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第113話 早朝練習

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 まさに圧巻。やはり壮観。と言うと、言い過ぎな感があるが、実際、楓の感覚としては、それらの言葉が当てはまっていた。
 現在朝練中。わざわざ、朝から動かなくてもと思うが、周りがやっているとなると、サボる訳にはいかず。また、桜に協力するといった手前、サボる訳にもいかず。結局楓は、向日葵とともに毎日欠かさず参加していた。
 他のクラスの人達は、楓のそこまでやらなくてもという考えを反映しているように、人数はちらほらといった様子で、さすがに全員参加という訳ではなかった。
 だが、楓のクラスはと言うと、
「今日も頑張るぞー!」
 という桜の号令で、
「おー!」
 と拳を突き上げる集団だった。そう、全員参加だった。
 まだ本番でもないのに、と思うものの、楓もそのうちの一人であった。
「やっぱりワクワクするね」
 目を輝かせる向日葵に、楓は曖昧にイエスともノーともつかないような返事を返すのだった。
「どうしたの?」
「いやね。僕どちらかというと、朝が弱いというか。だから、ギアが入るまでこんな感じなんだよ」
「そうだっけ? いつも朝から元気だったイメージだけど」
「まあ、向日葵の前では元気でいようってのもあったけど、こう連日で続くとね。さすがにガタが来た気がするよ」
「なら私の出番だね。エアヒール」
 向日葵は突然、両手を楓に向けて上げた。向日葵の手のひらは、柔らかく光が灯り、楓の体を包んだ。
 今まで能力を公に使ってこなかっただけに、楓は目を見開き辺りを見回していた。幸いにも異変に気づいた様子の人は見当たらなかった。
「何してるの?」
「効果はなくても、目は覚めたでしょ?」
「目は覚めたけど、何してるの?」
「ヒールだよ。ヒール」
 全く気にしていない様子で、向日葵はにこやかに言っていた。あんまり表立って能力を使ってこなかっただけで、元から隠すつもりはなかったのかもしれない。そもそも、見られても見えなかったことにすれば問題ないのだ。面倒だと言っていたような気もするが、釈然としない気持ちを脇に追いやった。
 そもそも、朝練の時間はそこまで長くない。
 あらかじめ何をやるのか決めておかなければ、ただ少し動いて終わってしまう。
 しかし、そこも桜。普段の特訓メニューを考えていただけあり、集団での練習でも、何をするのか事前に決めてきていた。
 そのため、楓達は桜の決定に従うだけでよかった。
「にしてもさ。よく全員集められるよね」
 待機中の桜に楓は言った。
「勝つためだからね。感心したんなら。もっと褒めてくれてもいいんだよ?」
 桜は嬉しそうに口にすると、手をはためかせて、楓に続けるように求め出した。
 楓も実際に感心していたため、目を輝かせる桜を見て、ベタ褒めする言葉が喉元まで上がってきた。しかし、これ以上言うと調子に乗りそうだと考え、堪えることにした。
「追加は結果が出たらね」
「ちぇっ」
「感心はしてるから」
「本当?」
「うん。だって部活の人もいるだろうに、僕達以外もチームというかグループで集まってるんでしょ?」
「そうみたいだよ? 全部見て回るわけにはいかないから、実際はわからないけどね」
 そうは言うが、すごいことだと楓は思った。
 何にしても、人を集め動かすことは大変だ。楓自信、向日葵は神様だが、向日葵一人でもうまいこと操れた試しがない。
 それをクラス一つ動かしているのだ。これが人望かなと楓は頷いた。
「ほら、楓たんの番だよ」
 背中を押され一歩出る。
 今はリレーにおけるバトンパスの練習中。一人当たりの距離を本番より短くし、バトンパスに慣れるために走っていた。
 まだ不揃いな部分もあったが、それでも個々が練習してきたせいか、取りこぼしなく行えていた。
 楓も向日葵や桜、椿との特訓でバトンパスの練習をしてきていた。そのせいもあって、今ではある程度流れで体が動いた。
 後ろからの接近に伴い、テイクオーバーゾーン内で、楓は走り出した。
「はい!」
 のかけ声とともに、前を向いたまま右腕を後ろへ突き出す。
 そして、しっかりとバトンを受け、握ると前へ振り、加速のまま走り抜ける。
 とにかく走り、腕を振りももを上げる。
 途中、右手から左手に握り変え、楓が次の走者に近づくと、バトンを受けた時と同じように、
「はい!」
 と声を出し、バトンを渡す。
 走り終えてから、背中に向けて、
「ファイトー!」
 と声をかけ、楓の番は終わった。
 周囲に気をつけつつ、トラックを抜け、楓は息を整えた。
 桜が考えた練習メニューのおかげもあってか、最近の楓は簡単にはへばらなくなっていた。体力がつくのは嬉しいものの、どこか納得がいかなかった。
 向日葵に水泳を教わった時も感じたことでもあった。今まで必死こいて走って普通だったのが、少しラクにも関わらず、普通に走れている。
 前世では人に教わるのが下手だったのかな、と思い楓は苦笑いを浮かべていた。
「やるねぇ」
 耳元でささやくような声に、背筋に悪寒が広がり、楓は咄嗟に声の主を見た。
「玉緒、くん。ありがとうでいいのかな?」
 楓の言葉に少し不満そうにしてから、玉緒はにっこりと笑顔を作った。
「そうだね。褒めてるからね」
「にしては、ちょっと癖のある表情だけど」
「くんじゃなくて、ちゃんとか呼び捨てがいいなって。秋元ちゃんが春野ちゃんを呼ぶ時も呼び捨てでしょ?」
「そうだね。じゃあ、玉緒ちゃん? いや、やっぱ玉緒って呼ぶよ」
「ありがとう」
 今度は純粋に、後ろ暗い感情のなさそうな笑顔を見て、楓も安心して頬を緩めた。
「でも、さすが春野ちゃんって感じだよね。みんないるし、うちは船津ちゃんが頑張ってるけど、やっぱりぼちぼちかな」
「葛が?」
「そうだよ。風紀委員もあるだろうにね」
 うわさをすればなんとやら、葛が息も絶え絶えになりながら、足取りおぼつかない様子でやってきた。
 膝に手を当てて立ち止まると、少し息を整えてから葛は口を開いた。
「玉緒さん。次、玉緒さんの、番ですよ」
 聞く限り、なんとか口に出した様子だった。
「えーそう? 僕って体力も女子並みだし、背丈もないし」
「いいから、行って来てください。番は、番ですから。せっかく来たなら、やってほしいです」
「わかったよ。じゃ、船津ちゃんをよろしくね」
「よろしくって?」
 玉緒の言葉に楓は首をかしげた。
 しかし、玉緒はそれ以上詳しく話そうとせず、手を振って走りに行ってしまった。
 立ち止まっているものの、葛は葛だった。何を任されたのかと考えていると、答えはすぐにやってきた。
 突然、葛の体からふっと力が抜けたように見えた。
 あわや地面に倒れ込むところで楓は葛の気づき、慌てて正面から受け止めた。そのことで、葛は怪我をしなくて済んだようだった。
「ありがとうございます」
「礼には及ばないよ」
「あれ、楓さんですか?」
「そうだよ」
 楓の体に寄りかかりながら、息を整えるようにしている葛を見て、楓は黙って続きを待った。
「すみません。やっぱり私は、絵以外のことはほとんどダメみたいです。体力もないですし、桜さんみたいに、人もうまく動かせてませんし」
「そんなことなさそうだったよ? 玉緒も葛が頑張ってるって言ってたし」
「本当ですか? 玉緒さんは掴みどころがないのでわからないですが、そうですか。嬉しいですね」
 気力を振り絞るような葛の笑顔に、楓も笑顔を返した。
 絵だけしかできないという意識を少しは払拭できたらしいことは楓にとっても嬉しかった。
「船津さん。大丈夫?」
 心配そうな声に楓が顔を上げると、駆け寄ってきたのは実世だった。
 不安気な声を漏らす実世に、葛はゆっくりとだがコクコクと頷いていた。
「大丈夫です」
「秋元さん。あとは私が世話するから、クラスに戻っていいよ」
 実世が葛の腕を自分の肩に回しながら言った。
「ご迷惑おかけしました」
 実世にされるがまま、葛は頭を下げた。
「全然問題ないよ。ちょっとだったし」
「楓たーん!」
 そんなタイミングで、桜の声が響いた。どうやら、楓の番が近いらしい。
「じゃ、お言葉に甘えて葛よろしく」
 楓は自分の体に寄りかかっていた葛を実世に任せ、桜の方へと走り出した。
 実世ならば葛の介抱を任せても問題ないだろう。
 安心して呼ぶ声の方に近づくと、進むにつれてむっとした様子の桜が見えてきた。
「何してたの? 練習まだ終わってないよ」
「ごめんごめん」
「僕達と話してたんだよねー?」
 楓が謝ると、すかさず現れたのは神出鬼没の玉緒。
「もう走り終えたの?」
 楓の言葉に玉緒は頷いた。
「まあね。って言っても、楓ちゃんが結構長く話してただけだけどね」
 体力に自信はなさそうだったが、息も切れていなかった。
「何? 偵察に来たの?」
 疑わしげな視線を容赦なくぶつける桜。
「偵察って。まあ、そうでもあり違うかな。見ようと思えばいつでも見れる状況ではあるしね。実際は春野ちゃんに頑張ってるねって言いにきただけだよ」
「わかったから、クラスに戻ったら?」
「もっと仲良くしたいだけなのに、体育祭が終わったら対立関係でもなくなるし、仲良くなれるかな?」
「どうだろうね。終わってみなきゃわかんない」
 楓は桜の言葉を意外に感じ、思わず桜の方を見てしまっていた。
 てっきり、
「今の関係のまま」
 だと言うと思っていただけに、虚をつかれた形となった。頑張ってるねという言葉は、案外嬉しかったのかもしれない。
 玉緒も桜の希望のある言葉を聞いたからか、にこやかに笑うと、
「じゃ、用も済んだしまたね。楓ちゃんもそろそろ入った方がいいと思うよ」
 今度は玉緒に背中を押される形で、トラックへと入った。
 玉緒の言葉通り、後ろの方ではバトンパスを受けるかどうかというところだった。
 玉緒はなんとも不思議な人間だ。葛が言うように掴みどころがない。しかし、不快ではない。
 確かに、桜にとっては男だったということには、驚いたかもしれないが、一方的に敵意を抱くほどの人間のようには、ここでも楓には感じられなかった。考えてもわからないことなのかもしれない。
 楓は思考を切り替え、後ろの走者を意識した。そして、タイミングを見計らって走り出した。
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