見捨てられたのは私

梅雨の人

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「で?なんて孝一朗がここにいるんだよ。」 

「かわいい妹をお前と二人きりにできるか」 

「とっ…ところでお話とはいったい何のことでしょうか。」 

「…」 

「一宮様?」 

「…小雪さん、ここに離縁に関する書類一式を用意した。向こうが拒否してきても俺が何とかする。というか何とかするぐらいお安い御用なのだが。とにかくここにサインしてくれないか?」 

「おいおい…東吾…なぜおまえが俺と一緒の書類一式を持ってきてるんだ…」 

「…なんだお前もか?」 

「ああ、それで全くお前と一緒のことを小雪に言おうとしていたのに、お前が先に小雪にそれを伝えてるのはなぜなんだ」 

「…お兄様も一宮様も…」 

「小雪さん!」

「うわぁ小雪、ごめんごめん。小雪に相談もせずにこんな書類をさっさと用意してしまって」 

ぽろぽろと涙をこぼす私にお兄様と亮真様がおろおろと目に分かるほどうろたえておられました。 
お二人の優しさがとても嬉しくて涙が止まりません。
嬉し涙がこれほど尊いものだということにようやく気が付くことが出来た気が致します。
 

その夜は早くから豪勢な夕餉を三人で頂きました。 

お菓子の話、外国での一宮様の体験話、以前お兄様と乗った遊覧船で見かけた野良猫の話などお兄様と一宮様が面白おかしく私に話題を振ってくださってとても賑やかで楽しくて夢のような時間を過ごさせて頂きました。 




◇◇◇◇
 

「やあ、小雪さん、お邪魔するよ。」 

「まあ、一宮様、いらっしゃいませ。」 

 

藤堂家に戻って来てから半年が過ぎました。 

お兄様が前に出てくださって亮真様との離縁が成立したのは藤堂家に戻って来て一週間もたたない頃でした。 

一度も亮真様と顔を合わせることもないままの離縁でしたが、亮真様に思い残すことはもう全くございませんでした。 

詳しい話もお兄様はしてくださいませんでしたがそれでよいのだと思っております。 


藤堂家に出戻った私をお兄様を含め皆が暖かく出迎えてくださいました。 

お友達も時折訪ねて来てくれてはたわいのない話を私としてくれております。皆さまは大河内家のことなど一切口になさらずに気軽に会話をしてくださいます。 


――とても大事にされておられるのですね。安心致しました―― 


時折このように言われることが続きまして、ふと一宮様のお顔が脳裏に浮かびました。 

思いあがってはいけないと自制いたしますのに、あの助けていただいた日から胸の中にくすぶる炎が消えてくれることはありません。 

離縁したばかりの私がこんなに早く心変わりするのだなんて絶対に一宮様に知られたくありませんのに。
一宮様はこんな私を軽蔑されるでしょうか。
離縁したばかりだというのにもう一宮様に心を映してしまった私を薄情な奴だと呆れられるでしょうか。 

いいえ、優しい一宮様はそんなことないとおっしゃって下さるでしょう…。 
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