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第2話 止めてくれたアリサ

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「待って」

 サーカスの看板アイドルであるアリサ・ブリゲードに呼び止められ、俺はとっさに目元を袖でこすった。

「どうしたのさ? サーカスのアイドルがクビになった俺に何か用?」

 俺は振り返らずにそっけなく言った。

 するとアリサは、俺の前まで移動してきた。その目には、さっきまでの俺と同じように、何故か涙が浮かんでいた。

 いや、その理由を俺は何となくわかっている。

「ドーラとはサーカスに入った頃からの付き合いだよね」

「ああ。失敗が多かった俺をアリサはよく励ましてくれた」

「そうそう。ドーラは本当にドジで手がかかったよ」

「同い年だろ?」

「そうだけどね」

 アリサは笑いながら言っている。

 俺が顔を見せないことも聞かないで、アリサは話を続ける。

「あたしはドーラを良きライバルだと思ってたんだよ?」

「俺だってそう思ってたよ」

「本当かな? サポーターってところがいいところじゃない?」

「俺はどんだけ助けられてたんだよ」

「そりゃ数えられないほどだよ」

 アリサの声を聞いていると、サーカスを離れたくない気持ちが強くなってきた。

 幼い頃は意識して見ていなかったが、晴れた空のように青く綺麗で長い髪、同じく澄んだ瞳に端正な顔立ちをしているアリサ。

 見た目の美しさから観客を魅了し、高度な氷系魔法を操る姿はまるで氷の女王のようだった。

 俺とは違い、いつの間にかサーカスのアイドルと呼ばれるまでになっていた。そんな俺の小さい頃からのライバル。

 評価されてもあぐらをかくことなく努力を重ねていたアリサは、忙しいだろうにいつも俺のことを気にかけてくれていた。

「それで、今日はどうしたのさ」

「どうしたのさ。じゃないでしょ。ドーラ。サーカスを出て行くのに、あたしに挨拶もない訳?」

 少し責めるように言ってくるアリサ。それもそうだろう。仲がよかったと思っていた相手が無言で出て行くとなれば、俺だったらショックだ。

 だが、俺がアリサに挨拶をしなかったのは、アリサを嫌いだからじゃない。

 むしろ逆だ。仲がよかったからこそ、みじめな姿を見せたくない。これ以上残りたい気持ちを強めないための決意だった。

 しかし、アリサには話さずにそこまでは伝わらなかったようだ。

「……」

 俺がうつむいたまま黙っていると、アリサは俺の肩を掴んだ。

 そして、俺に目線を合わせるように顔を覗き込んできた。

「ドーラがクビならあたしも出ていく」

「え!? なんで?」

 俺はアリサの突然の発言に、俺は驚き声を出してしまった。

「このサーカスにドーラがいなくていい訳ないでしょ。ドーラがいなくなったら、色々なことが成立しないことはみんな理解しているはず。それなのに、団長の決定だからってあたし以外誰も反論しなかったんだよ?」

「それはそうだよ。俺の真似なんて誰だってできるんだから」

 俺は目を合わせられず、アリサから目線をそらした。

 アリサは俺を評価しすぎなのだ。どうせ力不足なことはわかっている。

 否定するように何度も首を横に振っているが、俺のことは俺の方がわかっているはずだ。

「アリサも説得はできなかったからここにいるんだろ?」

「そうだけど」

「だったらさ。俺のことなんて忘れてこれからもみんなを楽しませてくれよ。俺はその方が嬉しいからさ」

 俺は素直な気持ちをアリサに伝えた。

「……なんでそんなこと言うかな」

 どこかいらだたしげに、ぼそっとアリサは声を漏らした。が、今の距離では丸聞こえだった。

「俺はアリサを支えていくアテがない。けど、ここにいればアリサは生きていくことには困らないだろ?」

「そうだけど、いつ終わるかもわからないのに」

「そんなことないさ。クビになった俺がいなくなるのと、みんなが必要としてるアイドルがいなくなるのじゃ話が違うだろ?」

「それは、団長が言ってるだけで……」

 俺としてもアリサがついてきてくれるということは本来ならとても嬉しいことだ。

 一人、右も左も分からない世界に追い出されるよりよっぽど心が軽いだろう。

 だが、他人の居場所を奪うことは俺のやりたいことではなかった。

 俺だけがクビと言われているのだから、犠牲になるのは俺一人で十分だ。

 なんとかアリサにはここにいてほしい、俺はそう思い、何かないか考えた。

「じゃあ、こうしよう。アリサもきっと今は冷静じゃないんだ。だから、アリサが冷静になって考え直して、それでも俺がいないとサーカスは立ち行かない。そう思うならこのサーカスを出ればいい。アリサなら俺を追うことくらい簡単だろ?」

「簡単だけど、どうしても一緒に行ってはくれないのね」

「ああ。俺とアリサの実力は大きいからな」

「わかった。でも、それだと明日になると思うけど」

「それでもいいさ。とにかく、今すぐじゃなきゃいいんだ。俺も納得できる。きっと今は頭に血が昇ってるだろうからさ。ほら、今の俺はアリサの顔を拭くものすら持ってないんだぜ? こんなやつと一緒に何ができると思う?」

「あたしはすぐに追い抜くサーカスができると思う」

 アリサは胸を張って言ってのけた。

「じゃあ、アリサが追いついたらサーカスをやろうか」

「うん! それなら一日くらいあっという間だよ」

 目を輝かせているアリサを見ていると不思議と出来そうな気がしてくる。

 だが、どうしてこうもアリサは俺の実力を過信しているのだろう。

 嬉しいが、俺としては重すぎる期待がプレッシャーだった。

 だがそれも今までの話だろう。

 いなくなればすぐに他の人と同じ反応になるはずだ。

「それじゃ、俺はそろそろ行くよ。あんまり居座ってると、いい加減にしろって言われかねないからさ」

「本当に何も持たないで行くの?」

「何も残ってなかったから」

「はい。これ」

 俺は胸に包みを押し付けられまばたきを繰り返した。

「何これ」

「餞別よ」

「餞別?」

 中を確認すると、アリサがこれまでに使ってきたステージ衣装やいくらかのお金、食べ物までが入っていた。

「い、いや、これは受け取れないよ」

 俺の言葉を聞くと、アリサはニンマリと笑ってみせた。

「じゃあ返してね。明日あたしが追って行くまでくたばらないこと。それなら問題ないでしょ」

「なら、今返すよ」

「いいや。ダメよ。ドーラだって今追っちゃダメなんでしょ」

「う」

 自分の言い出したことで返され、俺は何も言えなくなった。

「それに、あたしってアイドルなんでしょ? その中のものを売れば、当分の生活にも困らないはずだから」

 俺はアリサに背を向けた。

「どうしたの?」

「二度は言わないからな」

「何を?」

「これを言ったら俺は向こうに走って行くから」

「だから、何をって」

 俺は込み上げてくるものを耐えるため、拳を強く握りしめた。

 そして、大きく息を吸うと。

「ありがとう」

 声を出し、走り出した。

「待ってなさいよ。すぐに追って行くから」

 俺は黙って腕を振りそのままサーカスを後にした。
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