

 「菊華きっか、ありがとう」
 あの時なぜ、父はそう呟いたのだろう。


 入院してからの母は、そこから永くなかった。
 母はみるみるうちにやつれていった。頭髪は抜け落ち、眼底は落ち窪み、頬は痩せこけ、美しかったあの面影は消えてなくなった。

 そして最期には目も開けず……会話もできなくなった。
 だから、ドラマや映画とはぜんぜん違った。亡くなる当日のその寸前にドラマチックに最期の言葉を交わしたりなんて、そんなのはなかった。


 だけど、最期の言葉は覚えている。
 「お母さんのように、幸せになりなさい」
 亡くなる一週間前、既に会話もできなくなった母が、最期にノートパソコンに打ったメッセージ。

 ――――遺言になってしまった。



 現実があんなに惨酷だなんて。
 あの時の父の顔を覚えている。自分のお父さんはこんなに悲しい顔をするんだって、思った。


 母が死んでから、父はあまり笑顔を見せなくなった。
 
 中学に上がるまでは一緒に暮らしていたが、父が帰って来るのはいつも夜遅く、自分が眠りについた後で、私は家に残った父の「影」と暮らしているだけだった。


 ひとりぼっちになった家は寂しかった。
 母が亡くなってから日の浅い夕方、とてもお腹がすいて、母の料理が恋しくて一人家で泣いていた事があった。
 その時、叔母が来てくれた。おばさんは私を抱きしめると、材料が足りないからと私を食事に連れて行ってくれた。

 ファミリーレストランで、鼻水を垂らしながら食事にありつく私を見て、
 「お母さんの代わりにとはいかないけれど、私に出来る事があったら何でも言ってね」
 と、叔母は優しく言ってくれた。


 ……うん、あれ…………?
 そういえば、私を抱きしめてくれた時、叔母さん泣いてた。

 京子おばさん、どうしてあの時、叔母さんも泣いてたの……――――?




 ◆



 夢から覚めると「おはよう」と、誰か聴き慣れない男性の声と共に、まばゆい人工光がカスミの瞳に差し込んだ。カスミは目を薄目にしながら自分の手で顔のあたりに影を作る。
「気を付けなさい、かなり疲れが溜まっているから、転ばないように」
 目を覚まし、鈍い体を起こそうとするカスミに老人が歳不相応に逞しい腕で手を貸した。

 あ、すいません。声を絞り出し、反射的に会釈して礼を述べるものの、このおじさんは誰だろう、疑念がカスミの頭に浮かぶ。
 年齢は50代から60代、白髪の多いグレーの髪で、口ひげを蓄えており、ジャージのズボンに焦茶色のタンクトップ、スマートながら筋肉は歳不相応についていて、鍛え抜かれたアスリートのような腕をしている。


「眠っている間に軽く調べさせて貰ったが、骨も靭帯もすべて正常。怪我もひっかき傷と擦り傷程度だ。キミは若いしすぐ治るだろう」
 老人は「失礼」とと言いながらカスミの右足首に触れる。老人は優しく触れたつもりだったが、カスミは微かに痛みを感じて眉間にしわを寄せる。

「右足首」
 そこだけ少し腫れているようだから安静に、あとで塗る湿布出しておくから、シャワーを浴びたら塗っておくと良いよ。そう老人は言った。

 カスミはきょろきょと周囲を見渡す。白いライトに真っ白な壁、それとクリーム色のカーテン、カスミ自身は白い診察ベッドに腰かけている。

 初めて来る場所に困惑の様子を隠せない。そもそもここがどの辺りにある建物なのかもわからない。覚えているのはバイクの後ろに載せられて、途中から車に乗り換えて……そうだ、その途中で眠たくなって、起きたらここにいるのだ。

 カスミが後ろを振り返ると、隣の診察ベッドで若い男が寝息を立てていた。この人の顔はわかる、最近目にするようになった高校の用務員の人……。


 ――――あれ? それともおまわりさんとか言ってた? 微かな記憶にカスミが小さく混乱する。少なくとも顔を知るこの男はよく眠っていて、その顔は洗われて綺麗になっている。用務員の制服は既に脱ぎ捨てられていて、今は黒い柔術ズボンに、黒いTシャツ一枚の格好だった。シャツには「地獄戦士」と白文字で書かれてある。

 彼女の視線が男に注がれると、老人は
「ああ、すまない。彼は仕事疲れでね、少し寝かせてやってくれるかな」
 と、罪人を裁き疲れ休んでいる冥府の主を叩き起こしてやらないように言った。

「この人は……」
「カスミさんの高校の用務員、だろう。君を守る為、彼はよくやってくれた」
「どうして私の名前を?」
「知っているさ。「はじめまして」でもないよ。もっとも、最後に直接君に会ったのは……10年以上前の事になるかな。まだあんなに小さかった……」
 と、老人は目を細めて言う。カスミの記憶にこそ彼の顔は無かったが、友人の葬儀の日に目にした幼い少女の顔を、男は今も記憶に残している。

「私は有澤というおじさんだ。あなたの叔母さんの友達だよ……夜行性のね」
 タンクトップ姿で白髪の、眼鏡をかけた50過ぎの男がカスミに手を差し出すと、カスミも握手に応じる。
 あの。と喉から様々な疑問がせり上がるカスミだったが、有澤は先んじてこう告げる。

「わからないこと、知りたいことが沢山あるだろう。でも後にしよう、今は少し休むべきだ。幸いこの建物にはシャワーも、食事も、休んだり、眠る場所もある……京子おばさんもまだしばらく帰って来ない、休んでいきなさい」

 そう言われて、彼女は自分の体の様々な訴えに気付く。喉の渇き、空腹、疲労、体の痛み……尿意もあるし、汗ばんだ体への不快感もある。衣服には返り血がこびりついていて、吐くものなど何もないはずなのにカスミは胃の逆流を感じ、思わず口を抑える。

 大丈夫か、立てるかと有澤に心配されつつも無事ベッドから立ち上がる。壁の時計を見ると針は9時半を指していた。

「その汚れた格好ではあれだな。まずはシャワーまで案内しよう」
「あの、おばさんは……」
 尋ねると
「京子さんなら少し用事があって、君の家に戻っている」
 と有澤は答えた。「大丈夫、すぐに戻って来るよ」とも。

 まるで診療所のような部屋と受付を抜けて扉を開けると、建物内の廊下に出る。目につくのは二基のエレベーターと、階段と、それと反対側にある扉。扉の上では緑色の非常口ランプが点灯していて、非常階段へと繋がっているようだ。

 有澤がエレベーターの一基を呼ぶと、近くの窓の白いブラインドを引き上げる。雨粒がガラスにくっついていて、雨音も微かに聴こえる。
 カスミも興味を持ってその窓を覗き込んだが、隣の建物の壁が見えるだけで空はほとんど見えない。
「ここは……?」
「なんてことない、都内のビルさ。君の居た所からそう遠くないはずだ」

 エレベーターが到着し、4階の場所でランプが点灯する。ボタンを押しながらカスミを先にエレベーター内に進ませると、こう言った。
「こんな機会になってしまった事を申し訳なく思うが……歓迎しよう。カスミさん、ようこそ夜陰流、月照支部へ」
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