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第2話
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とはいったものの、本当に連日押しかけてしまって良いのだろうか、と迷っている自分がいる。おまけに、何を話せばいいのかもよくわからないし、そもそも他人がずけずけと病室に入っていいものなのかもわからない。補習終わりに勢いで病院まで来てしまったけれど、エレベーターホールで突然ためらいが生じる。それに、何と言ってナースステーションを突破すれば良いのだろう…と、入院棟の自動ドアの前でうろうろしていると、ガラス扉の向こうから誰かがやってきた。
「あれ? 光瑠さん?」
通行の邪魔にならないように壁際に寄っていると、ガラス越しにぼんやりと声が聞こえてくる。小さく手を振ってきたのは、白波瀬さんだった。後ろで車椅子を押す看護師と何やら話している。
ガラス扉には、平凡な自分が映っていた。第一ボタンを開けたワイシャツに、よく見ないと地毛と区別がつかないほどの茶色に染めた髪の毛。耳の小さなピアスは、高校生になってすぐ、友達がやっていたからという理由で開けた。けれど、その友達だって、放課後にわざわざどこかへ遊びにいくような仲でもない。勉強する意味がわからなくなったといっても、授業や宿題をさぼるほどの不良になる勇気は持ち合わせていない。進路に悩んで、何もない自分を見つけるたびに不安で心が揺さぶられても、朝きちんと起きて高校へ行っている。何もかもが、中途半端だ。
そんなことをぼんやり考えていると、目の前のガラス扉が開く。
「光瑠さん、お見舞いありがとう」
「白波瀬さん、良かったですね。君も入って? ナースステーションで名簿書いてね」
白波瀬さんがにこやかに微笑みかけてくれる。昨日はシーツに隠されていた、右足のギプスが痛々しかった。
「どうかした?」
声をかけられて、はっとする。気がつけば眉間に力が入ってしまっていたらしい。取り繕うように笑顔を浮かべると、ナースステーションで手続きをする。どこかに呼ばれた看護師さんから車椅子を押す役目を仰せつかってしまったので、なるべく振動を与えないように、慎重に、押していく。
「さっき、看護師さんとナースステーションにお茶を取りに行ってたんだ。そしたら光瑠さんが見えて、びっくりしちゃった」
「そうだったんですね」
会話をしつつも、車椅子をどこかにぶつけないように細心の注意を払うことは案外難しい。どうしても会話のほうがおろそかになってしまう。それに、白波瀬さんの頭が自分のお腹あたりにあって、なぜだか猛烈に落ち着かない気持ちになる。それでも、どうにか気持ちを押さえつけて、無事に部屋へと辿り着いた。窓から海が見えるように車椅子を止めると、パイプ椅子を近くに広げる。
「今日は、外暑かった?」
「はい、結構汗かきました」
「高校って駅から結構歩くんだっけ?」
「いや、10分もかからないです。ここから見えると思います」
そう言って、高校を指差す。少しだけ首を伸ばした白波瀬さんは、興味深そうに高校を眺めた。
「良いところだね、高校から海が見えるって羨ましい」
「そうですかね? 窓を開けるとたまに磯の匂いがしますよ」
「ああ、海風が来るんだね」
今まで、高校から海が見えることが特別だと思ったことはなかったけれど、確かに学校から海が見えるところは多くはないのかもしれない。
「今日の補習はどんなことしたの?」
「今日は、数学です」
「本当? 僕、結構数学できるよ? 見せて」
そう言われたので、足元においたカバンから、補習のプリントを取り出す。カバンに適当に入れたので、プリントは折れ放題で、実に悲惨なことになっていた。なんとなくこのままのプリントを渡すのが恥ずかしくなって、一生懸命両端を引き伸ばして、誤魔化そうとする。
「ああ、方程式か」
俺の汚いプリントを両手で受け取った白波瀬さんは、1問1問じっくりと見ている。今まではあまり気にならなかったけれど、改めて、他の人の手の中にあるプリントを見ると、赤いバツだらけで、字は汚くて、途端に恥ずかしくなってきた。下手な字が踊っているプリントを、細長くて白い指が掴んでいる。動揺を表に出さないように気をつけていても、耳に勝手に熱が集まっていく。
「俺、頭悪いので…字も汚いし…」
「そうかな? みんなそこを経て大人になるんだから、恥ずかしがることじゃないと思うよ」
「数学の補習引っかかってるの、自分だけですよ。ビリです」
「頑張れば、きっと出来るようになるよ」
尚もプリントの問題を見ている白波瀬さんは、なかなかプリントを離そうとしない。気恥ずかしいので早く返してほしいけれど、こう言う場合は急かしてもいいものなのだろうか。そろそろ声をかけようか、いや、まだ区切りが悪いかもしれない、と声をかけるタイミングを伺っていたら、廊下から看護師さんが入ってきた。
「あれ、仲良しさんですね。何を話していたんですか?」
そういって、にこやかに入ってくる看護師さんに、白波瀬さんがようやく顔を上げた。
「ごはんってもうすぐですか?」
「はい、もうすぐですからね。少し待っていてくださいね」
時刻は13:00を少し過ぎたところ。院内食が提供される時間は12:00ぴったりくらいかと思っていたけれど違うのだろうか。夕食にしてはいくらなんでも早すぎるだろう。
もうすぐご飯を食べるのであれば、と帰ることにした。白波瀬さんと看護師さんに見送られて、部屋を出る。真っ直ぐな廊下に沿って部屋がいくつかあり、ドアが開いている部屋をちらりと覗くと、大きな窓からはやっぱり海が眺められた。ナースステーションの前には、先程気が付かなかった大きなカートがある。カートには、どうやら食べ終わった食器をお盆ごと集めているようだった。白波瀬さんには、まだお昼が配膳されていないのだろうか。それとも、なにか検査の関係でお昼が食べられていないのだろうか。そういえば、自分が小学生くらいの時に亡くなった祖父も、検査でご飯が食べられなくて辛そうだった、という話を聞いたことがある気がする。
祖父とは、宝探しという名の、貝殻探しをよくしていた。思い返してみれば、あの頃は、大きくなれば何者かになれると信じて疑っていなかったな、と苦笑してしまう。小さな頃であれば間に合ったのかもしれないけれど、こんなに大きくなってしまった今となっては、何者かになるには、もう遅いのだろう。目を瞑って鼻で大きく息をすると、遠くで海の匂いがした。
「あれ? 光瑠さん?」
通行の邪魔にならないように壁際に寄っていると、ガラス越しにぼんやりと声が聞こえてくる。小さく手を振ってきたのは、白波瀬さんだった。後ろで車椅子を押す看護師と何やら話している。
ガラス扉には、平凡な自分が映っていた。第一ボタンを開けたワイシャツに、よく見ないと地毛と区別がつかないほどの茶色に染めた髪の毛。耳の小さなピアスは、高校生になってすぐ、友達がやっていたからという理由で開けた。けれど、その友達だって、放課後にわざわざどこかへ遊びにいくような仲でもない。勉強する意味がわからなくなったといっても、授業や宿題をさぼるほどの不良になる勇気は持ち合わせていない。進路に悩んで、何もない自分を見つけるたびに不安で心が揺さぶられても、朝きちんと起きて高校へ行っている。何もかもが、中途半端だ。
そんなことをぼんやり考えていると、目の前のガラス扉が開く。
「光瑠さん、お見舞いありがとう」
「白波瀬さん、良かったですね。君も入って? ナースステーションで名簿書いてね」
白波瀬さんがにこやかに微笑みかけてくれる。昨日はシーツに隠されていた、右足のギプスが痛々しかった。
「どうかした?」
声をかけられて、はっとする。気がつけば眉間に力が入ってしまっていたらしい。取り繕うように笑顔を浮かべると、ナースステーションで手続きをする。どこかに呼ばれた看護師さんから車椅子を押す役目を仰せつかってしまったので、なるべく振動を与えないように、慎重に、押していく。
「さっき、看護師さんとナースステーションにお茶を取りに行ってたんだ。そしたら光瑠さんが見えて、びっくりしちゃった」
「そうだったんですね」
会話をしつつも、車椅子をどこかにぶつけないように細心の注意を払うことは案外難しい。どうしても会話のほうがおろそかになってしまう。それに、白波瀬さんの頭が自分のお腹あたりにあって、なぜだか猛烈に落ち着かない気持ちになる。それでも、どうにか気持ちを押さえつけて、無事に部屋へと辿り着いた。窓から海が見えるように車椅子を止めると、パイプ椅子を近くに広げる。
「今日は、外暑かった?」
「はい、結構汗かきました」
「高校って駅から結構歩くんだっけ?」
「いや、10分もかからないです。ここから見えると思います」
そう言って、高校を指差す。少しだけ首を伸ばした白波瀬さんは、興味深そうに高校を眺めた。
「良いところだね、高校から海が見えるって羨ましい」
「そうですかね? 窓を開けるとたまに磯の匂いがしますよ」
「ああ、海風が来るんだね」
今まで、高校から海が見えることが特別だと思ったことはなかったけれど、確かに学校から海が見えるところは多くはないのかもしれない。
「今日の補習はどんなことしたの?」
「今日は、数学です」
「本当? 僕、結構数学できるよ? 見せて」
そう言われたので、足元においたカバンから、補習のプリントを取り出す。カバンに適当に入れたので、プリントは折れ放題で、実に悲惨なことになっていた。なんとなくこのままのプリントを渡すのが恥ずかしくなって、一生懸命両端を引き伸ばして、誤魔化そうとする。
「ああ、方程式か」
俺の汚いプリントを両手で受け取った白波瀬さんは、1問1問じっくりと見ている。今まではあまり気にならなかったけれど、改めて、他の人の手の中にあるプリントを見ると、赤いバツだらけで、字は汚くて、途端に恥ずかしくなってきた。下手な字が踊っているプリントを、細長くて白い指が掴んでいる。動揺を表に出さないように気をつけていても、耳に勝手に熱が集まっていく。
「俺、頭悪いので…字も汚いし…」
「そうかな? みんなそこを経て大人になるんだから、恥ずかしがることじゃないと思うよ」
「数学の補習引っかかってるの、自分だけですよ。ビリです」
「頑張れば、きっと出来るようになるよ」
尚もプリントの問題を見ている白波瀬さんは、なかなかプリントを離そうとしない。気恥ずかしいので早く返してほしいけれど、こう言う場合は急かしてもいいものなのだろうか。そろそろ声をかけようか、いや、まだ区切りが悪いかもしれない、と声をかけるタイミングを伺っていたら、廊下から看護師さんが入ってきた。
「あれ、仲良しさんですね。何を話していたんですか?」
そういって、にこやかに入ってくる看護師さんに、白波瀬さんがようやく顔を上げた。
「ごはんってもうすぐですか?」
「はい、もうすぐですからね。少し待っていてくださいね」
時刻は13:00を少し過ぎたところ。院内食が提供される時間は12:00ぴったりくらいかと思っていたけれど違うのだろうか。夕食にしてはいくらなんでも早すぎるだろう。
もうすぐご飯を食べるのであれば、と帰ることにした。白波瀬さんと看護師さんに見送られて、部屋を出る。真っ直ぐな廊下に沿って部屋がいくつかあり、ドアが開いている部屋をちらりと覗くと、大きな窓からはやっぱり海が眺められた。ナースステーションの前には、先程気が付かなかった大きなカートがある。カートには、どうやら食べ終わった食器をお盆ごと集めているようだった。白波瀬さんには、まだお昼が配膳されていないのだろうか。それとも、なにか検査の関係でお昼が食べられていないのだろうか。そういえば、自分が小学生くらいの時に亡くなった祖父も、検査でご飯が食べられなくて辛そうだった、という話を聞いたことがある気がする。
祖父とは、宝探しという名の、貝殻探しをよくしていた。思い返してみれば、あの頃は、大きくなれば何者かになれると信じて疑っていなかったな、と苦笑してしまう。小さな頃であれば間に合ったのかもしれないけれど、こんなに大きくなってしまった今となっては、何者かになるには、もう遅いのだろう。目を瞑って鼻で大きく息をすると、遠くで海の匂いがした。
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